見出し画像

お母さんになれなかった私

なぜ子供が欲しいのか。

繰り返し考えたけどいまだに明確な答えは出ていません。

子供の頃からいつか私も母親になるんだろうなと漠然と想い続けてきました。

周りの結婚と出産ラッシュに焦り、当時はパートナーがいなかったので卵子凍結しようか本気で悩んだ20代後半(やっておけば良かった)。

結婚が決まってすぐに不妊治療専門クリニックに通い始めました。

検査の結果は夫も私も特に異常はなし。

年齢的にも簡単ではないのは充分承知の上、
それでもずっと生理も順調だったので治療を進めれば妊娠出来るかもと期待していました。

不定期で頻回な通院。高額な治療費。
毎日の痛い筋肉注射…。
情報が欲しくて妊活ブログばかり見る毎日。

仕事を辞めて治療に専念していたこともあり、あっという間に頭の中は妊活と治療の事でいっぱいになっていました。

毎月期待と落胆の繰り返し。

そして、一番辛かったのは天国から地獄に突き落とされた流産でした。

私にとっての最初で最後の妊娠です。

陽性反応が出た後、嬉しくて嬉しくて毎日神社にお参りに行っていました。

あんなに頑張ったのに、努力は報われない。

どうしてダメなのか、何が悪いのか。

堂々巡りで考え続けていました。

そんな最中、友人から出産の報告。

タイミングを呪い、上っ面のおめでとうを返信してからLINEを全て消して布団をかぶって泣き続けました。

泣きながら過ごした数日間の記憶が抜け落ちているけど、まるで廃人の様だったと思います。

その後も原因不明の不妊のまま体外受精までしましたが、結果は惨敗でした。

辞めどきも難しい不妊治療。
当然治療を辞める事を決めるのは自分です。

色々な事が重なり、自分の中でこれでダメなら辞めようと決めていた治療はあっけなく終わりました。

診察で次の治療の話を始めようとする先生に、『これで終わりにします』と伝えました。

涙が溢れてきてこんな短い言葉なのに何度も言葉につまり、すごく時間がかかったのを覚えています。

やっぱり私はお母さんになりたかった。

孫を溺愛していたであろう子供が大好きな両親。

きっと優しい良いお父さんになったであろう夫。

それぞれに申し訳ないと自分を責める事しか出来ませんでした。

今でも自分より年上の妊婦さんを見ると、諦めずに治療を続けるべきだったのか瞬発的に考えてしまいます。

大黒摩季さんの離婚と滝川クリステルさんの妊娠と出産には、それぞれ別の意味で正直すごく心が揺れました。

後悔は無いけど想いは残り続けるんです。

時間の経過とともに少しずつ軽くなってきているけど、これはきっと一生続きます。

当時は思考が偏っていたし、あまりに必死過ぎて周りのことも自分のこともケアできませんでした。

完全にノイローゼだったと思います。

それでも苦しくて辛い挑戦をして、
たくさん泣いたけど、あの時のベストを尽くしたとハッキリと言えます。

数年が経過した今になって、あの経験は私にとって必要だったと思えるようになりました。

本当に本当によく頑張ったよ、自分。

もう妊婦さんやマタニティマークを見ても心からお祝いができます。

やっと歪みから軌道修正して、元の自分に戻れた気がしています。

最近は巷に流れてくるかわいい子供の動画を見てニマニマしながら、勝手に成長を見守っています(わーちゃん最高)。

あの時は絶望的に思えた未来だけど、
今とっても幸せに暮らしています。

そして何より、ずっと苦しみを分かち合い寄り添ってくれた夫が私のそばに居ます。

これからも2人ならどんな事も乗り越えられる自信になりました。


すごく時間がかかったけど、誰にも話せなかった事をここでやっと吐き出せました。

気持ちが解放されて、消化されて、これから更に前に進みやすくなったような気がしています。

きっかけをくれたnoteに感謝します。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?