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インド旅行記vol.002 ニューデリー→リシュケシュ編

vol.001「プロローグと旅立ち編」はこちらから。
(※このvol.002までは不穏な空気・仄暗い空気満載だし、ガチビビりしまくりです。一人旅のリアルとはこういうものだと信じてる・・・。)

エンカウント

オールドデリーのホテルで朝5時に寝たけれど、目を覚ましたのは7時半過ぎだった。睡眠時間は短いけれど、今回の旅の第一の目的地である「リシュケシュ」へなんとしても辿り着かなければということで頭がいっぱいだった。日本でスクショしておいた、ホテルからメトロまでの徒歩20~30分をおさらいしながら準備する。チェックアウトするとき「送迎のタクシーに乗っていく?」と聞かれたけれど、近代的だというインドのエクスプレスに乗りたくて、はっきりと断り、一歩外に出た瞬間。

視界が茶色く濁った。砂埃のフィルターがかかって。空港で感じたもわっとした土埃とスパイスの匂い以外に、なにかいろいろ混ざった匂い。生活臭、排気ガス、動物、ひと、その他もろもろ。褐色のひとがひしめき合い、ホテルから一歩足を踏み出した瞬間、数えきれないほどの小さな好奇の視線が通り過ぎてく。

そうだ、ここ、インドだ。いままで行ったどの国とも違う。混沌の国。やっと脳味噌が事実についてきて、急に足が竦んだ。それでも自分で決めたことだから行かないといけない。

侘しくなる足を一歩前へ歩こうとしたとき、目の前に赤子を抱え、ローブを被った女性が立っていた。乾燥した肌で年齢はわからない、老婆のようにも見えるし、赤子を抱えているため、すこしくたびれているだけの年頃の女性のようにも見える。

親指に残りの四本指を窄めてまとめたものを、うっすら微笑を浮かべた口元に寄せて、なにかぼそぼそと話しているようだった。はしばみ色の瞳と、周りの建物や埃を被った車と同じくらい黄土色に濁った白目が、微笑と不釣り合いなくらいギラギラと光って迫ってくる。

乞食だった。

もちろんいることは知っていたけれど、到着は夜中だったので、もちろん見たことがなかった。日本のホームレスの方々とはわけが違う。ホテルを一歩踏み出した途端に、取って喰われそうなほど、ギラつく目のそのひとに遭遇したものだから、心臓が5秒くらい止まるほど驚いて怖気で再び足が竦んだ。

身動きが取れずにいると、ホテルの送迎タクシーのお兄さんがわたしに「やっぱり乗っていく?」と目配せした気がした。頷いて、タクシーに乗った。計画、初っ端から挫いた。挫折した。まあ、お金は、あるし。と怖気付いて歩いてインドのハイカラなエクスプレスに乗るのを早速諦めた。

その女性は、車に乗り込んでも発車するまで、トントンと窓を叩いては口元へ指を持っていく動作を繰り返していた。「無視していいよ」と首を横に振った運転手の言葉通り、俯いてやり過ごしたのに、車窓越しのギラギラした目だけが脳裏に焼きついて離れなかった。

そのひとには(たぶん)罪もないし悪いことはなにもしてない、ただ生きてるだけなのに、余所者のわたしがこんなに怖がって忌むことに物凄い罪悪感があった。それにこんなに怖くてこの先大丈夫だろうか、と急に心細くなる。車が走り出した。逃げ仰せた。心底安心した。

空港までの道中

オールドデリーはニューデリーと比較してそう呼ばれているに過ぎないのだという。もともとは「デリー」と呼ばれていた。下町っぽい雰囲気なのだろうけど、夜中には車一つ走ってなかった道が、車線という概念を逸して、「ハリウッドのパニック映画ですか?」ってくらい車がひしめき合っていた。基本的に前後左右問わず車間距離がおかしなことになっているので、サイドミラーは破損しているか、破損しないように畳まれている。カオス。

かなり広い道路の沿道に牛や山羊やひとがひしめき合っている。大きな交差点で車が赤信号に停止すると、車窓の外側で子供が大道芸のようなことをやって見せた。何の気なしにそれを眺めていると、私が乗る座席の窓に、11,2歳くらいの少女がふらふらと縋り付くようにビタリと額をつけて、先ほどの女性より白く大きな目をギラギラと光らせながら何か話しかけてくる。ギリギリ英語だった。

「あなた日本人でしょ。お金をちょうだい。」

運転席の窓が開いていたのでなんとなく聞こえたのだけれど、おそらくこんなかんじだと思う。彼女がなにか話すたびに窓の外側が吐息で白く曇って、晴れてを繰り返していた。わたしを睨み付けるように見上げる目から、今度は目を離せなかった。


生き方が違う、生まれてきた境遇が違う。ただそれだけだから優劣も善悪もない。そこに好意も嫌悪も抱かない。

でも怖い!

慣れるのだろうか。慣れてはいけない気もする。それに慣れってなんだ。無視すること?見ないふりをすること?乞食や貧しいのであろうひとびとを、無視することに「慣れる」とはどういうこと?

胃のあたりになにかつまってるように、気分が重くなった。旅の途中でも小さな答えは出たし、それより深く腑に落ちる答えはもう出てる。旅が終わってからあれよあれよという間に5年以上も経ってるしね。

車が動き出す気配に、そっと女の子が車から離れたので安心する。運転手が構わず急発進したり、沿道に戻る途中に女の子が轢かれたりしたら後生が悪すぎる。

ホテル行きの運転手とは違い、空港送迎の運転手はそこまで英語が話せるわけではないので無言の空間が続いた。それから30分〜40分くらいでインディラ・ガンディー空港に到着。この日は、国内線から1時間半ほどで着くデヘラドゥーンへ、そこで、リシュケシュで滞在予定のアシュラムのピックアップを手配してある。そのアシュラムで約1ヶ月を過ごす。

やっと空港に着いた

空港にいるひとは、少なくとも飛行機に乗れるくらいの生活水準のインド人か外国人ばかりなのでやっとほっとして肩の力が抜けた。搭乗手続きだけ済まして、空港内の売店でサンドイッチを購入して食べた。味がしなかった。緊張していたのだと思う。

先が思いやられた。帰りたいとは一ミリも思わなかったけど、実はめちゃくちゃビビリで、ビビリ故に渡航前にめちゃくちゃ下準備をしたのだ。気を付けることをたくさん頭に叩き込んで。たくさん準備して。パスポートやクレジットカードも服の下に。でも頭に詰め込んだ知識と実際に体験することってあんまりに違いすぎる!違い過ぎた!めげそう、めげないけど。

国内線の飛行機の中で出会ったひと

そうして乗り込んだ国内線の隣の席にはふくよかなインド女性二人が座っていた。あまりにわたしがげっそりしているからなのか、インド訛りの巻き舌の英語でしきりに話してきてくれた。わたしは空港や機内でよく話しかけられるのだ。旅あるあるですか?これ。

「あなたは日本人?」
「いくつなの?」
「学生かと思ったわ。なんの仕事しているの?」
「どこへいくの?」
「インドには何しにきたの?」
「どうしてそんなにお肌がつやつやなの?何を使ってるの?」

英語ばかり聞いてると英語に耳も慣れるけれど(以前LAに二週間とすこし滞在していたことがあり、そこで結構リスニングに慣れた)、インド訛りはほぼ初めてだったので一生懸命に会話した。にこやかに話しかけてくれて、インドに来て初めてちゃんとしたコミュニケーションをとれたひとたちだった。

「iPhoneを貸して」

と、唐突に言われた。

戸惑っていると、「わたしたちはデヘラドゥーンで警官をしているのよ。あなたが行くリシュケシュからは遠いけど、なにかあったらこの番号を教えるから連絡して。わたしたちのオフィスの携帯に直接繋がるから。」とわたしにわかるようにゆっくり目を見て、確かめるように話してくれた。

あ、やさしいひとたちなんだ。

遅れて理解して、ちょっと泣きそうになってるわたしにやさしく笑って、日本じゃみたことがない桁数のとんでもない電話番号を打ち込んでくれた。ヒンディー語読みを英語表記していて、なんて書いてあるか全く読めない。彼女名前なのか、警察署の名前なのかも。

どの国で生まれ育ったって、言葉が通じなくったって、ひとはひと。そういえば初めて海外に一人旅にいったときだって、バスの中でおろおろしているわたしを見かねて、乗り合ったひとたちや運転手さんが「あなたが降りるのはここだよ!」と教えてくれた。やさしいひとはどの国にもいて、それと同じくらい怖いひと、悪意をもったひともいる。いくら平和といえど日本ですらそうだった。

やっと気持ちが落ち着いて、そうだここでやっていくんだと決心が沸いた。うまくお礼が言えなくて、ただただ泣きそうになりながらたじたじしているだけだったけれど。いまも、その連絡先がiPhoneの中に残っている。なにかあれば頼れるひと、が、インドでもできた。頑張ろう。

いざアシュラムへ

さ、感動の機内を降りて、小さな国内線の空港を出ると、「うわ〜インド人〜」ってかんじのおじさんがわたしの名前と挨拶の書かれたスケッチブックを持って立っていた。アシュラムが手配してくれた運転手だ。アシュラムで予約をするとき、もちろん自分で、拙い英語力ながらメールでやりとりをしていたのだけれど、そのやりとりだけでアシュラムは安心できて、誠実なひとたちの働く場所だとわかっていた。

機内での、婦警の方々から頂いた勇気も相まって、インドに来て初めて快活に挨拶をした。楽しみになってきた!これからたくさんヨガを学ぶこと、インドに触れること、アーユルヴェーダ食で過ごすこと、あわよくばアーユルヴェーダの施術を受けまくって、たくさん吸収して帰ること!

つづく。