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貝の化石

 底に足のつかない深さの海へと、初めて泳ぎ出た日のことを憶えている。幼い頃は毎夏、能登の海に潜って過ごしたものだった。穏やかな浅瀬から離れ、階段を降りるように海底が遠のくこと数回、しだいに海底は深い青色のなかへと見えなくなっていった。あの青色の深さには、いかなる絵具もどんな貴石も——インターナショナル・クライン・ブルーもラピス・ラズリも——けっして達しはしないだろう。どこまでも深く、誰も所有しえない青さは、あの日からずっと瞼の裏にある。
 海では大叔父や伯父に連れられてよくサザエを採っていた。ときにアワビも、またいつももっと小振りの、ダメと呼んでいた貝も採った。大叔父は巧みに銛で魚をいろいろと捕っていたが、幼い僕には素手で摑み取れるサザエがいちばんの獲物だった。海底の岩陰に潜む貝をさっと掠めるように採っては、次の岩陰に移っていく。そして次へ、また次へと。
 もっとも、幼い僕の舌にはサザエの味は甘いというより苦く、食卓に積まれたその貝をさほど口にしたわけではない。アワビのほうは、いちど踊り焼きを正視できずに逃げ出して、ついぞ一口も食べなかったのではないか。サザエやアワビのおいしさを知ったのはもっとあと、最後に海に潜ったのがいつだったかも覚束なくなってから、つまりは日本酒の味を覚え始めたあたりだろう。それなのに、おかしなことにも、貝の風味はいつだってあの海を思い出させる。
 海辺で貝殻を拾うこともあった。ジャン・コクトーの「私の耳は貝のから 海の響をなつかしむ」そのままに、耳に当てると潮騒が聞こえるという、木蘭色の巻き貝の殻が幼いときには家に飾られていたはずだ。けれどもあれは僕が拾ったものではなくて、僕がむしろ好んで集めたのは貝の化石だった。木の化石のこともあった。けっして多くはなかったものの、砂浜や浅瀬にはときおり化石が転がっていて、見つけるなりたちまち熱狂した。あの心持ちに匹敵するのは、山の岩場で水晶を見つけたときくらいかもしれない。アンドレ・ブルトンによれば、石に魅了された人はいわば引っ繰り返った占星術師のようになってしまうという。石はその人に探求を課し、恩恵を授け、先へ先へと導いていく。そうして夏の終わる頃には、両手に余る化石が拾い集められていた。
 石を拾う喜びはまさに恩恵であり、見返りを求めはしない。その石が化石でも水晶でも瑪瑙でも変わりはない。ロジェ・カイヨワは石から夢想を紡ぐブルトンに皮肉を投げかけているものの、そのカイヨワにしても石に夢中だった。僕がヴェネツィアで、また東京で見たカイヨワの石のコレクションは、造形的な驚異という以上に、彼の情熱と好奇心を偲ばせて印象的であった。ここにもひとり石の恩恵に浴したともがらがいる、と感じずにはいられなかった。石を買おうとする人がいるのを、僕はいまだ信じられない気持ちでいる。僕も買ったことがないわけではない。でも、いちどだけ買った水晶は自分で見つけたときほど喜ばせず、その喜びもほどなく失せてしまった。
 幼い日々に集めた化石のなかに一つ、ひときわ大きな貝の化石があった。少しばかり荒れ模様だった海辺で、僕ら兄弟を連れて歩く伯父が見つけたものだ。両手で包み込めないほどの重厚な鼠色の石塊に、掌ほどもある浅黄色の二枚貝の化石がなかば顔を覗かせている。さらに別の二枚貝の模様が陰画のごとくそこここに刻印されている。彫刻的とも言える見事な形態であったから、伯父は家に飾りたいと言った。それを幼い僕は実に子供らしい貪欲さでほしがり、ねだり、ついには自分のものにしてしまった。石のごとく重くのしかかり、貝のごとく甘くも苦い記憶だ。その貝の化石は今でも僕の書斎にある。

(2024.1.1-1.7)

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