「嫌われる勇気」とはなにか?

『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健 ダイヤモンド社)を読んでの感想です。

この本のタイトルをそのまま鵜呑みにしてはいけない、というのが率直な感想です。
内容をつぶさに読んでいけばわかるのですが、「自己中心的」だったり「嫌いな人を受け入れない態度」を肯定するものではないからです。
(ただ、人間関係に悩む人には「嫌われる勇気」が必要だと思います)

「嫌われる勇気」を持つことは目的でもなく手段でもありません。
「幸せ」を求めたときに行き着く、一つの要素なのです。

多くの心理学や哲学がそうであるように、アドラー心理学も「幸せ」について考えることを前提としているのです。

本書では「幸福とは、貢献感である」としています。
しかし同時に貢献感を得るために承認欲求を求めることを否定しています。

なぜなら承認欲求を求めることは他者の期待に沿うことであり、不自由な生き方であるからです。貢献感を得られても自由がなければ幸福にはなれないのです。

相手の期待に応えないという選択をすれば相手に嫌われることもあるでしょう。
しかし相手が自分を嫌うかどうかは「他者の課題」であり、自分で解決できることではありません。

このような状態を受け入れるために「嫌われる勇気」が必要なのです。

それでは承認欲求を求めずに貢献感を得るにはどうしたらよいか?
そのための答えとしてアドラー心理学では「共同体感覚」を上げています。

共同体感覚で重要なのは、自己への執着を他者への関心に切り替える事、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」、他者は敵ではないという「他者信頼」、そして共同体の中で自分の価値を実感する「他者貢献」。

それらによって「ありのままの自分が、共同体に受け入れられている」という感覚を感じることができるらしいのです。

「嫌われる勇気」を振りかざして自己中心的に振る舞ったとしても、自己への執着を捨てきれていないことになります。
同様に嫌いな人を受け入れない態度は、他者への関心が低いということになります。

貢献感を求めて承認欲求を満たそうとしても不自由になるように、
自由を求めて自分勝手に振る舞っても貢献感は得られないでしょう。

アドラー心理学とは「自分が自由であること」と「他者の中で生きること」の両立を諦めずに、幸せになることを目指した学問ではないでしょうか。

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