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方角と言語について

なんとなく昔から、日本の地図は北が上になっていないものが多いなと感じていた。
かつ、たまに方角が記載されていないので、東西南北が分からない地図もけっこうある。例えば、雑誌やフリーペーパーの店舗紹介の地図とか、地方都市の観光マップとか、都内の地下鉄から地上に出たところにある地図とか、商店街の地図とか。
一方、アメリカの地図は、ほとんどの場合、北が上になっている。もしくは、ちゃんと北が表示されている例が多いと感じていた。

方角は言語に依存する?

これ、なんでかなーとずっと思ってたけど、「言語が持つ特性に依存している」という結論に至った。つまり、日本語は上下左右の感覚が強く、それに比べ、英語は東西南北の感覚が強いのではないかと。

世の中には、「左右」の単語が存在しない言語があるらしい。その言葉を使っている人たちは、室内でも東西南北を常に把握していて、奥の席に座るのを「東北の席に座る」、テーブルの右にある塩を取ってもらう時に「そこの南西にある塩を取って」などと表現するらしい。感覚的には、とても信じられない!
これについて、「ことばと思考」という書籍が詳しいとのことだったので、購入して読んでみた。この本、素晴らしく良くまとめられていて、上下左右のほかにもいろんな事例が紹介されていて、言語学の話題がとても豊富な良書だと思う。この本によると、グーグ・イミディル語などがこれにあたるそうな。

ことばと思考

日本語では、地図の左とか上に行くみたいな表現を良くする。「サンディエゴってアメリカのどのへん?」って聞かれて、「アメリカの左下、メキシコ国境のすぐ近く」で、たいていの人は場所がなんとなく分かると思う。英語だと東西を左右とは言わないが、南北を上下とは表現するらしい(go up, go down など)。
※ちなみに、サンディエゴからLA (Los Angeles) に行くには北上するんだけど、それを Go up to LA. とか言う。最初はこれを「上京」みたいな意味だと思ってたけど、どうやらそうではなく、単に北のLAに行くという意味らしい。

地図における左右と東西南北

地図を左右で表す方法は、自分のいる位置からどちらに進めばよいかを把握するには便利なので、狭いエリアの移動には適していると思う。カーナビで次の交差点をどっちに曲がるかとかは顕著に有効性が出ると思う。あと歩道に設置されてる地図は、地図が設置されている方向が上になっているほうが、いま見ている方角が分かるので便利だと思う。
一方で東西南北は、大きな位置を把握するのに便利なので、たとえば都市から都市に移動する際には必要になる。ある観光地に着いたらその観光地のマップでよいが、そこに着くまでは東西南北の地理関係が必要になることが多いと思う。まあでもカーナビのおかげで、例えば「大阪は東京に対して西にある」ことを把握してなくても、交差点の左右だけで到着できるのだけど。

自分自身の感覚としては、なぜか、左右よりも東西南北の感覚のほうが強い気がする。すべての地図に北(方位)を表示して欲しいし、地図をみるのも好きだし、行った場所をGoogle Mapに記録して後で眺めて楽しんだりしてるし、カーナビの地図も北を常に上にしたい(左右どっちに曲がるかは地図をみれば分かるので、それよりも向かっている方角を知りたい)。かといって自分は、方向感覚が特に良いわけではないのだけど。

ローカル地図によくある「東西南北が分からない地図」について、それを作っている人(その地理にすでに詳しい人)にとっては自明のことなので書く必要はないのだけど、初めてそこに行く人たち(つまり、その地図を使う大多数の人たち)にとっては、まずそこに着かなきゃなので、東西南北が必要になると思う。ローカル地図を作っている人には、来訪者の気持ちを理解するのが難しいのだと思うし、それは仕方ないとも思う。この、「ローカル地図に東西南北が書かれていない」という点に、たぶん日本語の特性が強く出ているのではないかと思う。これについて、昔はいちいち混乱して文句言ったりしてたけど、今は「これが日本語だ!!」と思えて、より楽しくなった。現象の理由が理解できたからだと思う。行ったことがない街に行った時に地図をみるのは結構好きなので、最近は昔より楽しめるようになったな、と思う。

下の写真は、まえに行った道後温泉の路上地図。
この地図は方角が書かれているので、とても良い!


「ことばと思考」の書籍について補足

この本、言語学の話題を素人にも分かりやすく噛み砕いて書いてくれていて、とても良書と思いました。以下、いくつか簡単に紹介します。

ウォーフ仮説

「言語が思考や行動を支配している」という説が昔からあり、「ウォーフ仮説」と呼ばれている。たとえば、「英語はで肩こりという単語がないので、肩こりを感じない」とか。「世界は連続していて、それを言語によって区切って認識しているため、その区切りや世界の認識は言語に依存するはずだ」という感じ。これについても本で詳しく書かれているので、興味のある方はぜひ。簡単に言うと、「言語によって認識が影響を受けることもあるが、言語に依存しない普遍性もあり、言語が思考や認識を全面的に支配するわけではない」という感じ。

重要性と細分化

「言語は、その民族の生活上で重要だったものを細分化する傾向がある」という話もとても興味深かった。「日本語では水とお湯という2単語があるが、英語ではwater, hot waterという1つの基本語を使っている。これは日本においてお湯が重要であったため」「稲と米とご飯、rice, rice, steamed rice なども同じ」など。「対象を分類することで理解する」という性質が如実に表れていると思う。

固有名詞以外の単語は「範囲」を表す

あと興味深かったのは、「固有名詞以外の言葉はすべて、範囲(カテゴリー)を示す」というもの。とても参考になった。


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