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変わらないのは変わること

もうだいぶ、色々なものを手放してきたように思っていたけれど

このところ、さらなるエネルギーの断捨離祭りが起こっている




長い時間を共にしてきた人間関係や

仕事との関わり方だったり



そうか、そこまで手放すのか


と自分で驚き、笑う


けれど、面白いほどに痛みがない




かつて「手放す」ことは、

私にとって大きな痛みを伴うことが多かったけれど

こんなにも捉え方が変わったことに自分で驚く



手放したくないという思い

つまり執着がないと

手放すことは、こんなにもあっさりと軽やかなのか



以前は、大切だから失いたくないものがたくさんあった

それがなくなったらどうしていいかわからない

だから必死で守ろうとした


それらを手放さなければいけないことが起これば、ものすごくつらかった



今は、どうだろう


大切なもの

愛おしいもの

かけがえのないものはたくさんある


それらを失ったとしたら

とても悲しいし、つらいだろう

しばらくの間笑えなくなるかもしれない


だけど、怖くはない



それはきっと、

全ては永遠ではないこと

変わりゆくことを深いところで知っているからだろう



そんなことを言うと、

なんてネガティブなことを

縁起でもないと思う方もいるかもしれない




けれど、本当にそうだろうか



それは、悲しみを紛らわせるための言い訳や慰めなどではない

真の平穏、安寧であると

私は心から思う




全ては移り変わる


生まれては消え、そしてまた、消えては新たに生まれている




始まりがあれば終わりがあり

出会いがあれば別れがあり

そしてまた始まりや出会いがある



どんなものであろうと、全ては常に変化している



自分自身も

目に映る全ても

映らない全ても


普遍なのは、変化し続けるということなのだ



それが自然の摂理であり、

それが腑に落ちているのといないのとでは、生きやすさが大きく変わるだろう



何か特定の対象や状態にしがみつこうとすることは、

自然の流れに抗おうとすることだから、当然苦しみを伴う体験となる





今この瞬間も

刻一刻と移ろい、同じものは一つもない




だからこそ、今ここ一点に意識のスポットライトが当たる

この一瞬を精一杯生ききる

それこそが、私たちの与えられた生を最大限に輝かせてくれる




そう考えると、ネガティブどころか、とてもポジティブではないだろうか

ネガティブもポジティブも、常に表裏一体なんだよね






変化が常であることが腹落ちしていると、しがみつく意味がなくなる

そうすると、そこに重たい感情が絡まなくなる


人間関係でも

お金でも

仕事でもなんでも

実はその対象物そのものよりも

そこにまとわりついている自分の感情が、それを手放すことに抵抗しているのだ



その感情の絡みがないと、

つまり抵抗しないと、

「現実」で何かが起きて否応なく剥がされる前に

微細な感覚を感じ取ったタイミングで

あ、これもういいかな〜 手放そう

そんな軽い感覚で自ら手を放すこともできる


大変でつらい思いをしなくとも、

トイレでの排出のようにスルッと簡単に済んでしまうかもしれない


そんなふうに、普段から循環をよくしておくと

大きな手放しのときも、

喜怒哀楽を一つ一つ愛しみながら

その試練のステージを軽やかにシフトしていくことができるだろう

全ては移り変わり、やがて過ぎ去ることを知っているから



絶望してもいい

それが永遠に続くことはないとわかっていれば

個を超えた大きな流れに身を委ねることができる



だから、頭の片隅にでも置いておいて


全ては変化している

変化し続けている

それが不変だということを


夜の灯台のように

宇宙の叡智は私たちをいつも照らしている





RHEA



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