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埋めようと焦がれて沈む

Twitterで「#人生で300回は聴いた自信があるアルバム」というハッシュタグを見かけた。すぐに私の中に浮かんだのは、このアルバムだった。

私はこのnoteで、よく19歳になった夏の思い出話をする。あれから何度も何度も夏を繰り返して、それでも自分の中に色濃く残る夏だ。

私はその夏にこのアルバムを買った。近所のゲオの中古コーナーに売っていたのだったと思う。バイト先の同僚にミスチルを勧められて、自分の職場(〇ックオフ)でまずミスチルのサイのジャケットのベストを買ったのが春のこと。それからミスチルにハマったものの、赤貧生活だった私は、中古で安くなっていたこのアルバムを、やっと買えたしだいだった。

夏にはすっかりメンタルをやられていた私は、ほぼほぼ無職となり、暗い部屋でこのアルバムを何度も何度も聴いた。ホームセンターで安かった折りたたみベッドは寝心地が悪く、しかも広げれば部屋の面積のほとんどを占めてしまう。窮屈な部屋だった。ベランダも無く、出窓は気に入っていたけれど、湿気ですぐに硝子が濡れてしまう。そんな部屋で繰り返し、このアルバム、もしくはバンプオブチキン辺りを聴く日々だった。

半分、死んでいたのかも知れないと思う。

私はあの頃、いつ死んでもいいと思っていた。生きているのが億劫だった。私はあの夏、たぶん死んだのだ。私は私の魂の半分を殺めた。妥協か、現世への未練か、そういったことで半分は生命を残して、私は私を、殺してしまったのだと思う。

正直、この夏のことはかなり時間をかけて思い出している最中で、今でもいろんな記憶が突然蘇る。自分にとって、この夏のことはきっと、できるだけ取り戻すことで、これからの自分を歩かしていく為の動力にできるのだと思っている。だから以前書いたこととちょっと違う所とかあったら、私の記憶の錯誤によるものです…ごめんなさい。

そう、私は、殺してしまった自分の分の記憶を、今、取り戻しているのだと思う。

さて、その頃の私は、とある作家の本を貪るように読んでいた。菜摘ひかるという、その当時はまだ、亡くなってしまってからそう時間は経っていなかった、元風俗嬢という経歴を持つ夭折した作家だった。

高校三年で家を出てアパレル業界で働いた。その後水商売に転じた。風俗嬢として従事した職種は、SMクラブ、イメクラ、性感マッサージ、ホテトル、ソープランドなど多岐に渡った。風俗嬢として働く傍ら、エロ本のヌードモデルやマニア向けアダルトビデオのモデルなども行っていた。
1998年(平成10年)頃、大手商用パソコン通信サービスPC-VANの事務局直轄フォーラム「わかばマーク(WAKABA)」やSIG「SFデーターボックス(SFDB)」において、ハンドルネーム「ともみ」として活動。後の著作、『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』などで描かれることとなる風俗嬢としての経験などを披露した。このPC-VANでの活動を通して、フリーライター・夏原武と知り合い、自身もライターとしての活動を行うようになった。「流しの風俗嬢」として執筆を続けた菜摘は漫画も描き、風俗業界を辞めてからも精力的に活動して小説も発表した。—以上、Wikipediaより引用。

近所のスーパーの中に一緒にあった古本チェーン店の、とてもよく見える場所に彼女の著書が置かれていたのだ。そして私は彼女の作品に触れることとなった。

まったく私の知らない、別世界を生きる人の様で、実際は何かが私と同じだった。それに私は気付いたのだ。なんとなくでも彼女に近づいてみたくって、すすきのの飲み屋の求人にメールだけ送ってみたりもした。免許証の無い私は、高校の卒業アルバムも買わずにきてしまったから、年齢を証明できるものが無いことを理由に面接にすらこぎつけなかった。

椎名林檎が「ギブス」のPVで着ていたモルガンのワンピース、とは違うけれど同じモルガンの古着を数枚、安く見つけて、それを着てみたりもした。成熟した女性に似合うデザインのそれは、胸の薄っぺらな私にはとても似合わなかった。それでも私は、少しずつ自分を「女」に落とし込んでいく作業を始めていた。

殺してしまったのは、少女の私であったのかも知れない。

大学の推薦入試にも入学式にも、敢えてスラックスだったりのやや男っぽい服装で向かった私だった。高校時代にスカートが捲れてうっかり下着が見えてしまったことを、クラスの男子に気持ち悪がられたことがある。お前のなんか見ても吐き気がする、的ななじられ方をしたのだ。そういうのもあって私は、自分の性を押し殺すような真似をしたところがあった。長野まゆみの小説に出てくる男の子みたいになろうと、彼らが着ていそうな洋服を探したりもした。

けれどもそんなことをしたって、私のからだも中身も結局は雌だった。欲しいものは私を庇護してくれる、愛してくれる雄だった。

そういうことを、もうこの世にはいない菜摘ひかるが、著書を通して私に学ばせた。彼女の文面からは孤独がにじみ出ていた。彼女が好きでしてきたはずのセックスが、彼女を毒の様に蝕んでいった様に見えた。彼女の死の理由はよくわからないままだけれど、それはきっと「よくわからないまま」にする必要があったのだろうと思う。検索でやっと見つけた彼女の顔写真は、少し気の強そうに見える反面、どうしてか儚げで、ひたすらに物悲しかった。

世の中にはそう簡単に埋まらない孤独があることを知った。それを埋めようとして人は、まるでそれが誰かの肉体で埋められるかのような錯覚を起こすのだと、私はなんとなく察した。それがもし心を埋めたとしても、きっと一瞬のことなのだ。どうせすぐにまた穴は開く。泣き声がそこから響くさまは、本当に、地獄だ。何も無い、誰もいない、地獄なのだ。

ミスチルの桜井さんの声はとてもセクシーで、けれども優しさにも溢れていて、ひたすらに愛が充ちている。私は桜井さんの歌声に沈んでいく様な夜を何度も繰り返して、それを安定剤にするかのように求めた。苦しかった。自分が孤独であることに気付いてしまった毎日は、死んでしまった方がずっとずっとラクに違いなくって、私は菜摘ひかるが、もうこの世にいない彼女が、うらやましかった。そして完全に死んでしまう勇気のない自分が憎らしかった。

菜摘ひかるを真似て飼ったミドリガメが、今年、卵を産んだ。

つい、笑ってしまった。笑ってしまったけれども、菜摘ひかるが飼っていた「カメくん」は、彼女の死後、いったいどうなってしまっただろうと考えた。カメくんを大事にしていた彼女だ、きっと自身が危うくなることを悟って、悪い様にはしなかったに違いない。

誰に薦めても「風俗嬢」というワードがひっかかって、ロクに菜摘ひかるを知ろうとしては貰えなかった。皆、何を勘違いしているのだろうと思う。でも、彼女は彼女で、人とは一風違った生き方をすることで、自分を守っていたところがあるのかも知れない。「風俗嬢というだけで眉をひそめる人々」の中にいたらきっと、彼女の孤独は際立ってしまったに違いないから。

私が未だに文章をお金にすることに憧れを抱くのは、きっと、心の中に菜摘ひかるの存在があるからだと思う。私は彼女の遺した孤独を忘れない。この孤独はきっと、同じ孤独を抱いた者にとって、救いをもたらす。目に見えた救いは無い。ただ、心のどこかに、安らかなものを与える。ああ、自分だけじゃあ無いのだと、自分は孤独であっても一人ぼっちではないのだと、気付かせてくれるから。

生きることは、死んでしまった誰かのことを、忘れずに繋いでいくことでもあるだろう。

けれども、あんなに疲れ切っていたであろう彼女だ、たとえばお盆に無理して戻ってこなくとも構わないから、天国でゆっくりと休んでいて欲しい。天国という場所が、彼女の愛した沖縄のように穏やかであるといいなあ。

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