習い事貧乏

という言葉を、mochilistというサイトの記事で知った今日。

mochilist管理人のもちこさんは、小さい頃に沢山の習い事をされていたそうだけれど、しかし高校受験の際には、滑り止めすら受けられないような家計の状態にあった、とのこと。

あ、私と似てるーすぐにそう思った。

私もピアノ・そろばん・学習塾・英会話・書道・水泳(すぐ辞めたけど)・冬にはスキー…親はがつがつと私に習い事をさせた。

しかしながら、目当ての高校に合格させた後の事を、うちの母親は何も考えてはいなかった。我が家に滑り止め受験をするお金はかろうじてあったものの、もしも第一志望の公立高校に落ちていたら、私は滑り止めの私立に通わせて貰えたのだろうか。そんな余裕、我が家には確実に無かったはず。


習い事をしていて、特にピアノに関しては、本当に良い経験になったと思う。ピアノだけは私が自分からやりたがったことだったし、何より今のバンド活動に役立っている。

そろばんも、簡単な暗算なら今でもスッと出来る。ちなみに一級まで取って辞めた…という話をしたら、知り合いの中国人の奥様にえらく褒められた。中国ではそろばんって今でも重要視されてるのかな。そろばんも地味に私のオススメ習い事のひとつだ。暗算は便利なのだもの、本当に。

けれど、英会話なんて4年近く習ったのに、正直あまり役立ってない。私の場合、これが社会人になってスクールに通って、だったらば、逆に身についていたんじゃあないかと思う。子供の頃に貴重な土曜日の数時間を潰して通った英会話は「土曜日くらいもっと遊びたかった、」という記憶のみを色濃く残した。(日曜には教会学校に行っていたので、余計にそう思ったのだろう。)

塾に関しても、これがもし公文式とかなら違ったかな、とも思う。勉強する習慣をつけるのと、塾で決まった時間に授業を受けるのは、はっきりと違う。私は塾に慣れ過ぎて、高校に入って習い事を総て辞めてからは、がくんと成績が下がった。学校の授業をまったく理解できなくなった。私は「塾の先生の授業」しか理解できていなかったからだ。

(勿論、塾がいい結果に繋がるお子さんが殆どでしょうし、習い事批判をするつもりもありません。あくまで私の場合です。あしからず。)


子どもの頃、習い事のひとつもしていないコは…とマイナスに見る風潮が、少なくとも私の周囲には存在していた。親の世代が、就職氷河期より前に若者時代を送った人ばかりだったからじゃあないかとも思う。もしくは、不景気で就職難で…という時代に差し掛かり、自分の子どもには将来の苦労をさせたくない、と、「子ども時代に負わせる苦労」に走ったか。

けれども今の子どもたちの親御さんには、もちこさんのよに、柔軟で堅実な考えをお持ちのかたも多いのだと、改めてほっとさせられた。不幸の連鎖を断ち切る力のある大人が、着実にこの国に育っている。このまま明るく、社会を照らしていって欲しい。そう思う。

(えらそうに、ごめんなさい…)


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