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自分の嫌いなところを断腸の思いで垂れ流す。

僕の心の恥部。
自分の心に耳を傾ける。


自己肯定感の低さ

僕の自己肯定感はかなり低い
認めたくないけれど。
自己肯定感が低いとは。
それは自分の求める理想から現実が乖離しているときにどう感じるか、にあると思う。
自己肯定感の低い人は乖離しているときに、なんてダメなんだろうって考える人。
肯定感の高い人は、伸びしろがあるとか、よっしゃ頑張ろってなる人だと僕は思う。
僕は間違いなく前者
繊細だし引きずりやすいし自己嫌悪にすぐ陥る。

どうしてこうなのか、ひとつ理由を挙げるなら、僕は人に恵まれた一方で、「恵まれ過ぎた」というのがあると思う。
端的に言えば、周りに優秀な人が多すぎる
開成→一浪→東大の僕が普段接する人間は、才能の塊の上に努力までする人たちで構成される。
彼らと無意識のうちに”比較”して焦りが生じているんだと思う。

ただ留学で良い意味で凄く休憩になっている。
ノルウェー人はビックリするくらい自分大好き人間だし、隙あらば休もうとする。
なんか自分が幸せだったらそれでいいんだなって少しずつ変わってる気がする。

プライドの高さ

自己肯定感の高さとプライドの高さは必ずしも一致しない。
自己肯定感とはあくまでも現実と理想の差に対する感じ方。
そして自分は現実そのものには凄く満足している
東大生であり、帰国子女であり、体育会系にも属し、彼女もいる。
スペックは高いと割と本気で信じてる。
(自分でも言うのも恥ずかしいけれど、心の恥部なので許していただきたい。)

現在の自分に自信がある。
だからこそ、自分自身やそれに付随する思考にも自信がある
プライドが高いというのは他人を見下すことではない。
他人を見下すことは自分の中ではあまりしていない認識がある。
ただ、自分自身であったり、得意であったり考えてきたことに関して、時として少し度を超えた誇りや自信があると思う。
つまり、”自分の方が正しい”と強く思ってしまう。

そうすると厄介なのが、他人の意見を聞けないこと。
自分の悩みであったり答えを欲していることに関しては素直に意見を貰える。
しかし、自分が一人で解決できそうなことやもう既に答えを出していることに関して口を出されると腹を立ててしまう
これがよくない。
腹を立てなくても、もう考えたことあるしなと思考を止めてしまう。

分かった気になる

それに伴って、分かった気になる
これは結構自分の中での課題。
自分が頭がいいと思っているからこそ、自分の予測と現実が相違ないと思っている。
実際そうだった。
だから食わず嫌いをしていしまうし、結果が見えているからこそそこに労力を突っ込めない。

今「自分の嫌いなところ」として何個か箇条書きにしているが、箇条書きにしたことで満足をし、思考が止まる。
効率はいいのかもしれないが、思いつかず無自覚な嫌いなところを無視しているかもしれない。
思考を止めることはやめたいな。

完璧主義

後は自分は完璧主義
全て一からやろうとし、途中で躓くと途端にやる気が失せる
僕の家には途中で終わった日記が結構ある。
てか今手元にある。笑
あ、あとノートも。笑
大学の授業ごとにノート分けて使うんだけど、全部使いきったためしがない。
その積み重なったノートを見て、できなかったことを実感してしまう。

完璧にならないなら諦めちゃえっていう思考はやめたいなって思う。
いや、完璧にできるかどうかは正直どうでもいい
どっちかっていうと「うわ、やめちゃった…」っていう自己嫌悪。
こっちをやめたい。

自分が今までやってきたことで、完璧なことってほとんどない。
てか一個もない
それでもなんだかんだ積み上げてこれてるし、不完全でも続けていくことの方が大事なんだよなって冷静に自分を見て思う

結び

必要なときに必要なことが起こるっていうキリスト教的な考え方結構好き。
多分今、自分の嫌いなところに目を向けられているのは、単位取得も必要ないし、就活も終わっていて「やらなきゃいけないこと」が何もない留学中の今だからこそだと思う。
何もやらない日があってもいい。
何もすることがないノルウェーを選んでよかった。笑
高校の恩師の言葉を借りれば、今は「人格の再編成」のときなんだろう。

この痛く辛い感情はきっと自分の成長につながる
「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く。」
原石を傷つけて宝玉とするように、この傷は自分をいつか輝かせてくれると信じて。


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