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南シナ海問題~このまま中国がこの海を手中に収めるのか(2/3)

南シナ海問題は、現在の国際秩序が「秩序」として機能しているのか否かを占う試金石のようになっています。先週は、第二次大戦後、中国がいかにして南シナ海に進出してきたのかを振り返りました。

その中国が進出の根拠としてきた「九段線」の主張につき、16年、国際仲裁裁判所がその法的根拠を否定します。今回はその具体的内容と、いかにして中国がこの法的判断を葬り去ろうとしてきたかを見てみたいと思います。

スカボロ礁事件とフィリピンによる提訴

中国の主張する「九段線」は、地図上に示されてはいるものの、これにつき中国政府は「歴史的権益」であると述べるのみで、その具体的根拠や主張する権利の内容・性格につき何ら説明をしていません。このような点をとらえ、中国の主張の有効性につき法的な判断を得るべく、2013年1月にフィリピンがこの問題を国際仲裁裁判所に提訴しました。

フィリピンが提訴した直接的な契機は2012年4月のスカボロ礁事件です。ルソン島沖合のスカボロ礁は、かつてフィリピンが実効支配し、フィリピン漁民にとって重要な漁場となっていましたが、たびたび中国漁民による侵入が繰り返されていました。2012年4月も中国漁民の侵入を契機に、フィリピンと中国の公船がにらみ合いになりましたが、それ以降中国が事実上スカボロ礁を占拠する形となり、フィリピン漁民が締め出されることになりました。

このスカボロ礁事件は、南シナ海における現状を変更する中国の行動の新たな展開を示すものでもありました。それまで中国は、中沙諸島から南沙諸島へともっぱら南へ下って進出していましたが、ここにきて東側のフィリピン沖合でも行動を起こしたのです。

南シナ海地図矢印①②③九段線

この事態を受け、フィリピンはスカボロ礁のみならず、南沙諸島を含む南シナ海全体における中国の主張や活動の違法性を訴え、国際仲裁裁判所に提訴しました。

フィリピンの主張内容は、

・「九段線」内の海域にかかる中国の主権、管轄権、「歴史的権利」の主張は国連海洋法条約に反し、法的効力を欠くこと、

・スカボロ礁や南沙諸島の岩礁は排他的経済水域や大陸棚を生じない「岩」ないし「低潮高地」であること(「低潮高地」とは、低潮時には水に囲まれ水面上にあるが、高潮時には水中に没するもの。本土から離れた領海外にある時は、低潮高地の周辺は領海とはならない。)、

・中国が違法にフィリピン漁船への妨害を行っていること

などからなる15項目でした。

中国はこれに対し、フィリピンの主張に関して仲裁裁判所は管轄権を有さないと主張し、裁判手続きに入ることを拒否しました。中国、フィリピンが締約国となっている国連海洋法条約においては、紛争解決のための義務的手続を選択的に除外することが認められています(298条)。中国はこれに基づき、06年、境界画定、歴史的権原、軍事的活動及び法執行活動等に関する紛争に関しては、仲裁など強制的な紛争解決手続の適用を排除すると宣言していました。中国はこれを根拠に、仲裁裁判所が管轄権を有さないと主張したのです。

海洋法条約上、国際裁判所が管轄権を有するか否かについては、当該裁判所が判断することとなっています。その判断のため、13年夏以降、仲裁裁判所が中国、フィリピン両国からの申述書の提出や口頭弁論を求めましたが、中国政府はこれらをすべて拒否するなど、非協力的姿勢をとり続けました。結局裁判所は、15年10月、フィリピン主張の15項目のうち、岩礁の法的地位や中国の妨害行為の違法性などの7項目につき明示的に管轄権ありと判断し、九段線の主張の正当性など他の8項目については判断を留保しました。

国際仲裁裁判所の判断

管轄権問題を一部留保したまま、国際仲裁裁判所は全体の審理を進め、翌16年7月に最終判断を下しました。それは、

・中国の「九段線」の主張に法的根拠は認められない

・スカボロ礁及び南沙諸島の岩礁はいずれも「岩」または「低潮高地」であり、排他的経済水域及び大陸棚の権利を生じない

・中国はスカボロ礁はじめフィリピンの排他的経済水域における権利を侵害するとともに、環境への深刻な悪影響を与えている

旨の判断を下すものでした。裁判所は、あわせて、係争海域において、中国が大規模な埋め立てや人工島建設を進めていることが、紛争解決の手続の間の国家の義務に反していると断じています。

管轄権判断の段階で判断が留保されていた「九段線」の主張の適否についても、最終的にはその法的根拠を否定する判断が下されることとなり、ほぼ全面的に中国の主張が否定されることとなりました。

先週、「九段線」の主張の性格について4つの解釈が議論されている旨述べました。そのうちの一つ目のみが海洋法条約と整合的に解釈できる可能性があるものでした。しかし、この仲裁判断によって下された岩礁の法的地位の判断は、その一つ目の解釈についても実質的に否定するものでした。

すなわち、仮に「九段線」を「島嶼帰属の線」と理解し、線内の島嶼等の陸地が中国の主権管轄下にあるとしても(そして、九段線内の水域の法的地位は陸地の法的地位から派生して決まるとしても)、少なくともスカボロ礁ないし南沙諸島の岩礁は「低潮高地」(それのみでは領海を生じない)かまたは「岩」(周囲に排他的経済水域や大陸棚を生じない)であると判断されたことにより、「九段線」内のほとんどの海域に対する中国の主張は否定されることになったのです。

仲裁判断前に中国が根回し

裁判所が管轄権の判断を下して以降、中国にとって不利な判断が最終的に下ることは広く予想されていました。そのため、この判断が下る前から、中国は各国に働きかけ、この問題は当事国同士が二国間で解決すべき問題であり、第三国や裁判所、ASEANなどが関与すべき話ではないと説明して回り、仲裁判断の価値を下げるよう動いていました。

最終判断が近づいた16年6月には、中国外務省が声明を発出し、フィリピンが「一方的に」仲裁を提起したことを非難し、二国間交渉を通じた解決の道に戻るよう主張しました。

しかしながら、仲裁裁判の下した判断は、事前に中国が予想していた以上に、中国にとって厳しいものであったと思われます。岩礁の法的地位につき判断が下されることにより、境界問題について中国にとって不利な示唆がなされることは予想していたと思われます。しかし、中国として条約とは別物と考える「九段線」の主張についてまで、明示的に否定されることは想定していなかったと思われます。逆に、中国以外の各国にとって、この点につき明確な判断が示されたことは、国際社会における法の支配の観点から歓迎される結果となりました。

仲裁判断は「紙くずにすぎない」

国連海洋法条約上、仲裁判断は法的拘束力を有するとされています(296条)が、中国は即座にこれを否定しました。

判断が下された当日、7月12日に、習近平国家主席は「中国の南シナ海における領土主権と海洋権益は、いかなる状況下でも仲裁判断の影響を受けない。この判断に基づくいかなる主張や行動も受け入れない」と述べ、この判断を無視する姿勢を表明し、また関係当事国との二国間交渉においても本件判断に言及することを拒否しました。さらに翌13日には、同様の趣旨を詳細に記した「白書」を公表しました。その公表にあたり、中国外務次官は「仲裁判断は紙くずにすぎない」とまで発言しました。

このように、中国は自らの不利な状況を少しでも回復しようと、事前・事後に、外交的・政治的にあらゆる手を尽くして行動しました。もちろん、このように行動しつつも、事実上仲裁判断に誠実な姿勢をとるのであれば理解できます。そうであれば、当事国がある種のメンツを保ったうえで、国際法秩序が一定程度機能しているということができます。

そういう意味で、中国の「発言」はともかく、実際の「行動」として、この仲裁判断がいかに履行されていくのか、履行されないのかが、注目されてきました。しかしながら、これまでのところ、基本的には履行されていないとみるべきでしょう。

中国によるフィリピンの懐柔

まず注目されたのが、提訴したフィリピン自身のその後の対応です。フィリピンでは、仲裁判断直前の6月30日に政権交代があり、仲裁裁判を提起したアキノ政権からドゥテルテ政権へと交代しました。判決直後にヤサイ外相が「画期的な判断を尊重する」「司法判断を無視して二国間協議に応じるよう求めた中国の提案を拒否する」と述べたほか、ドゥテルテ大統領も「(仲裁判断について)交渉の余地はない」と述べるなど、新政権としても中国に仲裁判断の結果を受け入れるよう求める姿勢を示していました。

しかしながら、ドゥテルテ大統領の発言は必ずしも一貫していません。もともと、大統領選前には、「水上バイクで中国が支配する島へ行き国旗を立てる」などと、いかにもポピュリストらしい発言をしていましたが、仲裁判断後に「二国間協議を始める」(7月12日)との発言もしています。それらの発言を整合的に理解しようとするならば、仲裁判断の履行を求めるために二国間協議を行うということともとれますが、その後の姿勢に評価が分かれるところです。

中国は往々にして、国際的問題の解決に関係国同士の二国間協議による解決を求めます。しかし、中国という大国と一対一で対峙することになる中小国にとって、国際社会における正義や法の支配を貫くことは容易ではありません。現実的には、さまざまな経済的利益による懐柔により、正義は捻じ曲げられてしまいます。中国による中小国に対する影響力拡大の手法については、下記の記事も参照ください。

その後二国間協議を開始したフィリピンは、見事に中国の懐柔策に乗ってしまいました。当時、ドゥテルテ大統領が人権を軽視した「麻薬戦争」を展開していたことで、欧米から批判を受けていた状況も、中国は「うまく活用」しました。同年10月20日の中比首脳会談後に見られた状況は、フィリピンが中国に抱き込まれたことを示しています。

確かに、仲裁裁判を提起した直接のきっかけであるスカボロ礁の問題について見ると、その後フィリピン漁船が無事に操業できるようになっており、仲裁判断の一部である「中国によるフィリピン漁船への妨害行為の違法性」につき履行が行われたように見えます。明示的に明かされてはいませんが、これは中国とフィリピンの二国間協議の成果であると見られます。

しかし一方で、南沙諸島における中国の施設整備の動きは止まらず、「九段線」という主張が否定されたことを受けた是正は見られていません。これは、スカボロ礁の扱いや他の経済的支援と引き換えに、中国がフィリピンに対し南沙諸島の扱いを棚上げすることを受け入れさせた可能性がああります。

実際問題、ドゥテルテ大統領は、その後「中国が支援してくれると言っている。米国よ、さようなら」(12月17日)、「(中国の南シナ海軍事拠点化の動きは)深刻な懸念ではない」と述べるなど、中国に対する姿勢が明らかに軟化しました。

このようにして、中国はまずは仲裁裁判を提起したフィリピンを懐柔しました。直接の提訴国であるフィリピンのそのような軟化は、他の国、特にASEAN諸国の中国に対する矛先をも鈍らせることになりました。

しかし、この問題はすでにフィリピン一国の問題ではなく、国際社会における法の支配の確保というより大きな問題になっています。フィリピンさえよければ、それでいいということにはなりません。ここで中国の一方的行為を許せば、今後も世界でこのような行動が横行し、世界は無秩序になってしまいます。

次週は、国際社会における法の支配の維持・回復のため、この問題に国際社会がどのように対応してきたかを振り返り、今後のあり方を考えたいと思います。


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