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背の高い人や低い人(あんな人からこんな人まで)

いろんな人がたくさんいたというと、まるで興味がなくて誰の姿も覚えていないみたいだ。普段は出会わない外見の方々(追記:結局、出会ったことのない知らない人たちという意味だと思う)ばかりだったから、忘れてしまったつもりでも、これから夢に見ることはあるかもしれない。ほとんどいつもはひとりでいるならなおさらだ。今日はよく肩がぶつかった。群衆の中を歩いたのはいつぶりか思い出せない。大きな会場で喧騒を耳にした。

(お疲れ様でした! 活気があって楽しかったです!)

「文学フリマ東京37」に行った。文学フリマに行ったのは初めてではなく二回目だ。昨年5月の「第三十四回文学フリマ東京」が初めてだった。その日は暑く、よく晴れていた中、多数が入場前に並んでいたと思う。今日は朝から空気が冷たく、天気は曇りだった。また、開催は12時からで、私はそれより遅れて入場したが、使った同じモノレールにはちょっとした想像よりも大勢が乗っていた。来場者数が増加しているということだったが、会場に入ってからも、密集具合からそれを感じた。次回から入場が有料になるらしい。それでも行くかはまだ、私は考えていない。

前回も今回も、私は会場内をうろうろしていた。振り返ってみると、より凝った、おしゃれな服装をしている人数が多かったのは、今回かもしれない。全体の数が増加した影響もあるだろうが、気温が下がり、着込めるようになったからだろうか。

出店している側は立派だと感じる。彼らは自分たちの商品に値段をつけて売る。すると買う人がいる。彼らのターゲットは以前からのファンや顔馴染みだけではない。程度はきっと様々だが、私のようなふらふら者にも注意を向けて、工夫する。本の見た目も含めて、中身に興味を持ってもらうための広告の類いは事前に準備する。当日は声を出すなど、実際に行動する。

このようなオフラインイベントに出店者として参加する主な理由は、作品をオンライン(インターネット)で公開して交流するだけでは不十分だから、ではないだろうか。しかし、「インターネットでは不十分だから」が本当だとしたら、個人的には少し不思議なことに、イベントに参加することで、むしろインターネットらしさを肌で感じた気がする。興味を引きたいと、その場の各々が、一応ルールやマナーの範囲内で、遠慮せず主張する。自分たちには(まさにその通り)価値があるので、自分たちがつまらないとは思わせたくない。故に、そういう意味でいえば、予め「カーソルを合わせてタイトルをクリックしたくなるように」つくられたものは、他のものに魅力で優(まさ)るだろうと思った。あくまでひとつの感想に過ぎない。ユーザーごとに関心は異なる。全てに詳しくはなれない。私は生身で、足で、情報が犇めく海をかき分ける、ネットサーフィンもどきをして疲れた。

合計3冊の本を買った。「予算には限りがある」ので、気になったもの全部を買うことはできない。見本誌コーナーにもたくさんの人々が立っていた。3冊のうちの2冊はマンスーンさんの本だ。最近の本はファングッズ化している(?)という言説を支持するかのようだ。二言三言、事務的とはいえ、肉声で言葉を交わした。マンスーンさんとは後に、歩いていたところをすれ違った。文学フリマには、他に、芸人さんなどがいた。あまり(顔や名前を知っていたとしても、許可されていないなら)誰々がいたとか書くもんじゃないという価値観も、この世にはある。

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