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【生配信・つながっていいとも】第121回 須田泰成さんの 「ひと・もの・ことがつながるイベントカフェ 『さばのゆ』の魅力」 | ゲスト=イベントカフェ 「さばのゆ」店主 須田泰成さん

オンライン時代でも出会える!話せる!つながれる!
毎週木曜日12時30分からの18分間のオンライン生配信「つながっていいとも」第121回 2022年12月1日(木)OAのまとめです。

今回のゲストは、第120回ゲストで家製調味料の仕込み教室「かもしラボ」主宰・書籍編集者のオザワエイコさんからのご紹介、 ひと・もの・ことがつながる世田谷区経堂のイベントカフェ「さばのゆ」(since 2009)店主 須田泰成さんです

須田さんの「人となり」が存分に伝わってくる18分!
見逃された方は、こちらから!

【毎週木曜日のお昼休み、12時30分からの18分間!】 ー「新しい時代のつながり方」をテーマに、オンラインでも出会える!話せる!つながれる!ー 前回の第120回のゲストは、家製調味料の仕込み教室「かもしラボ」主宰・書籍編集者のオザワエイコさ...

Posted by コミュラボ on Wednesday, November 30, 2022

第121回ゲスト 須田泰成さんとは


須田泰成さん
「さばのゆ」店主

ひと・もの・ことが つながる世田谷区経堂のイベントカフェ「さばのゆ」(since 2009)店主。

本業は、コメディから食やコミュニティの最新事例などの著述、ライティング、プロデュース、番組、WEBコンテンツ制作。
著書にコメディ界のビートルズと呼ばれる伝説の英国コメディチームモンティパイソンの公式ガイドブック「モンティパイソン大全」、Mr.ビーン公式ガイドブック「ビーンマニア」など。

東日本大震災の津波で流された石巻の缶詰工場・木の屋石巻水産の泥まみれの缶詰を洗って売るプロジェクトは、さばのゆから全国に広まり、約27万個を販売。工場再建のきっかけとなりその経緯をまとめたノンフィクション本「蘇るサバ缶」、絵本「きぼうのかんづめ」もある。 「経堂経済新聞」「みんなの缶詰新聞」編集長。缶詰博士・黒川勇人さんのカンチメンタルジャーニー・プロデューサー。


配信中の一コマ

まずは自己紹介からスタート!

経堂駅北口でイベントカフェ「さばのゆ」を14年ほど経営しています。
元々はコメディを書いて生きてきました。「モンティ・パイソン」や「Mrビーン」などの紹介本を執筆し、世界のコメディのローカライズとしてきました。また、テレビ番組関連ではポンキッキーズの脚本なども書きました。

世界のコメディの紹介をしていた須田さんが、経堂「さばのゆ」を営む理由は?

コメディが20代から好きで、仕事にしたいと思っていました。海外にもいろいろ行き、日本では落語に触れてきました。
そのうちに「いい笑いのある街には、いいコミュニティがある」ことに気づいたのです。「コメディ」と「コミュニティ」がつながり、今は「コミュニティ」への関わりが高まっています。

特に思い出に残っている「コメディ」と「コミュニティ」がつながっている街は?

90年代以前のイギリスですね。コメディで、一般庶民が不満に思う政治をネタにしていました。コメディが「社会の潤滑油」になっていました。「笑い」は「コミュニケーションの潤滑油」です。

経堂で、約25年暮らしています。20前後、そして、イギリスから帰国した27歳の今まで。経堂の面白さは「個人の飲食店」で、特に「飲めるところ」での「人とのつながり」にあります。週に数回飲んでいるうちに、横のつながりができます。

そのうち、こんな仕事をしているなんてことがわかってきます。お店が多様性のある地域の人と出会う場所になっているのです。例えば、棋士や写真家、そして東京農業大学があるので、お酒造りをしていたり、美味しい野菜や米を作る生産者の方もいらっしゃいます。いろんな人たちとカウンターで出会って仲良くなり、ネットワークが広がりました。

カウンターで人のつながりができる「カウンターカルチャー」の経堂は、コロナの時期は大変だった?

緊急事態宣言が出されお店が開けられず、カウンターに集まれなかったので、辛い思いをしました。
しかし経堂は、お店同士のが仲がよく、山の手だけと下町の長屋のような雰囲気があります。そのお店同士が助け合って、乗り切りました。
例えば、女性に人気のパン屋の「オンカ」さんは、飲み屋さんなどが夜のイートインができず昼にテイクアウトで作るメニューを買って、パンと一緒に販売するなどしていました。

(自発的にお店同士が助け合う動きは)1970年代あたりから街で落語会などを開催してきた、街の先輩たちの取り組みを受け継いでやっている感じです。

そんな経堂で「さばのゆ」が誕生したきっかけは?

1997年に消費税が3%から5%に上がって個人店の負担が重くなったり、バリーマンショックがあったりするたびに、経堂のお店は助け合って乗り切ってきました。自分は経堂の情報などを発信する「経堂系ドットコム」を、2000年から運営しています。

経堂では(街の先輩方により)外から人に来てもらうべく、寺や銭湯で落語会等を開催されてきましたが、2008年にその銭湯が廃業してしまいました。「銭湯」は、江戸時代から近所の人が出会い、裸の付き合いをする場所です。そこで、お風呂はないけど人が集まれる「なんとかゆ」を作りたい、と思い立ちました。

経堂は景気が悪化した2007年に「サバ缶」を名物にしようという動きが生まれ、10数店で「サバ缶」を使ったメニューが開発されました。
そこで「サバ缶」と「なんとかゆ」を組み合わせて「さばのゆ」が生まれたのです。

なんで経堂でサバ缶?

ご当地グルメを作ろうと思うと、近くの海や農地から取れるものを使って作られます。しかし、経堂は準都心で食品の生産はあまり行なっていません。そこで逆に、スーパーで手に入るもので(ご当地グルメ作りを)やろうということになったのがきっかけです。

ある店で「サバ缶」を使った「サバ缶ネギバター醤油」が生まれました。これは、汁を切ったサバ缶の上に、ネギのみじん切りとバターを載せて加熱したもの。これが美味しくて、いろんなお店がサバ缶で美味しいメニューを競うように作るようになったのです。

東日本大震災でサバ缶とさらに深いつながりに?

「経堂をサバ缶の街にしよう」と動き出したのが2007年。すると、スーパーに売ってない「ご当地のサバ缶」が各地にあることに気づき始めました。そんな中で2009年に出会った宮城県石巻市の「木の屋石巻水産」さんのサバ缶がピカイチに美味しかったんです。

イベントをやるので大量買いしたいと言ったら卸してくれ、ケース買いするようになりました。ある時期、どこに行くにも木の屋さんのサバ缶を持ち歩き、ラーメン屋などで配っていました。

みんな食べると「美味しい」のと、肉や魚の生モノは賞味期限が短いものの缶詰は賞味期限が長いので、缶詰で作れるものが一品あると助かる、ということで急激に街に「木の屋石巻水産」さんのサバ缶が広まりました。震災前には「木の屋」さんとは親戚くらい仲良くなり、営業の人が出張で経堂に来ると「おかえり」と出迎える関係になりました。

それが3月11日で、会社は壊滅。みんな「あの美味しい缶詰が食べられない」と寂しい思いになりながら、支援物資を運びました。その足で工場の跡地に行くと、缶詰が何十万缶残っていたのです。
その缶詰を、支援物資を下ろして空になった車に積んで持ち帰り、みんなで洗い(ラベルがなく販売できないため)300円の義援金で交換する、ということに取り組みました。
この取り組みが「めざましテレビ」をはじめ、さまざまなメディアで採り上げられ、20数万缶が義援金になりました。

(木の屋さんは)震災後2年で工場を再建し、4年で売上が震災前の水準に回復、今は震災前の1.5倍になったそうです。この動きをきっかけに「さばのゆ」は、全国の他の食品メーカーさんや、産地ともつながるようになりました。

出会いを紡ぐ須田さんの今後の夢は?

今まで缶詰を街の名物になど、いろいろなことが大規模に動いてきました。いずれも、アットホームな飲み屋のカウンターでしゃべっていたことの積み重ね、でした。カウンターで飲んで話しているうちに、アイディアが出てきて、動いて、実現したものです。

最近嬉しかったのが、古本屋「ゆうらん古書店」さんの話です。会社が大変で30代で古本屋へ転職した人が、最近修行先から独立していいと言われたそうなのです。そこに至るまで、カウンターで修行時代のことや悩みを聞いていました。

独立話を聞いた後に、違う店で飲みつつその話をしたら「うちの場所を使って欲しい」と言ってくれる人が出てきたんです。そして12月頭にお店がオープンしました。店主はまだ30代なので、これから30年、40年と頑張ってくれると思います。
このように、街のカウンターでのつながりから、未来に展望が開ける小さなビジネスがたくさん生まれるといいな、と思っています。

次週第122回のゲストのご紹介 ー久岡崇裕さんー

「つながっていいいとも」恒例次週ゲストのご紹介
須田さんから久岡さんへ

大阪の靱(うつぼ)公園を応援するコピーライター久岡崇裕さんです。靱公園は昔大阪でコピーライターでやっていた頃に、クライアントに怒られた後にベンチで癒された思い出の場所です。

(久岡さん)靱公園は、周辺にデザイナーさんや面白い個人経営の飲食店が集まっている、大阪の中では珍しいエリアです。しかし、放っておくと民営化が始まり、チェーン系店が増えそうな雰囲気を感じています。そこで、僕たちの意見を冊子にまとめ、行政に声が届くようなことをしています。
須田さんとは10年以上前、20代で独立前のペイペイの頃に出会いました。「書くこと」をベースに自由に生き、一言で括れない動きを見て、自分の将来のイメージを広げてくださった大人です。

(須田さんから見た久岡さんは)可能性を感じます。リアルで会うと、いい雰囲気です。自分も好きで取材に行った高知県の出身。梼原町という南国土佐なのにスキー場がある町から出てきた、高知から脱藩した雰囲気を感じます。自分もいの町までは行ったことあり、その点でも親しみを感じています。今、靱公園を応援する久岡さんの会社名は「parks」。「公園」という、誰もが出入りできるイメージでもあり、これからが楽しみです。

MC後記

須田さんは、2023年12月27日に脳幹梗塞でお亡くなりになりました。享年55歳。それを契機に改めて「いいとも」のアーカイブを見直し、これは思いを語り継ぐべきだと思い、テキストにしました。

「さばのゆ」店主 須田泰成のご報告 本日、12月27日(水)に、経堂「さばのゆ」店主。須田泰成が、脳幹梗塞により死去致しました。 生前は大変お世話になりました。 通夜:28日(木)18時から19時 告別式:29日(金)9時30分から 11時 場所:曹洞宗経堂 福昌寺 観世音ホール    東京都世田谷区経堂1−22-1 喪主 須田直子 お問い合わせ:株式会社ムラカミ 03-3429-4874

Posted by さばのゆ on Tuesday, December 26, 2023

12月28日のお通夜に参列しました。開始時間の18時より10分ほど前にお寺に行くも、すでに大行列でした。お人柄が偲ばれました。お寺にお清めは設けられず、須田さんが好きだった経堂の街の中でそれぞれ飲みながら偲ぶ、という形でした。

思わずカレーの名店「ガラムマサラ」へ。通常であれば休業のところ、開店された由。

席につき、名物の「saba-can」と「レモンチキン」を注文後、お通夜でいただいた会葬御礼の袋を見ると「サバ缶」が入っていました。「昨日、仲間で話し合って、サバ缶を差し上げようと決めたのです」と、須田さんと親交のあった店主のハサンさんが解説してくださいました。

続々と同じ袋を持った人たちがお店に集まってきて、あっという間に満席。帰り間際にお隣の席の方から「ひょっとして、須田さんの??」とお声かけいただきました。それぞれの須田さんとのつながりをお話しし「亡くなった後も、人同士をつなぐとは、なんとも須田さんらしい!」なんて思いを馳せました。

このnoteとアーカイブが、須田さんつながりがあった方々をつなぐきっかけになると嬉しいです。

【The Community Lab. #コミュラボ】 コミュラボは、コミュニティが生まれる・動く「きっかけ」の場所です。関心の度合いに応じて①ゼミ、②ラボのラボ、③チアの三層構造となっています。その活動をおすそわけします。