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1.2 国家と個人 近代についての省察②

個人と国家は、1.1で述べたとおり相互依存的な関係にあり、お互いに影響を及ぼしあいながら成長してきた。その軌跡を簡単にたどる。
といっても小難しい話をするわけではない。単に、夜警国家から福祉国家へという流れを押さえておきたいだけである。
最初期においては、近代国家は極めてミニマムなものであったし、およそ国民の福祉なるものは国家の眼中になかったと言ってよいだろう。彼らの権能は主に軍事・警察に限られ、自国民はこれらに他国や暴漢から生命を守られていたが、それ以上の保障は特段なかったわけである。
そこから近代国家は福祉国家へと変貌を遂げていくこととなった。その変化についての説明方法は無数にあるが、例えば、ビスマルクのように、社会主義への対抗として、飴と鞭の前者として整備していったものかもしれない。戦争が大きなきっかけとなったのかもしれない。いずれにしても、そこに見られたのは、個人の拡張であり、それは国家に依存した形のものであった。もはや、個人は国家によって生命のみを守られる存在ではなくなったのである。
そういった営みは、福祉国家の域を超え、フーコーが描き出したとおり、個人の精神・身体にまで影響を及ぼすようになったのであるが、そこまで話を広げる必要はないだろう。
個人と国家の間で様々な駆け引きの結果、社会権のような新しい権利が次第に認められ、個人の権利は著しく伸張した。また、日本においては、公的年金や健康保険制度といった社会保険制度が、この過程で整備されていき、その結果、個々人はリスクが顕現したところで、国家の力によりそのリスクを最小限にとどめることができるようになったわけである。
これは同時に、国家の拡大も意味していた。大きな政府の誕生である。また、個人の増長こそが国家の増強にもつながっていたことも見逃せない。かつての国力増強とは、すなわち軍事力の増強であり、個々の兵隊の強化であった。厚生省の誕生が1938年であることは大変示唆的である。
こうして、国家と個人は原則として手と手を取り合いながら成長してきたのである。もちろん、その裏側には、壮絶な個人と国家の争いがあるわけであるが、ここでは抵抗する個人の背景にも国家が存在することもあると指摘するだけにとどめ、次に移りたい。

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