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忘れてはいけないもの

社会人になってもう半年以上がたった。
激動であった宅建試験を乗り越えて、社会人になって初めての年末年始を迎えようとしている。
ありがたいことに、配属先の部署では環境や人に恵まれ、同期にも恵まれ、思っていたよりも順調に社会人生活をスタートさせることができている。

毎日忙しなく1日の業務タスクをこなし、朝の早起きにも満員の電車にも慣れ、我ながら逞しくなったと思う。
そんな毎日を過ごしていると、ふと自分がいなくなるような感覚を覚える。
自分自身を忘れてしまうような、そんな恐怖を覚えるのだ。

なんというか、自分のリズムではなく社会のリズム、生活のリズムによって身体を動かしているような、もしくは動かされているような、そんな感覚。
今日の体調がどうとか、どこか痛いところがあるとか、疲れ度合いがどうとか、そんな自分都合のことよりも、日々の仕事や生活を回すことを優先した行動を無意識のうちにとるようになっている。

自分がどれほど疲れているかも忘れて、日々を過ごしている。
自分がどれほどのストレスを抱えて、仕事をしているのかも忘れて、日々を過ごしている。

あたりまえにこなしている。
これが普通である。

そう思い込むことで、どれほど自分が無理をして疲れているのかに気付こうとしなかった。
気付いてしまえば、この生活は送れなくなると思うからだ。
行きたくない、やりたくないでいっぱいになって、朝起きることが億劫になる。
そんな思いが湧き上がってくるのが想像できて、そんな自分が怖かった。

毎日仕事をして、与えられたものがあり、その報酬としてお給料をいただき、安定した暮らしを送る。
そうすることで、なにか自分の中の不安定な要素を守ることができるような気がしていた。
ただ、その代償として、なにか自分にとって、とてつもなく“大切ななにか“を失ってしまうような、“恐怖“を同時に生み出していたのである。

なんてことを、私の隣ですやすやと、安心して眠る恋人を見て思う。

久しぶりに、彼の隣でぐっすりと、心の赴くままに眠りについて、
忘れかけていた“なにか“を少し取り戻すことができたような、そんな日曜日。




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