自由な時代に型にこだわる

 年末のテレビ番組を観ていると、紀貫之を特集しているものがありました。次作の大河ドラマ「光る君へ」と関連させているのでしょう。脚本が大石 静さんとのことで、大いに期待しています。

 紀貫之というと、かな文字や和歌の地位を高めたことで知られていますが、「型」も重んじたとは知りませんでした。最近の短歌や俳句などのテレビ番組を観ていると、自由律に脚光を当てているのをよく見かけます。一見すると不自由から解放されて自由ですが、この「自由」が創造性を縛り、人はそれに苦しんでいるようにも見えます。

 私は和歌は嗜みませんが、私が一貫してテルミン演奏で求めているのは多くの人の心に触れ得る演奏のまとめ方。作法といっても差し支えないかもしれません。
 テルミン演奏を普及させたい思いがベースにあって、裾野を広げるには「型」にはめ、これに沿うことで特別な才能がなくてもある程度の内容の伴った演奏に仕立てられる。周囲を見渡せば、際限なく創造性を拡げることに関心を寄せ、結果として風変わりや奇抜の袋小路に入ってしまっている人はとても多い。「型」を重んじるとは時代に逆行していると捉えられているだろうなと感じていました。

 自由が浸透した現代において、あえて不自由な「型」にこだわる。これが現代における「新しい」に通じる扉だとすれば、「型」に緑風の兆しを感じているのかもしれませんね。

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自由律俳句

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