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[15min.#01]アジアについて15分話す/太公良

第一回目は、1年ぶりくらいにごはんに誘ってくれたグラフィックデザイナーのタコラ(太公良)くん。タコラくんは私のまわりにいる“フットワーク軽いトライブ”の一人で、仕事を通じて知り合った頃にはすでにアジア圏で制作活動をしていました。プライベートでもよくアジアに行っている印象があるけど、そもそもなんでアジアが好きなのか、仕事をするようになったのかはそういえば知らなかった。それで“アジア”の話をしてほしいとお願いしました。この後台湾の話も出てきたけど15分に納まらなかったので、そちらは機会があればまた。ちなみにこの日は、新宿のランブータンでトムヤムクン鍋のコースを食べました。
※このシリーズを始めた理由はこちらからどうぞ。

-- そもそも、なんで香港や台湾によく行くようになったの? アジアが昔から好きだったの?

タコラ:一番最初に行ったのは香港。僕の伯父が香港好きでよく行っていて、大学の入学祝いに連れて行ってくれるってことで行ったんよね。高校時代は「メイドインUKならなんでも好き」ってぐらいのUK好きでアジアには全然興味がなかったんやけど、香港は当時まだ英国領だからこれは関係あるぞって飛びついた。でも実際に行ってみたら1980年代のジャッキー・チェン映画そのまま、UKのおしゃれさなんて微塵もなくてすごくショックやった。啓徳空港だから九龍城の間を降りていくような感じだし、食べ物も全然合わなくて。 

-- UK感をめざしていったら、そりゃ違いすぎるよね。

タコラ:うん、夢が大きすぎたんやろうね。だからもう二度と香港なんて行かないって思ってた。でも大学の教授が香港好きで、3回生の時の研修旅行が香港で。ウィーン工房の流れでできたコースなのに不思議やんね。実は教授がウーロン茶を買いに行きたいからだと噂に聞いて、当時から我が道を行くタイプだったから「そんなんにお金払いたくないわ!」って「僕行かないんで」と断って。ただでも、その後先輩とたまたま今後どうするかって話になった時に、今の状態で就職も大変だしMacintoshを覚えたいから大学院に行くつもりだと相談したら、「それなら香港に行っとかないとダメなんじゃないの? 先生にはこれからもお世話になるんでしょ?」って言われたん。その先輩は今母校で教授をやってるから、その頃から人を諭すのがうまかったんやろうね。なるほどそれもそうかと思って、速攻「やっぱり行きます」って。それで結局2回目の香港に行くことに。行くまで毎回授業後に「太くんは香港で何がしたい?」って話を振られるくらい先生も喜んでくれて、実際行ったら修学旅行みたいで楽しかったけど、やっぱりその時も興味は沸かなかったかな。 

-- ほうほう。

タコラ:でも海外にはいろいろ行ってたよ。とにかく自分の目や耳や身体で、実際に見て聞いて空気を感じないといけないという気持ちがすごくあったから。大学院の時はデザイン系コンペの賞金が入って2カ月ぐらいバックパックでヨーロッパ旅行にも行った。実際にヨーロッパに行くとアジア人が差別される場面にも遭ったから、びっくりしたりね。それに各国にある国立美術館に行くとだいたいアジアセクションがあって、日本も含めたアジア美術全般が見られるんだけど、毎回これはすごいって驚かされるようになった。
そういう経験があって、なんとなくアジアが面白いと思い出したんかも。卒業して上京して初めての大きい仕事をやって、少しまとまったお金がもらえた頃、3~4日なら近場に行けると思っていた時に、仲のいい同級生が香港に行く話を聞いたから僕も行くって伝えたんよね。香港には特に興味ないけど彼が行くならって。そしたら、別のイギリス人の友達に、せっかく行くなら現地のデザイナーに会いに行けばって薦められたんよ。今思えばコム・デ・ギャルソンとの仕事をした後で、イギリスの出版社から自分の作品集『CHEAP POP』が出た頃だったからラッキーやったんやろうね。「外国人も知っているグローバルな企業との仕事があるんだから伝わるよ」って言われて、それなら大丈夫かなって。その頃まで海外のクライアントとの仕事なんて頭になかったけど、絶対会うべきだって言われたから売り込みの用意をして行った。それが2002年ぐらい。
そこから香港に友達ができて、結果的にその後の仕事にまで繋がったんよ。現地の友達ができるとそれだけで楽しくなるやん。当時は香港も上り調子だったし、香港人が中国の仕事をすごく取っていた時代やから。今は逆になってしまったけど、香港ドル1ドルが中国元0.7ぐらいのいい頃だったしね。その流れで、香港では毎年何かの仕事をさせてもらって、インタビューを雑誌や新聞に載せてもらったりしてたん。2008年のリーマンショックがあるまではコンスタントに続いてたかな。 

-- その頃はどんな仕事をしていたの? 日本には情報ってほとんど入ってこなかったんじゃない?

タコラ:うん、現地だけの展開だから。ベネトンやシェビニオンのような西洋ブランドのキャンペーンとか、香港の『POPEYE』みたいな雑誌『Milk』とのコラボレーションや、パルコみたいなデパートのアートディレクションもあったね。仕事の規模はピンキリだけど、全部がすごく面白くてお金を超える体験ができた気がする。一本の制作期間が短いからライブ感もすごくて、あと「英語でやり取りしてる自分」にちょっと悦に入ってる感じもあった(笑)。
その頃はまだ日本で僕みたいな仕事の仕方をしている人も少なかったし、それに僕は帰国子女でもなければ海外留学経験者でもないから珍しかったみたいやね。日本でも向こうでも、関わる人に「留学してなかったの?」って毎回驚かれたし。向こうで僕と一緒に仕事をする人たちって、半分ぐらいはオーストラリアやイギリスに留学して戻ってきた人だったんよ。1997年問題の後、香港に残るか海外に出るかというグレーゾーンの時期も、彼らは香港以外に親戚がいて何かあればダブルパスポートを取れる状況にいたからだろうけど。中国の下で香港政府が出すパスポートではなくて、イギリス政府が発行するパスポートを持ってる人たちだったりね。イギリスが発行しているのにイギリス側は何もしてくれないって微妙なものだったらしいけど。
そんなこんなで香港人の友達がたくさんできて、台湾やタイやシンガポールにも行くようになって、ユースカルチャーとご飯を中心に少しずつアジア方面に興味が広がっていった。そんな感じかな。

-- なるほど~。そんな流れがあったんだ。

タコラ:だから海外に行く前にはインターネットを駆使してファッションブランドや音楽をたくさん調べて、それを元に現地でいろいろ買ったりしてたん。例えば、タクシンが首相で文化にすごくお金を投入していた後の2007年頃に行ったタイもすっごく面白かった。デザインセンターでいい展示をしていたり、サイアムでは『ELLE』がスポンサードしたファッションショーをやっていたり。タイの若手ファッションブランドがかなり盛り上がってた印象やしね。おしゃれ雑貨ショップも多かったよ。今は時代が変わってショップも潰れてしまったけど。

-- タイがそんな風になっていたなんて知らなかったわ。 

タコラ:でも今またデザインでがんばっているんだって。デザインウィークとかやっててすごく楽しいって聞く。お金持ちが今までと違う形でお金を持ち出して、何か資産になることをしたいからってアートやファッションに投資する流れができているらしい。 

-- へえ! アートやファッションはパトロンがいるからこそ盛り上がるものだもんね。

タコラ:お金持ちがいるってそういうことやんね。タイも含めて、西洋のハイブランドが大きくなった理由もパトロンがいたからやし。日本はそういう感覚がちょっと弱いよね。

-- そうね。もう少しその辺に目を向けた使い方をすればいいのにって思う。

タコラ:明治時代はそういったお金を使い方をしてたはずなんだけどね。政治も絡むから一概に言えないけど、そこから生まれた文化や波及したものはあるはず。今の日本はそういう流れが少ないというか、アジア諸国に比べると小さい気がする。でも美術に対してようやく、少しずつ目を向けようという流れが見えてきてる気はするけど。

-- うんうん。

タコラ:ちなみに、この時が初めてのタイ。実は僕の相方ってアジアのいろいろな国で仕事をしてたんやけど、この頃はバンコクに3カ月住んでて。彼女が「好きだと思うから来たほうがいいよ」って薦めてくれたこともあって、行ってみた。それまでタイには全然興味がなかったんやけど、この時のバンコク滞在がさっき話したみたいにすごく楽しくて。LGBTの人たちも街中に結構いるし、サイアム辺りに普通に歩いてるめちゃくちゃ安いだろうアイテムでコーディネートしてる人たちが最高におしゃれで、それを見るのが本当に刺激的やったんよね。

-- 「興味がないけど行ってみたら面白かった」こと多いな(笑)!

タコラ:そうやね(笑)。台湾はこの時からさらに遡って2001年。これも当時インドネシアに住んでいた相方に会いに行った時で、帰りの便に台湾での乗継があったから。それまで海外はどこに行くにも用意周到にして行ってたのに、インドネシア帰りで荷物は多いし、どうせ最後の3日間だしもういいやって何も調べずに軽い気持ちで降り立ったんよね。英語がさっぱり通じなくてものすごく大変やったけど、台湾の人はどこに行っても助けてくれて、なんていい国なんやろうって。それがきっかけで、香港と同じくらい台湾にも行くようになった。少し間は空くけど2007年頃からまた行き始めて、もうかれこれ12年ぐらい毎年行ってる。

【15分話してくれた人】
太公良(タコラ/ふとりきみよし)grAphic tAkorA
ヴィジュアルクリエーター/アーティスト。1972年神戸生まれ。京都市立芸術大学大学院卒業。ファッション・広告・書籍・ディスプレイなどでのコラボレーション制作のほか、プリントファブリックを中心としたオリジナルプロダクト「TAKO LABO」をスタート。香港のファッションビル・LCXの2015年度年間キャンペーンディレクション&アートワークや台北市観光伝播局発行冊子「台北満喫Hand Book」ディレクション、デザイン&アートワークを担当。
http://www.graphictakora.com/

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