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90年代を今も生きている。

1995年、夏の祐貴と僕。

大学時代、祐貴と北海道ドライブ旅行に3回行った。当時の、僕の愛車フェスティバ(アルカディア号)に乗って。このクルマは、19歳から乗り始めて、25歳のときにブツけられて廃車になるまでキビキビ走ってくれた。

北海道旅行は、およそ一週間。目的地もなく、道内をぐるぐるとクルマで回る。ホテルに泊まることはなく、雨が降ってもキャンプ場にテントを建てた。最後の方は、ヘトヘトに疲れて、クルマで寝てたけど。

新潟からは、北海道に向かうフェリーが週に何本か就航している。当時は、クルマ1台(運転手一名込み)で17,000円くらいの運賃だった気がする。二等席の大人運賃は、当時5,000円とかで、3名で行くと合計27,000円(@9000円)。往復で一人2万円も掛からない。安過ぎないか。記憶違いだったら、ごめんなさい。

僕の記憶では、新幹線で東京に行くのと変わらない金額で北海道旅行に行けた。もちろん、そこから、さらにガソリン代とか掛かる訳だけど、それでも随分と安い。

北海道旅行には、大学1年、2年、3年と計3回行った。そのすべてに祐貴は一緒だった。

大学1年のときは、功と僕と祐貴の3人(写真左から)。
大学2年のときは、祐貴と吉田と僕の3人(写真左から)。
大学3年のときは、亮と政二と祐貴と4人で行った(写真左から)。

祐貴とは、それほど仲良くなかったけど、大学時代の「旅行」とか「飲み会」には、いつも祐貴がいた気がする。祐貴は、お金と時間はたっぷりあるから。なぜなら、医者の息子だから。祐貴の「貴」は、貴族の「貴」だ。誘えば、たいがいの場所に付き合ってくれた。

圧倒的な自然。北海道は、外国みたいだった。

1998年、春の祐貴と僕。

卒業旅行は、祐貴と二人で行くことになった。随分と前から、いろんな友達を誘っていたのに、誰も貯金もバイトもしてなかった。祐貴を誘ったら、あっさり「おう、わかった」と言ってくれた。

行き先は、主にロサンゼルス。多くの映画の舞台になった街を見たかった。この写真は、出発前に、荻窪にあった亮の家の前で撮った。亮は「まだ仲がいいうちに撮影しといてやるわー。帰ってきたら、話もしなくなってるぜ」と笑いながら言った。

結局、旅行中、一度もケンカすることなく、でも、逆に仲良くなることもなく、祐貴との仲は、行く前と一切変わらなかった。

そんなことより、僕の、この格好はどうだ。怖いほど、今と変わらない。髪型も、今は似た感じのパーマ掛けてるし。

ロサンゼルスまでの航空券は、当時、世に出たばかりのHISで買った。記憶では、往復で55,000円だった気がする。安すぎる。あまりの安さと、聞き馴染みのない航空会社・マレーシア航空っていうのが不安だった。

HISの売り場のお姉さんが、綺麗な人で、話しているうち、その人が新潟出身だと分かり「わあー、同郷ですね」と話したことを覚えてる。あの日に行ったHISは、日当たりのいいオフィスだった。もう25年も前なのに、どうでもいいことばかり、鮮明に覚えている。

航空券しか買わず、宿泊先の予約もせず、レンタカーを借りて、行く先々のモーテルに、何軒か飛び込んで、その日、一番安いところに泊まる。なんとか通じる程度のカタコトの英語。日本語で話せるのは、祐貴だけ。そんな感じの10日間。もしかして、祐貴との仲は良かったのかも知れない。

北海道旅行と同じで、行き先も決めないまま、クルマでロサンゼルス、サンディエゴ、ラスベガス、あとは、メキシコのティファナにも行った。今ほどネットでいろんな店が出てこないので、行った先で現地の人に聞いて探す。本当に行き当りばったり。

祐貴は、行く先々でビールを買っては、テレビを見ながら何本も飲む。気がつけば、酔っ払って床で寝てた。その姿を見て、僕の旅情は、毎晩、吹っ飛ばされていた。

最終日前夜、思いつきで、ロサンゼルスレイカーズの試合を見に行った。当時、入団2年目のコービー・ブライアントが人気で、遠目にも動きがキレキレだった。

確か試合は、レイカーズが負けちゃったけど、あの日以来、僕はコービーが大好きだ。祐貴はNBAを好きだったのだろうか。どんな顔で試合を見ていたのか。それについては、まったく覚えていない。

90年代は「写るんです」からデジカメへの移行期。僕は、スーパーで買った2,000円くらいのプラスチックのトイカメラみたいなものを使ってた。これらの写真も全部、そのトイカメラでの写真だと思う。

今も写真の好みは、変わっていない。なんなら、撮影の技術も向上していない。着ている洋服の趣味も同じまま。僕は、今も90年代を生きている。

祐貴は、2019年1月に水難事故で亡くなった。

何枚かの写真が残っているお陰もあって、今も祐貴の顔は鮮明に思い出せる。ちょっと高い笑い声も。いつか記憶は薄れていくかも知れない。

卒業旅行の前に、亮が言った「話もしなくなるぜー」ってのは、確かに、その通りで、もう祐貴と話すことは出来ない。来月、大学の同級生たちで集まって、祐貴の墓参りに行くことになった。

祐貴の家族に大学当時の写真を渡そうということになり、自宅を探して、出てきたのがこれらの写真だ。今、iPhoneの中に入っている何万枚の画像よりも、25年前にプリントした写真の方が、はるかに美しく、そして鮮明だ。

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