オワリはじまり23 「約1ヶ月遅れのバースデープレゼント」

11月25日土曜日、僕は2ヶ月ぶりに母の家に泊まった。
そして母に対するバースデープレゼント第1弾として僕の十八番料理である、牛ステーキとたたきの間の名もない料理をサプライズで作った。ちなみにいつもはトライアルで購入した800円ぐらいの豪州産の牛もも肉を使うが、今回は贅沢にも、山口県産と宮崎県産の牛もも(合計2000円)を使用して作ってみた。

ちなみに母の誕生日は先月の下旬。
恥ずかしながら、僕はこれまでの人生で母に誕生日らしいことをしたことがなかった。理由は学生時代までは謎の恥ずかしさから、社会人になってからはコロナで地元に帰れなかったり、介護中はとにかくお金がなくて何もしてあげられなかった。

ちなみに社会人の初任給を使い母のために何かすることも考えたこともあったが、これまたコロナ禍での行動制限や母から「初任給を使って何かせんと、とか考えんでいい。自分のために使いなさい。」と言う言葉もあり、結局何もしてあげられなかった。

世間からは、祖母の介護を在宅でできる限界までやり抜いた「いい孫」として思われることが多い僕だが、息子としての立場ではココ何年はそれらしいことをできていない。逆に母にはこの2年間一方的にお世話になり、迷惑をかけてしまった。

前述の通り、母の誕生日は先月だったのでできれば先月中に会って何かしてあげたかったが、母の都合が合わなかった。ただし、先月の時点で母の家に11月25日に泊まることは決まっていたので、僕はこの約1ヶ月間のうちに誕プレを何にするか考えに考えることができた。

僕の中での誕プレの基準はただ一つ。
それは「ミニマリストらしく、何か形に残るものではなく、消耗品や経験のような形として永遠に残らないものor一時的に残ったあとすぐに無くなるもの」というものだけだった。

その基準をもと最初に思いついたのは、僕が学生時代にスリランカ人の友達とアメリカ人の先生と何度か訪れた下関にあるイギリス人とパナマ人が経営するクラフトビールが飲めるブリティッシュパブに行くというアイデア。

外国人が経営するパブというなかなか入りずらい店だが、ビールがとにかくうまい。母は僕と一緒でビールが大好きなので、昔から連れて行きたかった。

しかし場所的にどうしても僕が車を出すことになるので、僕はビールを飲めない。
でも、母のためならこの日ぐらい我慢しようと思っていた。

ただ、めんどくさがり屋の母は「めんどくさい」とは言わなかったものの、僕は母とのラインでのやり取りの中で察した。母から間接的に伝わってきためんどくさいという気持ちを一瞬、持ち前の察しの悪さを利用して気付かなかった体で強行突破しようとしたが、母の誕生日になぜ母がめんどくさがることをしようとしているのか、と我に帰り、母の提案通り今回はパブに行かず母の家で母の味を堪能することになった。

母の家に到着後、母のご飯と僕からのプレゼントである料理を食べている時、母からこんな提案があった。

「〇〇ちゃん、今度前行っていたフィリピン料理屋に連れてってくれない?私も気になっていたけど、あそこって独特な空気感持ってるじゃん?行ってみたいけど、なかなか入りづらいのよね。」

フィリピン料理屋とは、地元にあるフィリピンパブのフィリピン人女性オーナーが経営しているお店のことである。僕は介護をしている時に一度親友と行ったことがある。ちなみにその時にオーナーからは、フィリピン料理は日本人うけしないので予約制であることを伝えられ、予約を取るために連絡先を交換していた。

正直、僕にとっては想像外の提案だった。
僕がこれまでフィリピン(セブ島)に行った6回、日本から数千キロ離れた異国の地で暮らす間に食べているご飯を母は毎日毎日気にしていたおり、何十回何百回と母に現地で食べていた料理を写真で送っていたが、いつも「脂っこそうやね」「色が全体的に茶色やね」「野菜もちゃんと取らんとダメよ」などネガティブな感想ばかりだったが、そんな母がフィリピン料理に興味を持つなんて…

次会うとしたら、12月のいつか。
この時期は忘年会シーズンなので母の予定はもちろん、僕のも考慮して会う日(泊まる日)を決めないといけない。シニガンスープ、アドボ、チャプスイ、そして僕は食べれないが母が大好きなニンニクがたっぷりのシシグなど母にぜひ食べてもらいたいフィリピン料理はたくさんある。

母に誕生日プレゼント第2弾として、フィリピン料理を振る舞うために、僕はこれからも引き続き仕事を頑張っていく。


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