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幸せは「アメリ」の赤い色

高校生の頃「シアターキノで映画を観るのがお洒落」みたいな風潮が、私を含めた、一部の美術部員の中にあった。

シアターキノというのは札幌の狸小路にある小さな映画館で、私が北海道を離れてからのことはよく知らないけれど、当時は「大きな映画館で取り扱わない様な映画も観られる場所」という印象があった。
美術部の、二学年上の先輩だった千鶴さん(仮名)が、チェブラーシカの映画を観てきたとかそんな話をしてくれたことが、シアターキノを知るきっかけだった様に記憶している。

正直得体の知れなかった(失礼、)チェブラーシカというロシアのキャラクターは、千鶴さんのプレゼンによって途端に「かわいくってお洒落なキャラ」へと認識を変えた。
千鶴さんはとてもとても穏やかな人で、確か卒業後は保育士の免許を取れる先に進学していたと思ったけれど、いかにも「せんせい」と呼ばれて幼児たちに愛されていそうな、そういった柔らかい雰囲気を常に絶やさない人だった。
そんな千鶴さんが教えてくれた、シアターキノ。
田舎の中学を卒業し、ほんのちょっと都会の高校に進学し、「ほんのちょっと都会」がホームタウンの同級生たちの中で揉まれつつ美術部で活動していた私と友人は、千鶴さんの教えてくれたものが兎角お洒落な文化に見えて、そのきらきらした輝きに憧れを募らせた―んだと思う。

そんなシアターキノで「観よう、」と決めて、確か冬の日に観に行ったな―と記憶を呼び起こし、確認の為にネットで検索したらどうやらやはり冬の公開で、かなりの人気作だったのだという、その作品が「アメリ」だった。

知ったきっかけまでははっきり覚えていないけれど、おそらく当時愛読していた「KERA」という雑誌からか、それこそ千鶴さん情報によるものだったに違いない。
でなければどうして、只のおぼこい高校生がフランス映画になぞ興味を持つだろうか。

雪で白く染まっていたであろう街を電車で乗り継いで、映画なんて地元の公民館に来ていた流行おくれの作品を観る上映会(…が、私の地元ではよく行われていたのだけれど、埼玉生まれの夫は知らないらしい。学校の前で割引チケットを配っていたものだ…)くらいしか、ロクに観てこなかった田舎の少女たちだもの、たぶん緊張もしていたはずだ—そうしてどきどきしながらシアターキノにたどり着き「アメリ」を鑑賞したのだ。

正直なところ、ストーリーについては「ああ、なんだか良かったな」程度のふんわりとした感想しか持たなかった様に思う。
ただ、アメリの部屋の壁紙の鮮やかな赤さがとってもかわいくって、
「ああ、私いまとってもお洒落な映画を観ているんだ。」
という高揚感で、私の心は(おそらくは友人の心も)、シアターキノを出た後も、とにかく幸せ一色に包まれていた。
そう、その時の幸せの色って例えるならば、それこそアメリの部屋の壁紙みたいなきれいな赤だったに違いない。

当時の私はとにかく洗練されていなくって、田舎者丸出しというか、それでいて半端に「音楽」とか「美術」とかを齧っていたせいもあって同級生たちの趣味嗜好から外れて—周りが流行りのアイドルを聴いていても自分はビートルズの楽曲のオーケストラアレンジを聴いちゃう、とかそういうことを平気でやってしまっていた。
今でこそ多様性とかそういった言葉が世に広まっているし、ちょっとくらい癖の強い子どもでも、周囲と打ち解けられる土壌にあるのかも知れない。
でも、当時は違った。
勿論、変わり者過ぎた私の頑固さがいけなかったところもある。
「あんた達と迎合するくらいなら一人でいい、」という確固たる信念のもとに、嫌われ者上等!でやっていた私だったのだもの。

ただ、そんな私でも本当は、誰かに認めて欲しかったんだと思う。
だから、例えば千鶴さんの教えてくれた「お洒落なもの」に惹かれた。
それに触れていれば、自分もお洒落になれそうな気がしたから。
自分もお洒落になれれば、他人ひとから愛してもらえるような、そんな気がしたから。

「アメリ」だけがきっかけだったとは言い切れない。
ただしその後の私は、岩井俊二監督の作品にハマってしょっちゅうレンタル屋さんに行ってみたり、映画館にまで足は運ばずとも、そうして映像作品に触れる機会を増やした、と記憶している。

今の私はすっかり映画、もとい映画館かな―からは離れてしまっている。
せいぜいサブスクリプションでたまに、自宅で映画を観るくらいだ。

けれど今でもふと、シアターキノで「アメリ」を観た日の朧げな記憶を呼び起こそうとすると、なんだかすっぱい苺を食べたみたいに甘酸っぱくてきゅうっとした感覚に心臓がヤられて、同時に脳内に鮮やかな赤が浮かび上がる。

私の大切な思い出は、今でも色褪せない真っ赤な幸せで染まっているのだ。


#映画にまつわる思い出

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