スモールステップだけの教員は要らない

当たり前の話だが、人間には得意不得意がある。

しかし、その人がどうしてそれを得意と感じるようになったのかを考えていくと、
それは成功体験の有無が重要なファクターとなっていることが多い。

お父さんやお母さんに褒めてもらえた、
先生や友達に賞賛された、
などの経験と自分の能力を結びつけることで、「これが得意だ」という自信になるということだ。

もちろん反対に、否定された、修正された、バカにされたなどの経験が自分の能力と結びついた場合は「これは不得意だ」という認識になる。

このことは多くの人間が実体験として確信をもっており、学校教育においても、子どもの活動を極力肯定的に捉え認めてあげることが、その子の自信やその後の主体的な活動につながるとされている。

成功体験を積み重ねることが大切であるという考えからか、学校では『スモールステップ』という考え方が広がった。

スモールステップとは、小さな目標を一つずつ達成しながら、最終的な目標に向かうことである。

しかし、世の教員の多くはこのことを間違えて認識している。
おそらく多くの教員は
『できない子のためにハードルを低くすることで成功体験を積ませる』
のような解釈ではないだろうか。

しかし、正しくは
『目標のハードルを超えるために、一旦ハードルを下げてあげることで、ハードルを超えるのに必要な課題を明確にする』
である。

勘違いした教員は、いたるところでハードルを下げ散らかして、下げたら最後上げることはない。

下げっぱなしのハードルはスモールテップではない。

スモールステップを設定するのであれば、本来の目標を見失うことがないように慎重にならなければならない。
本来の目標を達成できる道のりがイメージできないのであれば、それはスモールステップではない。

スモールステップを作って、それを乗り越えさせて、教員とその子どもが一時の満足を得て終わりでは何の意味もない。
ただの甘えん坊ができあがるだけだ。

私はスモールステップを否定しているわけではない。
スモールステップは指導のテクニックとして優れている。
スモールステップでその子の課題を明らかにし、自覚させ、その課題を解決に導くことこそが真の賞賛に値する。

外観だけを気にして、本質を理解しようとしない教員は、自らのスモールステップを設定して、自分の課題を自覚していただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?