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【28冊目】タイタンの妖女 / カート・ヴォネガット・ジュニア

明日は休店日です。
本日は17時-21時(ラストオーダー20時)です。

このまん防期間は木曜日を休店日としているわけなんですがね。となると、今日のうちにビアーでフィッシュ&チップスなんかをやっておかないといけないということになりますね。明日にはやりたくてもできないわけですから。今日のうちですね。

というわけで、今日のうちにやっておかなくてはいけないことといえば、当店月初のお決まり、ウィグタウン読書部ですね。1月の課題図書はカート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』。一言でいえば「一人の男が宇宙を右往左往する物語」となるのですが、これがまぁバタバタしている。物語の序盤からそのバタバタっぷりはフルスロットルで、そのバタバタっぷりに拍車をかけるのが、よく分からない独自の概念である。開始から10ページと待たず「実体化現象」「クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム(時間等曲率漏斗)」といった概念が現れ、その後も「ユニバーサル・ウィル・ツー・ビカム(UWTB:そうなろうとする万有意志)」をはじめ、物語に重要な役割を果たすかどうかはさておき様々な概念が提示される。それらの概念についてやはり作者はノリノリで「クロノ〜っていうのは一言でいうなら場所なんだ。その場所では全ての種類の真理がぴったり一つに重なっている」なんて説明してくれるものだから、こちらとしても「お、おぉ」みたいな感じになって「なるほどね(わかってない)」みたいな感じになる。そんなことを言うと、この物語はかたっ苦しい物理法則や仰々しい宇宙の真理を理解していないと楽しめないのではないかと感じる方もいるのではないかと存じますが、そんなことは全くなく、それらの概念への理解は「なんとなく」にとどめておいて先へ進んでもとっても楽しい。これは一人の男がたどる悲喜劇が、そっくりそのまま人類の悲喜劇へとなる物語なんですがね。そのシニカルな物言いと、随所に溢れるウィットに富んだ設定などから、作者がノリノリで書いていることが伝わってきますね。ここから先は例によって【ネタバレ注意!】となりますので、どうぞご留意いただいて、先へとお進みくださいませ。

さて。
物語はクロノ〜に飛び込んだおかげで、全ての時空間に存在する波動現象となったウィンストン・ナイルズ・ラムファードが、全米一の金持ちであるマラカイ・コンスタントを自分の屋敷に招くところからスタートする。ラムファードは「全ての時空間に存在する」という特性上、過去現在未来に起こることすべてを知っており、いわば全知の預言者のような立場でマラカイに言う。「君は近い将来、私の家内と火星人によってつがわされることになる」と。マラカイは当然目を白黒させて「火星?」と尋ねるが、ラムファードは落ち着き払って「火星だけじゃない。そのあとは水星に行き、一度地球へ戻るが、最終目的地はタイタン(土星の衛星)だ」と予言を行う。まるで意味の分からない導入ですね。マラカイも当然同じようなリアクションをして二人は別れるのですが、この二人のファーストコンタクトでラムファードはマラカイに「きみは史上最も幸運な人間らしい。その幸運はなんのおかげだと思う?」と問う。マラカイは「さぁね。たぶん、天にいる誰かさんは俺を気に入っているんじゃないかな」と答え、ラムファードはその答えににやりとする。生まれながらに与えられていた資産や容姿、能力を僥倖ととらえ、ある種の傲慢さとともにマラカイは生活をしてきていた。その僥倖はなにによってもたらされたの?との問いに、知るか、そういう星のもとに生まれ落ちたんだよ、と答えるマラカイだが、のちにその回答ゆえに全地球人から憎悪と憐憫を向かられる対象となることになる。物語を順を追っていくと、1地球、2火星、3水星、4再び地球、5タイタンとなるのだが、このように宇宙を壮大に旅して回って描かれるテーマは「身近な人を愛することの大切さ」という、幸せの青い鳥的テーマである。読んでいきましょう。

不吉な予言を受けた後、マラカイは自分の所有していた会社の壊滅的な不祥事をきっかけに全財産を失う。と同時に、地球にスパイとして潜入していた火星人に声をかけられ、火星軍を組織するメンバーとして徴兵される。火星へと向かうロケットの中でラムファードの奥さん、ビアトリクスと、彼のいうところの「つがわされて」息子ができ、息子はクロノと名付けられるが、火星ではそれまでの記憶も自分の名前さえ忘れて、仲間からは「アンク(おっさん)」と呼ばれている。火星へ彼らが連れてこられた目的は、火星軍を組織して地球へと宇宙戦争を仕掛けることだったが、いざ準備万端。さぁ地球を乗っ取ろう!と飛び出した彼らの戦力は、せいぜい地球で言うところの都市部の警官隊程度のものでしかなく、待ち構えていた地球側の軍はおろか、武装した民間人にまでボコボコにされてしまうくらいに弱々だったと言うのは、なんとも間抜けな話で、非常にシニカルな趣がある。火星編も面白いのだが、私が何よりも印象に残ったのは、やはりその次の到着地である水星での出来事である。

火星を発ち、地球へと突撃するはずだったマラカイとその相棒であるボアズの乗った宇宙船は、やはりラムファードの手引きによって水星へと飛ばされる。そこにはキラキラと煌めく菱形の薄っぺらい身体を持ち、吸盤で壁に貼り付いては惑星の僅かな振動をエネルギー源として生きる生物、ハーモニウムがいた。ハーモニウムは振動を食べて生き、生殖は無く、疎通できる意思は二つだけ。すなわち「ボクハココニイル」と「キミガソコニイテヨカッタ」です。それぞれがそれぞれの意思に自動的に反応する生物で、延々とそのやりとりだけを繰り返している、自己肯定感爆上げ系生物なわけなんですがね。そんな生物しかいない水星へ飛ばされたマラカイとボアズは、地球へと戻る算段が着くまで彼らと共に生活をします。それまで餌となる振動の乏しかった水星に「心臓の鼓動」という振動をもった人間が現れたことで、ハーモニウムは2人に懐きます。この生物にいたく心を動かされたのがボアズです。彼は火星では火星軍として徴兵された地球人たちを、痛みで制御・統制する立場にいました。火星での彼は、自分の持つ力に陶酔し、その力で相手に痛みを与えることに感傷を抱かなくなっていたのです。そんな彼が出会ったハーモニウムは、彼に暴力を行使させず、彼から何かを奪わず強要せず、彼がただそこにいるだけで懐いてくれる生物だったんですね。意志の疎通はできない。ただそこにいるだけで懐いてくれる生物との時間は、彼が火星で失った大切なものを思い出させるものでした。そして、いざ地球へと戻ることができるとなった時、ボアズは宇宙船に乗らず、水星にとどまることを決めます。何を馬鹿なことを言っているんだ、さぁ一緒に地球へ帰ろうと、促すマラカイに対してボアズは言います。「おれはこれまでいっぺんでも人間どもによくしてやったことはないし、人間どももいっぺんもおれによくしてくれたことはない」。「おれはなにもわるいことをしないで、いいことのできる場所を見つけた」と。このセリフで、彼がいままで行ってきた火星での振る舞いがどれだけ彼の良心を傷つけていたのかが分かるわけなんですがね。感動的なシーンですね。他者との関わり合いにおいて、どうしてもある種の力が関わってくる現代において、ボアズとハーモニウムの関係は、お互いの存在をただ認め合うという点において、なんとも特別だったんですね。ボアズは1人残された(たくさんのハーモニウムとともに)水星の上で、宇宙船を見遣りながら想像上の自分に対して呟く。「おまえはいい子だよ、ボアズ。さぁ、おやすみ」。自分がしてきたことに自信を持てなかった彼が、ハーモニウムと出会い、その間だけの関係しかなくなった状態になったことで初めて自己肯定を取り戻したように呟く様は、なんともほの悲しい気持ちにさせますね。私ハーモニウムとボアズの関係大好きですね。余談ですが「SuiseiNoboAz」というバンドがおりますがね。めちゃくちゃカッコいいバンドなんですが、これ、バンド名、この作品からとってますね。いままで気付かなかったです。カッコいいので聴いてみてください。

さて。
話はボアズと別れて地球へと帰ってきたマラカイですが、そこでは〈徹底的に無関心な神の教会〉という宗教が幅を利かせており、彼らは「平等」であることに重きを置き、そのため自身の優位なところをわざと打ち消すようなハンディキャップを自らに課して生活をしていた。この宗教もラムファードによるものだが、この宗教が憎悪の対象としているのがマラカイその人である。これは、ラムファードとマラカイのファーストコンタクトの際、マラカイが自分の幸運を「天にいる誰かさんのおかげ」といって憚らず、自らの優位になんの疑問も持たない回答をしたからなんですが、そんな地上へ宇宙放浪の末に帰ってきたマラカイは、そこにいたビアトリクスと息子のクロノとともにタイタンへ流刑にされてしまう。大変テンポがよろしく、地球へ戻ってきたかと思ったら、すかさずゴムまりのように宇宙へと飛ばされてしまうマラカイにこちらとしても苦笑してしまうのだが、舞台はいよいよ最終目的地のタイタンへと到着する。

タイタンでは、ラムファードとトラルファマドール星からきたロボット、サロが待っていた。サロは地球の数え方でいうところ一千百万歳になるロボットで、宇宙の端から端へとメッセージを届ける使命の途中で宇宙船が故障しタイタンへと不時着。そこでラムファードと出会い、ラムファードを通じて地球人に、そしてマラカイの人生に干渉していた。というのも、サロの宇宙船を修理するパーツが地球上にあり、あろうことかそのパーツをマラカイの息子であるクロノが幸運のお守りとして肌身離さず持っていたのである。そのことに気付いたサロは、元地球人で、現在は時空間の旅人となったラムファードを利用して、なんとかそのパーツをタイタンまで運ばせるように仕向ける。ここにきて、いままで描かれてきた壮大な宇宙を舞台にした物語の全てが、サロの部品を届けるためのみに存在していたということが明かされると同時に、全知の神のような存在だったラムファードさえも、サロに利用されていただけだったと分かる。人類はサロに部品を届けるためのパシリとして存在しており、マラカイの破産も、火星軍の大敗も、ビアトリクスとクロノの存在も、〈徹底的に無関心な神の教会〉も、全てはこのために起こるべくして起こったことであり、人類はそもそも自由意志など持ってはいなかったのだ。
この、宇宙を舞台にした壮大なパシリ劇の陣頭指揮をとっていたラムファードは、自分がその指揮をとっていたことに気付かされ、それと同時に彼の実体化を維持させないエネルギーの乱れによって彼は消滅してしまう。それまで神の如く影響力で人類を操っていたラムファードが、彼自身もまた大きな宇宙の意思に踊らされていただけだったという転覆はある種のカタルシスがあるが、そこに色を添えるのが、ラムファードとサロの友情のようなものである。
サロに利用されていたと知ったラムファードは感情的な言葉でサロを責める。消滅しかけているラムファードにサロは「友情の証」として「決して開けてはならない」と言われていた自分の使命であったメッセージを開封し、ラムファードに示す。その行為は、命令を遵守する機械としての本能を超越した行為であり、紛れもないサロの自意識の表れだったのだが、一歩遅くラムファードは消えてしまう。自分の存在意義を放棄してまでラムファードに友情を示そうとしたサロと、ハーモニウムたちにいいことをするために水星に残ったボアズの行動は、どちらも他者との関わり合いが如何に大切なものかを教えてくれる。これも余談ですが、アイドルラップグループ「Lyrical School」の『つれてってよ』という楽曲内にある「届けるメッセージがたとえ点一つでも 何千光年もon and on」というラインもやはり、元ネタはこの作品ですよね。同曲のフックはこんなフレーズである。「『いつ』『どこ』『だれと』で変わってくわくわくする future」。このフレーズは、エピローグで語られるビアトリクスとマラカイが得た哲学にも共通するフレーズで、こういうのがあるから引用ネタの多いヒップホップは楽しいですね。

物語のラスト。サロによる人類の使命を果たし終えて、これからが本当の人類としての新しい幕開けだということが示される中、ビアトリスはマラカイに対して言う。「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」と。続けて彼女はこうも言う。「わたしを利用してくれてありがとう」「たとえ、わたしが利用されたがらなかったとしても」。物語の冒頭で、ラムファードによって「お前はマラカイとつがわされることになる」と宣託を受けた時には、ショックで臥せってしまうほどだった彼女が、最後にいうのがこの台詞なのである。そしてマラカイも最後にはこんな台詞を吐く。「人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されることを待っているだれかを愛することだ」と。この台詞は、この作中の登場人物すべてを優しく包み込む。ボアズにとってのハーモニウム、サロにとってのラムファード、そしてマラカイにとってのビアトリクス。たとえそれがどこか遠い宇宙のなんたら星人に操られていることだったとしても、身近な誰かを愛するということほど掛け替えのないものはない、ということですね。たとえそれが誰かに与えられた運命だったとしても。素晴らしく壮大で、シニカルで、心に残る物語でしたね。ぜひ折に触れて読み直したい作品でした。

というわけで1月の課題図書はカート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』でした。2月は舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』です。身近な人を愛する大切さに触れましたからね。読んでいきましょう。

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