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スーダン 邦人退避~心強く感じるオペレーション

スーダンの情勢悪化のため、在留邦人の退避が行われました。情勢悪化が伝えられてから2週間にも満たない期間で大部分の邦人の退避が実現したことに、関係者の方々の相当な尽力が伺えると思いました。

在留邦人の退避オペレーションについては、個人的にも直接かかわったことがあるため、このようなスムーズな退避がいかに困難なことであるかをよく理解しています。自衛隊の現地派遣について、過去10年ほどの間に法制度が改善されるとともに、在留邦人保護にかかる政府全体としての意識の高まりがあったこと。それから、現地大使館を中心とする関係者の「邦人を守る」という強い信念によって実現したものと思います。皆さんのご努力に敬意を表します。(見出し画像はC2輸送機。防衛省HPより)

20年前の状況

私は、03年から06年に西アフリカのコートジボワールにある大使館に勤務していました。当時コートジボワールは内戦状態にあり、情勢悪化により2度にわたる邦人退避を行い、最後には大使館を閉鎖することになりました。

当時は、在留邦人保護は専ら外務省・大使館だけが担うことと思われているところがあり、日本政府全体として団結して取り組むという意識があまりなかったように思います。それゆえに、自衛隊機をアフリカまで飛ばせてもらうなどということは、全く想定できませんでした。当時のマニュアルでも、まずは民間定期便。それがだめなら、チャーター機か他国への支援要請。それもだめなら、相談してくれ。そんな感じでした。

そのため、民間航空機が定期便もチャーター機も飛ばない情勢になったら、旧宗主国で軍が常駐するフランスのほか、イギリス、ドイツ、スイスなどにかけあって、それらの国の救援機に在留邦人を乗せてもらうほかありませんでした。欧州各国には、まず自国民、次にEU市民、最後にその他の国の国民という優先順位があります。その中に日本人を入れてもらうのは、なかなかに高いハードルでした。

また、空港までは、銃声の鳴り響くなか、通常の大使館の乗用車で邦人を輸送しなければなりません。大使館員は、そのような「戦時」における行動の訓練を受けていない通常の事務官です。タイミングが合えば、他の国の武装車両つき車列に潜り込ませてもらいますが、いつもそれができるわけではありません。慣れない中、頭を低くして手探りでミッションを実現しなければなりませんでした。

アルジェリア・テロ事件の教訓

過去10年ほどの間に、このような大使館員による「孤軍奮闘」の状況は大きく改善されました。第二次安倍内閣の成立と、アルジェリア・テロ事件がその大きなきっかけとなりました。

12年12月に成立した第二次安倍内閣は、自民党(及び公明党)が民主党から政権を取り戻した最初の内閣で、「危機管理内閣」というのを一つの標語にしていました。その成立の翌月、13年1月にアルジェリア天然ガスプラント襲撃テロ事件が発生し、日本企業関係者が巻き込まれたのです。

「危機管理内閣」というのは、本来はどちらかと言えば、震災からの復興や、日本経済低迷の打開といったことが念頭にあったのだと思います。しかしこのアルジェリア・テロ事件は、非常に目に見えやすい形において、政権としての「危機管理」のあり方が問われる事件となりました。

この時、外務本省の側において邦人保護を担当していた私は、政府内、特に総理官邸から邦人保護のための強い追い風を感じました。事件発生後すぐに防衛省に自衛隊機・政府専用機の派遣の可能性を打診した際には、防衛省の反応が芳しくなかったのですが、総理官邸の強い意向が防衛省側に伝わると、あっという間に防衛省の姿勢は変わりました。

結局、巻き込まれた邦人17人のうち10人は命を落とすことになり、痛恨の極みでした。自衛隊によって運航された政府専用機でこれら邦人及びご遺体を輸送しました。これが日本から派遣された自衛隊機による邦人輸送の最初の例となりました。

その後、政府内においてこの事件への対応についての徹底した検証を行い、多くの改善点を洗い出しました。自衛隊機派遣のあり方もそのひとつでした。

アルジェリア事件以前にも、邦人輸送のための自衛隊法関連規定は何回かにわたって改正を繰り返してきました。それでも、外務省で邦人保護を担当する私達から見れば、邦人保護のための自衛隊派遣には非常に高いハードルがありました。

しかし、それはそもそも憲法9条からくる自衛隊に対する制約という面があり、外務省の側から強く改善を求めることもできませんでした。それがアルジェリア・テロ事件のショックによって、政治的にも邦人保護に果たす自衛隊の役割を拡大(柔軟化)すべしという機運が高まったのです。

この機運をとらえ、外務省の側から改善すべきポイントを積極的に提起していきました。いくつもの課題がありましたが、中でも大きな論点は「輸送の安全」の問題と「車両による輸送」の問題でした。

「輸送の安全」

その当時の自衛隊法では「輸送の安全が確保されている」場合のみ自衛隊による邦人輸送が行えることとなっていました。しかし、輸送の安全が確保されているような状況であれば、そもそも退避など必要ないのではないかという思いを、私たちは強く持っていました。

それに、「安全が確保されている」という受け身の形になっており、派遣される自衛隊が安全を確保するのではなく、誰か他の人が確保した安全の中に自衛隊が行くというように読めました。そのため、外務省と防衛省とのギリギリの折衝の末、「予想される危険」を回避し「輸送を安全に実施することができる」場合に邦人輸送を行えることと改めました。

しかし、この改正でも依然不十分という印象を与えたのが、21年のアフガニスタンからの邦人退避でした。この「輸送を安全に実施することができる」ようになって初めて派遣ということが要因で、他国より派遣が遅れたと言われました。そのため22年に自衛隊法は再度改正され、現行法では、「予想される危険」を「避けるための方策」を「講ずることができる」場合には邦人輸送を行えることとなっています。

防衛省としては、一連の改正は、意味内容を明確にするための改正であって、実質的に意味を変えるものではないという整理だと思います。しかし、現実的には自衛隊派遣のハードルが下がり、派遣をより前向きに進めることができるようになったと思います。実際、これが今回のスーダンからの邦人退避にあたっての速やかな派遣につながったと思います。

「車両による輸送」

また、「車両による輸送」の問題もありました。アルジェリア・テロ事件は国際空港のある首都アルジェから1100キロ離れた遠隔地で発生しました。ローカルの小規模空港からも数十キロ離れており、何らかの形での陸上輸送は必須でした。

しかし、当時の自衛隊法では、航空機か船舶による輸送しか認められていませんでした。これは、車両による輸送を行った場合、何らかの戦闘に巻き込まれる可能性が格段に高まることが背景にあるのだと思います。

アルジェリア事件では、結局自衛隊機(政府専用機)がアルジェに到着するタイミングまでに、アルジェリア政府・軍の車両や関連企業の車両にて邦人はアルジェに到着できたため、自衛隊による陸上輸送ができないことがネックにはなりませんでした。しかし、このことは自衛隊の車両による輸送を法制化する必要を強く認識させることとなりました。このため、法改正が実現し、自衛隊による邦人輸送の手段に「車両」が追加されることになりました。

私自身のコートジボワールでの経験からすれば、本当は遠隔か近傍かは本質的な問題ではないのです。邦人が現に所在する場所が首都であったとしても、また空港が同じ市内にあったとしても、事務官である大使館員が、銃声の鳴り響く中、防弾仕様でもない乗用車で邦人を空港まで送り届けることにはかなりの困難があります。そんな時、到着している自衛隊が、安全な空港で「まだかなあ」と言ってただ待っているということは、常識的にあり得るでしょうか?

今回、スーダンからの退避において、自衛隊はアルジェリア後の法改正もふまえ、車両輸送の準備も整えて現地に行ったと聞いています。ほとんどの邦人は国際機関や他国の車両にて自衛隊機出発地であるポート・スーダンまで輸送してもらえたということで、自衛隊車両による輸送の出番はなかったようです。ですが、陸路移動がそのようにうまくいかなかった場合には、自衛隊車両が邦人のところまで迎えに来てくれる。そんな体制がとられたことに、非常に心強く思いました。
(なお、邦人の輸送とは別に、15年成立の平和安全法制の一環で、自衛隊による在外邦人等の保護措置の規定も設けられました。)

検証と改善の繰り返し

今回は、首都ハルツーム及びその近郊以外では情勢が悪化していなかったことや、ジブチに自衛隊の拠点があったことが幸いしたことは確かだと思います。そういった種々の状況を踏まえ、活用できるところは活用し、関係者が的確に判断して退避を成功に導いたと言えると思います。

退避オペレーションは常に綱渡りです。日本政府自身の治安維持権限・能力が及ばない中で、幸運と不運が折り重なり、その中をくぐり抜けるようにしてオペレーションを遂行します。幸運な要素がなかったらどのように対応できたのか、そういった想像力を働かせて検証を繰り返し、体制をさらに強化していくべきなのだと思います。








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