見出し画像

踏み出していくには

「過去は現在に、現在は未来へと繋がっている。だからこそ、継続性を大事にしつつ、改めるべきものは改めていくべき」だと思っていた。多分その考え方は自分自身の経験から得た考え方だと思っていたけれど、身近にそんな例があったからかもしれないとは想像もしていなかった。亡くなった祖父が写真屋を営んでいた時期があったそうだ。私の両親からはそうした話を聞く機会がほとんどない人生で、今回は自宅の物置を片付けている際に「写真屋の判子」が見つかった為、そんな話を初めて聞かされた。どんな意思があって写真屋を営んでいたのかはわからないけれど、私がカメラを購入し写真が趣味となったのは(コロナ禍を経て若干遠ざかってしまっているけれど)、そんな話を聞いて「DNAがそうさせていたのかもしれない」と感じた次第。それが冒頭で述べた自分自身の考え方にも繋がっているように思えたGWの始まり。
 
「繋がっている」からといってその繋がりに縛られる必要はない。それは「自分軸」として持つべきものだろう。「自分軸」を持ち進み続けていくのなら、未来への道程はそれまでとは違い「別の道」であったとしても大丈夫…なはずだと思いたい。そういった点も含めて色々と思うところはあるけれど、「そんなもの」なんだと思う人間とは。人間の考えることとは、人間が進んで行く道とは。
 
では、今の自分が考えて進んで行く道とはどんな道程だろうか。そう私はまだどこにも辿り着いていないと思う。いや、「何か」には辿り着いているのかもしれない。けれど、過去の成功体験の少なさや、現在の自分を取り巻く環境の繋がりの薄さ(人との繋がり方がわからないのは相変わらず)、未来への不安(現職に対する不安、孤独死まっしぐらの人生)が、「何か」に辿り着いているにも関わらず、「何にも」辿り着いていないと感じるに至ってしまっているのかもしれない。
 
客観的に見れば、そんなことはないことは自分でもわかってはいるのだけれど。実際には、そう思えない自分が今ここにいるわけで。
 
「人間なんてそんなもんだ」とは思う。誰もが通る道で、誰もが感じていることではあるだろう。そんなものを抱えながら「人生という名の道程を進んで行く」ものだろう。けれど、それはそれであって「自分自身としては」思い悩んでしまい、「踏み出せないまま」のことが多い。「内定先に転職すること」であったり「人と繋がりを持つこと(特に異性との)」であったり、人生の重要な決断だからこそ足踏みをすることは決して間違ったことではなく、「踏み出せば」その2つを得ることができる自信は自分の中にあることもわかっている一方で(自信過剰・自意識過剰…にはなっていないです)、過去の成功体験の少なさや、現在の自分を取り巻く環境の繋がりの薄さが要因となり「一歩引いてしまっている」自分もいることもわかっている。その中で「前に進むか」「ステイし続けるか」を決めていくのが人間で、「人間なんてそんなもの」なんだとは思うけれど、「違う、そうじゃない」と思いぐずぐずしているから「踏み出せない」だけで、結局「逃げているだけ、現状に甘えているだけ」なのかもしれない。
 
これからの自分自身の人生の為に必要な行動であり、こんな自分から少しでも決別したく転職活動を進める日々。それこそが「逃げているだけだ」という人がいるけれど、私はそうは思えないし、「逃げることはそんなに悪いことですか」と言いたい。現実を直視つつ行動することが「逃げること」とは思えない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?