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Fairly.fm パレスチナ・イスラエルを語る

noteをきっかけにタカハシイツローさんの主催する社会派ポッドキャストFairly.fmに出演させて頂きました。
不慣れな点が多くお聞き頂いた方には聞き辛い箇所もあったかと思います。大変失礼いたしました。
緊張でお話できなかったことをココで少し補足したいと思います。

パレスチナ人にとってのパレスチナ料理とは?
特に戦火を逃れ国外に避難したパレスチナ人は今や3世の世代でパレスチナに行ったことがないが(今後も行ける可能性は低い)パレスチナ人として家族団結している印象を強く受けた。パレスチナ料理は家庭の母の味であり自分のルーツ(パレスチナ)であると出会ったパレスチナ国外に避難民としている人たちから話を聞いた。

ガザ地区と西岸地区でも味の違いがある。西岸出身者でもガザの味の噂をガザへ自由に行けた上の世代から聞いており食べてみたい、きっと好みの味だと思うと想像している人も少なくない。ガザからヨーロッパに避難民として移住した友人から習ったガザの料理は少しピリ辛で南地中海らしさを感じ、シシリーにも似ているような雰囲気があった。
西岸、ガザ両地区共に長かったオットマン時代の影響が料理にも残っておりヨールグルトを使った煮込みなどはその1つだと思われる。

テルアビブのイスラエル人は実はエルサレム出身者も少なくない。彼らの多くはエルサレムは美しい、けれど度々感じるテンションに嫌気が刺しテルアビブに引っ越しをした、と言っていた。テルアビブは自由な雰囲気があり多くの壁にメッセージ性のある落書きがある。最近ではイスラエルのユダヤ人はみんな難民なんだから難民を受け入れよう!など難民問題に関するものが多く見受けられる。知識人は二国共存を意識している人が多くテルアビブで買い物をするときなどはそういったこだわりのあるお店を選びたい。
またユダヤイスラエル人の友人(42・男性・テルアビブ在住)はイスラエル人の多くはイスラエルがどんな歴史を辿ってこの国で何をして今に至っているのか知らない人が多すぎる、どんな犠牲を払って今ここに住んでいるのか知らないといけない、そう言っていた。確かに建国以前にもパレスチナの地に向けて船で地中海を渡ろうとしたユダヤ人の犠牲者たちも多い上に、入植植民国家プロジェクトによってできたため建国時には家を追われたパレスチナ人、今も家の建て替えが無許可だとブルドーザーで破壊され難民となるパレスチナ人が多くいる。わたしも70年イスラエルという国、ユダヤ人が住んでるという既成事実がある以上二国共存だと思っているが入植活動には断固反対の意見だ。ちなみにブルドーザーで家を壊されてしまった人にこのブルドーザーでの破壊費の請求がいく。
テルアビブヤッファのヤッファにアラブイスラエル人の経営するカフェがある。そこに通うユダヤイスラエル人の若い女性はできるだけアラブ人と交流して理解したいし、理解し合いたい、そんな気持ちでこのカフェに通っていると言っていた。しかしイスラエルのシオニスト的な政治に嫌気がさして海外移住も考えているとも言っていた。

ユダヤイスラエル人の中でも様々な考え方の人が当たり前だけどいて、多くは平和に暮らしたいと思っている。(神様を信じていない人も少なくない)

日本にいると当たり前に享受できる人としての尊厳が当たり前ではない国がある。今の時点ではこの時代の日本に生まれたことはアドバンテージでありそれだけでラッキーな人生だと思う。二重国家に暮らし制限のある中で、それでも楽しみを見出し生活をしているパレスチナの人々は厳しい環境(政治的にも自然環境的にも)わたしに最高のおもてなしをしてくれてとても温かい。料理を食べる、文化を知る、自然の美しさを伝える、そういうことを通してパレスチナに興味を持って頂ければ嬉しさこの上ない。難しい話よりも美味しい、美しいというポジティブな面から入る興味関心が国際社会の監視の目として負の連鎖を止める一端になるかもしれない、孤独は絶望の始まりであり外に関心を抱いている人がいるだけでその絶望に少しの光を注げるかもしれない。
世界の重大な問題であるのは間違いないがそれでも紛争はほんの一面です。パレスチナの美味しいごはん、美しい伝統工芸、春の力強い生命力を感じる大自然にもぜひご注目ください。


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