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「尊厳」が生まれる場とは──Think Out!013レポート:ファシリテーター編

新しくTOIのメンバーになりました、みばです。
8月に開催した哲学対話プログラム『Think Out! 013:尊厳』では、TOI に入って初めてメインのファシリテーターを務めました。今回はこれまで自分でも哲学対話のファシリテーターを務めてきた私が、テーマ『尊厳』について得られた発見やThink Out!の特徴などの感想をお伝えします。

どうすれば全ての人が互いの『尊厳』を大切にできるのか

今回、「尊厳」というテーマは私から提案しました。
というのも、今年に入ってテラスハウス出演者の自殺や京都ALS患者嘱託殺人事件、コロナ感染者の差別・中傷などの人間の「尊厳」に関する出来事が続いており、私たちは今「尊厳」についてもう一度問い直し、考えるべきなのではないかと思ったからです。

私自身にとっては、「尊厳」という言葉は身近な言葉です。
自分が差別や格差に強い関心を持っており、常日頃から『どうしたら全ての人が、自分を含め、お互いの「尊厳」を大切にしあえるか』を考えているからです。

なので、今回の哲学対話を始める前のチェックインの時間で、「尊厳」についてあまり考えたことがなかったという参加者の声は正直驚きました。そのまま「このテーマで上手く対話が進むのか」と不安を抱きながら始めましたが、対話は想像以上に盛り上がり、様々な問いに発展しました。

「尊厳」とは当たり前にあるもので気づかなかったけれど、私たちにとってはとても身近なものであることを、私も含め参加者の皆さんも実感して頂けたのではないかと思います。

対話の中でも私が印象的だったのは、『友達の「尊厳」は守りたいと思うけど、家族の「尊厳」はあまり守れてない気がして、でも天皇の「尊厳」は守らなくちゃって意識がある』という発見。これは「友達」「家族」「天皇」とそれぞれ、自分からみた関係性の距離に違いがありますが、「尊厳」は“遠い”と守る意識が働きやすくて、逆に“近すぎる”と難しいということですよね。したら「S N S」はどうなるのでしょうか?「S N S」は距離が遠く感じるから、「尊厳」を無視して攻撃しやすくなるんではないかと意見が上がりましたが、すると「天皇」もまた距離が“遠い”存在ですよね。

こんがらがってきましたね。これが哲学対話の真髄だと思いますが(笑)

これに対してある参加者の方が「したら(S N Sなどで)距離が遠くても守りたいと思える存在ってどんな人?」という問いを投げかけてくださり、それに対しては「共感」「その人の多面的な背景を知ったとき」という声が上がり、なるほどなぁ〜と思いました。私が常日頃考えている、『どうしたら全ての人が、自分を含め、お互いの「尊厳」を大切にしあえるか』にも繋がってきそうです。

Think Out!は参加者の主体的な参加で成り立っている

Think Out!の哲学対話の特徴は「発言機会の多さ」と「参加者の主体的な参加」にあると思います。

Think Out!では、全体で十数名の参加者の中からさらに2分割して、対話を行います。そのため、人数が少ない分、話す機会が高い頻度で回ってきます。もちろん、哲学対話では“聴く”も大切になってきますので、Think Out!では強制することはないのですし、参加者の方でも「今日は“聴く”を頑張ります!」とおっしゃってくれる方もいます。ただ、話す機会が多いということは、それだけ自分の考えを話しながら整理する機会があるということと、参加者の価値観のより深い部分に触れられるということでもあると思います。

実際、Think Out!では、それらを実感することが多いです。
また、参加者の方が主体的に参加してくれる姿勢を持っているので、私はほとんどファシリテーションをする出番はありませんでした(笑)

参加者の方から「○○さんはどうですか?」などを投げかけてくださることも多く、ここまでファシリテーターが黙っていても対話が進むのは珍しいのではないかと思います(笑)私が子どもや高校生と対話をする機会が多いため、尚更そう思うのかもしれません。

まだまだTOIに参加して日も浅いので、これからもっとTO Iらしさについては探求していきたいと思っています。

「めんどくさい」プロセスから尊厳や発見が生まれる

哲学対話の場は「尊厳」を守ることができているのでしょうか?
「尊厳」を守ることができる哲学対話とはどんなものなのでしょうか?

近頃、私たちが語る哲学対話の目的や意義には、そもそも多様な人の「尊厳」が考慮されていないかもしれないと考えるようになりました。

では、どうすればいいのか。

全ての人の「尊厳」を守るのは大変だし、正直に言うと、ちょっとめんどくさいところもありますよね。
ただ「尊厳」を守るには、そのめんどくささに目をつぶる必要があるかもしれないと思いました。

何でも便利すぎるこの世の中では難しいことかもしれませんが。

哲学も「めんどくさい」ことですが、その「めんどくさい」プロセスの中にこそ面白さや新しい発見があると思います。

「めんどくさい」にあえて向き合うことに、意味があるのかもしれません。

よろしければサポートいただけますと幸いです。いただいたサポートは哲学対話を広げるために使わせていただきます。