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サム・アルトマンのインタビュー:資本主義が崩壊する?

齊藤さんコーナー:サム・アルトマンのインタビューより〜資本主義が崩壊するとか言っている!! - YouTube

 ユバルの『ホモ・デウス』の様な社会の二極化に陥る資本主義=有する者が進化するという、ある意味で効果的加速主義の社会構成を目指すのではなく、ブラフマン‐アートマン・モデルにおいて、アートマンがソーシャル・ネットワーク上で相互エージェント(役割分担)として尊重され、その上でブラフマンの位置に集合集積知(情報プール)が構築されるという民主的な効果的利他主義の社会構造を目指すのでしょうか?(アルトマンがAI・AGI・ASIでブラフマンを観ているアートマンであるという、ダジャレを言っているわけではないのですが…。)
 それはともかく、ベイシックインカムに関しても、以下の先行思考法があると思います。
 創世神話に続く、遊牧部族から統一ユダヤ民族形成(農耕文化から得た12という象徴数を使った12部族物語から民族統一のヤーウェ=一部族の族長神名に偏らない「在る者」とされた神名で、農耕民が耕作拡大してきたカナンの地を奪取する為、部族間契約を締結した「十戒」を掲げた物語)の記述の後に置かれている。
 「ダビデ物語」のハイライトは、ペリシテ(パレスチナ)の軍隊の英雄ゴリアテを倒すシーンであるが、剣や槍、鎧を脱ぎ捨て、石を拾いゴリアテに当てて倒したと記される。そしてダビデの口から、神は武器を使わず敵を倒し、この戦いが聖なる戦いであることを示したと言わせる。
 遊牧民が持っていた投石器は、当時その地域で多くいた狼やライオンを追い払うために極めて有効な強力なものであった。如何にペリシテ軍が鉄の文化圏にあったらしいとしても、飛び道具は有利であったはずである。そしてこの土地の「奪還」戦争は、農耕民族ペリシテから観れば侵略戦争である。それを「ダビデ物語」は正当化して「聖戦」とするのである。
 総じて『旧約』は、こうしたユダヤ民族の歴史をヤーウェという神の下で、地上の覇権をめぐる歴史として描いている。
 『新約』のメッセージは、それを乗越えようとするストラテジーの下に描かれている。恐らくイエス=ヨシュア=日本なら太郎という一般的名前で呼ばれる活動家が、紀元1世紀のローマの傀儡政権であったユダヤにおいて、様々なイドラ的バイアスで固着し、人々が困窮していた状況に、そうした地上の覇権に基く認識を捨てよ、と主張した。初期には既に福祉的活動を為していた洗礼者ヨハネと活動を共にしたが、ヨハネ共同体へ当局からの圧力がかからぬように、独立活動をした。これに当時のガリラヤにいた反体制的「熱心党」のメンバーも加わり、宣教、即ちコミュニケーション=言葉による共同体の一致を説き回った。
 ともかく地上の覇権争いは止め、赦し合って和解し、平和を得よう。自分達の土地、自分達の労働による報酬という観方を捨てよう。野の百合、空の鳥を見れば分かるように、人間の所有や労働によって生活しているのではない。その下には天の父の恵がある。それに気付くべきである!明日は明日が考える(摂理)!ブドウ畑での労働対価についての話も、1日1デナリオン、皆、自分の労働によって得たものとせず、生きるに必要な恵みとして、天の父なる「主人」から受ければよいという、社会分配を説いた。
 こうしたメッセージが、新しい契約として告げ知らされたと、理解できないでしょうか?今ならベーシックインカムという分配方法を表現していると思います。


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