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中学生に伝えたかったこと

11月2日に福岡市南区の公立中学校で、新しい生き方について講演をしました。

一応原稿らしきものは用意したのだけどその場の雰囲気や校長先生、PTAの方、生徒会のスローガンを見てライブで思ったことを話すことに変更。しかし伝えたい核となる部分は原稿全く同じ、原稿があってもなくて私の気持ちは変わらない、限りある時間だったので全てを伝えられた訳じゃないから書いておこう。

生徒会のスローガンは”無限の可能性”

本当に無限の可能性を感じていますか?なぜその質問をしたかというと、私が中学生の頃はそんなこと思っていなかったから。その時代は丁度バブルが弾けて、でもまだその余韻は残っていて世の中急降下真っ只中だったからかもしれない。
あれから私も大人になって、小さな成功体験の積み重ねから無限の可能性を信じられるようになった。それは無限の可能性は簡単なことではないけれど。

世の中は不平等で不公平!

耳障りのいい平等とか公平とか、多くの人が声高らかに言っている気がする割には、実際全く見かけません。そう、世の中不平等なんです。学校がそこそこ平等だったと後から気づきました。日本だけの話ではなく、世界中どこだってそう。それこそ、生まれた場所が違うだけで・・・例えば私の通うパレスチナ、占領下にあって分離壁もあって、例えば友達と会う、親戚と会う、という理由で壁の向こう側のパレスチナに行くのにイスラエルに申請して検問所を越えないといけない。
この例えは行ったことのない人には想像が実感が、または自分ごととして考え難いかもしれない。
貧乏な家に生まれることと大金持ちの家に生まれること、英語圏の国で育つこと、非英語圏の国で育つこと。それだったら実感湧きません?貧乏じゃなくてもお金持ちじゃない家に生まれるのと大金持ちの家に生まれるのでも全然違う訳です。どっちがいいかは最後は本人次第なところはありますけど、でも資本主義世界にいる限りお金が必要ですからね。占領する人も、されている人もお金持ちも貧乏人もここにいる全ての人にとって1日は24時間であることには変わりないんです。これは平等です。そしてみんな死にます。遅かれ早かれ全員死ぬ。これだけは紛れもなく平等なのです。

友達を作ろうと思うな!

私が子供の頃にあったテレビCMの唄で(小学)1年生になったら友達100人できるかな!

この考えには断固反対します!私は友達を作らないことを目標にしてきた時代があります。それは友達の数を0にすることが目的ではなく、友達なんて作るものではなくて勝手にそうなる。目的の本質が違う気がしていたのです。それは今もそう。友達はいます、でも数多くない。知り合いは多い、年の分だけ。学校って友達がいないことが恥みたいな感じがあると思うんです。そんなの全然恥じゃないし、気の合わない人とわざわざ仲良くしていますって演じる必要はないと思っています。クラスメイトは友達じゃなくて知り合い。喧嘩するでもなく、否定するでもなく、こういう考えの人もいるねーっていう存在。友達を作らないことを目標にしてまでもできた友達は結構深い友達かもしれない。

偏愛こそ幸せの扉!

ちょー大好きを見つけたものが勝つ!勝ち組とか負け組とかあるけど、本当の勝ち組って好きなことを見つけるってこと!これが好きだったらかっこいいからとかそんな理由はダメです。誰が何を言ったって好きなものは好き!止められない!それくらいじゃないと!好きは多少きつくても続きます。続くというよりやめられない。アディクトとかそういうレベルです。時空の歪みを感じるはずです。あれ?好きじゃない授業を40分受けたときの時間の進み方と好きなことを40分していた時の時間の進み方は同じではないはずです。40分が2時間に感じるし、40分が5分に感じることでしょう。その経験があれば好きが何か見つかります。幸せの扉のノブに手をかけたも同然です。

追求せよ!

好きが見つかったらとことん追求していきましょう。好きだったら言われなくても追求していると思います。止められません。追求の仕方や方向性は様々。今はテレビを持ってないのですが、子供の頃テレビが大好きで好きなCMもありました。子供なのでテレビ番組にはスポンサー企業がいるからCMが流れているという法則にもあまり気づいておらず、CMに出くわす偶然をひたすら待っていました。待つのではなくいつでも見たい、いつでも見られる環境を作りたい!って思ってひたすら録画しました。当時はVHSというビデオ、テープ代が勿体無いので3倍速で録画し好きなCMの箇所以外をハサミでちょきちょき、ほそーく切ったセロハンテープでつなぎ合わせて好きなCM特集のビデオを作ったものです。今考えたら、編集です。熱中していたのでもしかしたら家族に文句を言われたかもしれないけど記憶にない。それくらい夢中で好きなテレビ番組だけのビデオ(CMなしバージョン)好きなCMだけのビデオ(番組なしバージョン)を作りました。何の意味もないように見えるこのこともきっと今に繋がっています、私は編集がしたかったのではないけれど好きの追求から好きの途中にある好きとは違う事をやり遂げたという体験です。

遊べ!

どうやったら好きが見つかるかって?遊ぶ!これしかありません。好きを追求するに繋がりますけど、遊んでいてあっという間に時間が過ぎて行くもの且つ、自分が主体になるものがきっとあなたの”好き”なんだと思います。私の中学生時代は褒められたものではないけど(私は目一杯褒めたいと思っている!)学校には行ったり行かなかったり、何をしていたかというと、電車で数駅先の天神(福岡の繁華街)に行き、本屋で興味のある本を読み漁り朝から本屋にきている知らないおばちゃんとお喋りしたり、近くの公園をお散歩してそこに来ている人を観察し、どうしてこの人大人なのにこんな時間(昼間)に公園にいるんだろう?(きっと私も思われていたけど当事者は気付かない)と想像したり、お小遣いを貯めては興味のある映画を観に行ってその後一人で空想にふけったり、我が家は母の友人知人、またその友人知人が夜な夜な集まっていた時もあり、私も大人ぶって一緒にその輪に入っているつもりでいたりもしていました。
その頃観た映画で今でも忘れられない作品はこれ。映画は娯楽かもしれないけど多大なる影響を与えます。この主人公は料理で気持ちをデリバリーする。私も今、料理でパレスチナを伝えている。もしかしたらこの体験が繋がっているかもしれない。

感度を上げて幸せをつかめ!

幸せになりたい!ってよく聞く言葉ですけど、幸せにはなれません。幸せって職業や肩書きはありませんから。幸せは感じるんです。感度が鈍いと幸せを見逃します。感度感性を磨くってどうしたらいいのか?それはたくさん良いものに触れることだと思います。いいものは日本にもあるし、日本以外にもあります。日本でも日本以外でもいいものに触れた時、きっとどうして?なぜ?どうやって?って疑問がわくはずです。日本ならその場で質問できますが、日本以外だったら日本語では難しい。手っ取り早いのは英語。だから英語が使えると便利です。英語の勉強は嫌いだけど、これがしたいから英語が上達しました。好きなことをするのは楽しいけれど、道半ばにはこう言ったことがあります。でも何のためにが分かっていればやれそうじゃないですか?

人との違いを恐れるな、寧ろ誇れ!

人と違うことで揶揄されることもあるかもしれませんが、人と違うって寧ろ誇りに思っていい!って考えています。とはいえ、本当に人と違うことを思いつくのは難しい。周りと違うだけで他に同じことを考え思っている人はたくさんいます。
中学3年生の時、近くの席の人とかと3人とか4人でグループを作って作家について調べて発表するって授業をがありました。人気は教科書にも出ていた夏目漱石とか森鴎外とかだった気がします。私がその時(から今も!)熱中していた三島由紀夫について誰も名前すら知らなかったのです。わたしはグループから離脱し一人で三島由紀夫という作家について調べました。しかも中学生にしてはかなり深掘りだったと思います。学校の図書館にある本だけでは飽き足らず、行きつけだった紀伊国屋書店でかなり立ち読みして作家として人として私なりの解釈でレポートしたのを今も覚えています。その時の気持ちは最高でした。好きを深掘りする充足感と自分の価値観への自信だったのかもしれません。今でも私の周りの友人で三島由紀夫が好きという人は多くない(あ、いないかも)です。海外に行くと違います。ハワイ大学で日本文学を研究しているという人に出会ったとき、私たちはお酒を飲む騒がしい場所にいました。お互いが三島由紀夫の作品が好きと分かった瞬間私たちは外の静かな場所で三島由紀夫の作品について語り合いました、1時間くらい、それこそ5分くらいに感じました。当時そこまで英語が上手ではなかった私が1時間も英語で意見を言い合って理解して笑い合うことができた。

過去は変えられる!

過去は変えられます。でも私はタイムマシンには乗りません。当たり前ですけど。物事の見え方は多種多様なんです。自分の経験とか知識とか立場によって同じ1つの出来事も違って見えます。今、そのことがネガティブに見えてももしかしたら次の日または来月もしかしたら数年後かもしれないけど、必要な出来事だったって思うかもしれない。あの人が見るこのことは大きなものいいことかもしれないけど、私がみるそのことは同じだけど小さく、変なことかもしれない。事実は1つだけど見え方は全然違う。丸とか球とかそんなイメージ。
そして無駄はない、どんなことも無駄に見えても絶対無駄じゃない。私なんて他の人から見たら無駄なことしかしていない、でも全部大切。

最後に

制限のある生活、社会の中で“楽しい”や“好き”を見つけるととたんに見える世界・景色は変わってくるかもしれない。
私の“好き”は隣の人の“奇妙”かもしれない。それでも“好き”を追求することは見える不平等に見えないハシゴをかけ不均衡を均衡にするはずです。
不平等な世界だからこそ、好きを追求する。


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ありがとうございます。自己研鑽に使わせて頂きます!

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Azusa Suga

パレスチナ料理研究/パレスチナ音楽DJ◎写真集『SunAraq』著書『聖地パレスチナ一人散歩』パレスチナに通って出会って話をして交流中。イベント #キャッチパレスチナ 開催。#パレスチナの人 ご依頼はDMで▶︎yahabibi.jp▶︎azur.suga@gmail.com

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