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戦争は悪なのか。

毎年8/15の終戦日。
どこのメディアも「戦争の記憶を風化させてはいけない」と報じる。
「多くの人命を失わせた戦争は二度と起こしてはならない」と。
だけどそんな薄っぺらい一文では戦争に対する理解は不十分だ。

約80年前の戦時中、多くの人命を失うことは鼻から分かってた
いや寧ろ、多くの人命を救うために戦争という選択肢を取った。
アメリカ合衆国という大国と敵対し、経済的措置を取られ、自国の国民を守るために戦争に参入せざるを得なかったという言い方が正しいように思う。
それなのに近頃の戦争に対する言説のほとんどは戦争反対派で、「多くの人命を失ったから」という一点しか主張しない。

「ビデオゲームの感覚で人命を使って戦争してました、だから今後は戦争しないようにしましょうね。」
と聞こえてならない。

そういった言い分を聞くたびにとっくに戦争の記憶は風化しているじゃないかと思う。

僕が怖いなと思うこと、それは今の日本の戦争に対する考えが、「人命を失い敗戦し、みんな不幸になったのだからもう戦争は二度と起こさないようにしよう」というものだということ。
敗戦して何も得られなかったからもう二度と戦争はしないようにしようね、と。

じゃあ、あのとき戦争で勝ってたら?
世界に対する影響力は日本が持っていたかもしれない。
ビルボードじゃなくて、”歌謡曲順位表”みたいな名前になっていたかもしれないし、世界の公用語は日本語だったかもしれない。
経済力も圧倒的一位なのかもしれない。
そういった全ての恩恵を受けてもなお、戦争はすべきじゃないと言えるのか。
多分ほとんどの人は言えないと思う。
現に、勝戦国のアメリカ合衆国は戦争を悪いとそんなに思ってない。
行使できる当然の権利だと思っているし、原爆を落としたことを誤りだと毛ほども思っていない人間はいる。

ただただ「戦争を風化させてはいけない」と報じるよりも、戦争について考えられる問いが僕はあると思う。
それは、「逆にどういうときであれば戦争を起こしていいのか」だ。
もしくは「どういう状況であれば国に命を懸けようと思えるのか」だと思う。

僕は日本という国が大好きだ。
神道という宗教が大好きだし、日本語という美しい言語を守りたい。
この国が他の国によって蹂躙され、文化が無くなり、日本人という国民自体も消されてしまうのだったら、自分は国や家族を守るために戦いたいと思う。

だから僕の自分の問いに対する答えはある程度出ている。
自衛の為なら戦争を起こさざるを得ないと考えている。
同じ理由で他国を蹂躙することには猛反対だ。

ただこの自衛の範囲は凄く難しい気がする。
仮に他国が攻め入った際、自国の範囲内での守備に徹する籠城は、いつか限界を迎える。
そうなったら反撃も必要なのかな…
でもそれは外交でどうにかしてほしいな…
アリかナシかだったら、最終手段としてはアリなのかな…と。
ここはまだ考え途中。


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