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僕らは親友、イスラエルのアラブ人たち

パレスチナ、イスラエルに頻繁に行っていると、ユダヤ人ってウッディアレンみたいな感じでしょ?とか、鉤鼻で色が白くて・・・とかステレオタイプなイメージを聞かれることが多い。
かくいうわたしも実際にそのコミュニティーにどっぷり浸かるまではなかなか実感がわかなかったのだけど。

はっきり言って、ユダヤ人かどうか見分けられる人はこの世にはいないと思う。そもそも何人ってなんなの?と最近は思うが日本で生まれ育つと見た目のほぼ一緒の中で自分の価値観が作り上げられていくので、肌の色をはじめとする容姿で国籍?民族?など何人というのに該当するカテゴライズしてしまいがちになる。実際に陸続きの国になるとそうはいかないのだが。

さあ、乗って!

その言葉に甘えて、わたしは思いがけずヒッチハイクをしてチェックポイントからアフラに向かうことになった。車はお世辞にも綺麗とは言えないが窓全開で音楽も大音量で、アラビア語が溢れている。イスラエル側ではあるけれど。

アフラに行くのか?アフラで何するんだ?
アフラからバスに乗ってアッコに行くのよ。
ナザレにおいでよ!僕らはナザレに帰る途中なんだよ。
そう車を運転しているおじさんが言う。
そうだよ、ナザレにおいでよ!君はどこから?
わたしは日本から、それにナザレはもう行ったからまた今度かな。
そうか、日本からか、ようこそ!彼はパレスチナ人で、僕はユダヤ人だよ。親友なんだ。ピースだろう?政治がダメ。僕らは仲良しだから。

そう言って車の運転をしているおじさんと肩を組む。わたしは二人の顔をミラー越しにまじまじと見比べてもどっちがアラブ人なのか見分けがつかない。というよりも二人ともアラブ人で一人がユダヤ教徒、もう一人がイスラム教というだけのことで、この国ではIDカードを見てユダヤ系なのかそうでないのか区別される。イラクにもイエメンにもユダヤ人はいたし、ナブルスにはサマリア人がいる。服装だってそうだ。二人は似たり寄ったりのものを着ている。二人がヨルダン人です、とかシリア人です、と言ってもわたしは納得するだろう。二人が逆であること(ユダヤ人がムスリムでムスリムがユダヤ人)を言っても疑問を持たない。見た目なんて所詮そんなものだ。

わたしの考え事はよそに、二人はノリノリでカーステレオから流れるアラビア語の歌を歌っている。
青い空とオンボロの車がまるでアメリカ横断のロードムービーのよう。

圧倒的な分離壁、窮屈なチェックポイントを通過した後に待っていたこの隔たりのない車内。

イスラエル人、パレスチナ人とわざわざ言うのは差別ではなく、区別でありアイデンティティーの違いを受け入れて認め合っている、その中で育まれた友情もあると知ることができた。

バスがこなくてよかった。こんなハッピーな出会いが旅の醍醐味


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