JOC新会長は女性じゃないと みたいな風潮

そもそも何が問題で森氏は辞任が求められたのか

性差別発言問題とその「釈明」会見が大問題になり、森前会長が辞任した。
これについて思うことはいくつかある。
ツイッターでは「リベラルの人たちは平等を謳うが、なら森氏を排除したりしないですよね?」というような書き込みも見た。引用しようかとも思ったが、先方にご迷惑がかかるといけないので遠慮した。
まず、「社会」から排除されるべき、とは微塵も思わない。今回の問題は「自分がリーダーを務めるイベントが掲げるテーマに反した」ことと、「それに対しての釈明が全く真摯ではなかった」から、オリンピックを主催する委員会の長として適任でないと批判されたということだ。

何故女性なのか

マスメディアでは、後任として「若い人」「女性」などの望ましい「特性」をしきりに論じている。これが不思議でならない。
オリンピックの開催意図とテーマを理解しており、真摯に取り組める、リーダーシップのある人なら年齢も性別も、あらゆる一切は関係ないはずである。
これは男性に対する性差別と言うことができ、この問題は女性差別よりもやっかいだとわたしは思う。

男性差別だって存在する

近年、女性が差別に対して声を上げることは以前より容易になった。一方でまだまだ声を上げることが難しいのは男性に対する差別である。そして厄介なことに、男性への性差別は男性が行っている場合も多い。女性が同性から性差別を受けないという意味ではないが。
「男なのに酒もたばこもあそびもしない」というのは男性対男性差別において代表例になっているが、育休取得難易度やその後の職場復帰など、「男はこうあるべき」「男はそんなことしない」というような圧力は、背景にホモソーシャルなる社会的関係があるらしい。ホモソーシャルという言葉自体には女性同士の関係も含まれ、要は同性同士の社会的絆を表すそうだが、これは男性同士の方が顕著であるように思われる。

ホモソーシャルとはなんぞや

たとえば男性が積極的にパートナーの家事を手伝うなどすることを明らかにすると、同僚や友人などから「お前男なのにそんなことしてるのかよ」というような反応が返ってくることがあるらしい。
他にも「男なんだからこういうのも好きだろ」と、キャバクラなんかに行くことを求められたりすることもあるらしい。
ホモソーシャルとはこういった同性間の同調圧力的な「お前も俺と同類だろ?」という確認と安心から成立するらしい。
繰り返すが、これは同性間における問題であって男性に特有のものではない。
しかしこういった同調圧力は、特に体育会系コミュニティーにおいて顕著であるらしい。
ここでJOCの問題に戻る。

JOCが見直さなければならないもの

今回の問題でJOCが本当に見直さなければならないのは、自分たちのなかにホモソーシャル的同調圧力が働いていないか、ということだと思う。
冒頭触れた森前会長の発言があった時、その場では笑いが起きたという。この辺りにその影が見える気がする。その体質から変えなければ、トップが交代して表面上クリーンになったところで何も変わっていない、と私は判断するだろう。

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