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本物のユダヤ人?そしてエリアC

あのエリアCは本物のユダヤ人が住んでいるんだ。彼らはずっとこの場所に住んできた、わたしたちと一緒にね。

宿の屋上からナブルスの山々を臨んでいると宿主が後ろから声をかけてきた。

ほら、あの山だよ。でもね、あっちの山は入植地。

旧市街を中心だと考えるととすり鉢型のように思えるこの街、食の聖地ナブルス。旧市街にある滞在中の宿の屋上がすり鉢の底ですり鉢の淵の部分に点在する団地っぽいもの、それが入植地。そこから少し離れたところに何かある、それがサマリア人たちの場所だった。どちらもエリアC。

パレスチナ自治区、ナブルスにあるエリアC。エリアCとはパレスチナ自治区にありながら行政・警察権をイスラエルが握っている場所のことを言う。入植地だったり、国境だったり。

彼らが言う本物のユダヤ人・・・・それはサマリア人。ナブルスにあるゲリジム山に住む人々だ。古代パレスチナから世界各地に離散したユダヤ人たちとは違いゲリジム山に神殿をつくり守り続けてきた。

”善きサマリア人”のサマリア人だ。

サマリア人のところって行けるの?
ああ、行けるよ。バスでもタクシーでも。歩いてはちょっと遠いかな。

今まだ朝9時2時間歩いても11時、うん。歩ける。歩こう。

わかった!じゃあ、今から行ってくる!

まだ低い太陽を横目に早歩きで山を目指す。山はどこからでも見えるからマップは使わないことにした。人と話すきっかけにもなるから。ショートカットと思って行けば行き止まりだったりして遠回りをしたり、楽しい迷い道。

細い細い階段を登り、すれ違う人にサマリタンの山はこっち?と聞いてみたり、ただサラームアレイコムと挨拶だけをしたり”今”を楽しみながら長い道のりを歩いていた。

山道の途中のモスクを通り過ぎ、本当にあっているのかこの道で?と若干自分を疑いながら、他に道はなくただ歩き続けた。たまに横を通るタクシーがスピードを落としわたしに乗らないか?と声をかけてくるがその誘惑には笑顔で躱していった。

急に開けたでもそんなに広くないまっすぐな道。先には黄色い門がある。そして赤い看板。道路の脇には羊がいたりして草を食んでいる。車も滅多に通らないのか音もあまりしない。太陽はすでに頭上にある。道路脇から広がる緑が体感温度を1度くらい下げてくれているようにも思える。とはいえ、小さい日陰の下を歩く。

右手に不自然なほど急に出てくる小道。農道のようにも見えるし、その向こうにある入植地に続いているようにも見える。先に見える入植地住宅は70年代に日本にも溢れた団地のようだ。

顔を前に向ける。黄色い開かれた門と赤い看板が近づいてきていた。

赤い看板にはヘブライ語、アラビア語、そして英語でこう書いていある。

エリアA パレスチナ自治区。イスラエル人の入場を禁ずる。イスラエルの法律で入場が禁止されている。

そう、この先からエリアA(パレスチナ自治政府が行政・警察を担当しているエリア)ではなくなる。何も変わらないけれど。見える景色、気温、音、何も変わらない。

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