まこと

日本の大学生。

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最近の記事

相変わらず、苦しんでる?

年末が来た。 昨年末の私が問いかける。 『相変わらず、苦しんでる?』と。 思えば、今までの人生はクロード・モネの絵画の様な美しい陽射しの映像と苦しい気持ちばかりが残っている。 覚えている、という方が正しいだろうか? ティーパックにお湯を注ぎ、揺らす前に紅茶色とお湯の透明が混じること無く存在している様な表し難い苦しみが幼少期の記憶にはある。 小学生低学年の頃は、人を傷付ける言葉を意図的に放ってしまった事。 高学年では、私の人生におけるターニングポイントで始まった苦しみ。

    • 就活生のはたらく

      私は大学三年で、次の三月から就職活動が本格化する。 新型コロナの影響で志望していた業界の募集はほぼゼロとなった。 あー、厳しいな。 そう思っていたけれど、働かない訳にはいかない、生きるために。 色んな職種を見てみても、志望していたその業界に特化した勉強しかしてこなかったので、良いなと思ったところで難しいところがある。 私も他の学生のように去年の二月までアルバイトをしていた。 現在は新型コロナでできない状態だ。 当時はお小遣い稼ぎのような軽い気持ちでアルバイトをしていた。

      • 理系女子と男社会

         先ず、前提としてだが、私は理系女子という言葉も男社会という言葉も本当は使いたくない。し、好きでは無い。けれど、これから記す内容としては必要不可欠な言葉である。  私は小学生の頃には薄々と理系だろうなと自覚していた。社会の授業や漢字の練習よりも算数の計算問題や応用問題、理科の方が好きだった。高校でも迷うことなく理系を選択した。数学が一番好きだった。はっきりと出る答えに式を当てはめた時の爽快感。けれど、それって高校数学までの話で、大学で扱うレベルの数学は凄く概念的で答えが無く

        • 大学と私生活とバイト

          まず、私は大学が好きではない。ヘイトまでは行かないが、ディスライク。まず、学びたいことに対するアプローチが分からなくなってきている自分の心持ちにも問題がある。がしかし、友人関係がめんどうだ。これは変えるのがめんどくさい、し、難しい。私は恋愛が好きではない。それなのに大学生というものは人に恋愛を押し付ける。好きな人がいない(もしくは恋人を欲していない)=異常という謎の方程式を押し付けられる。他の大学だったり学部については知らないので、これは私の周りだけのことだが、少なからず同じ

        相変わらず、苦しんでる?

          金曜日の夜

          私は好きなドラマやテレビ番組がある上に、SNSに依存しているレベルなので、なるべく外に出たくない。が、この金曜日の夜というものは大層罪深く、人を眠らせない。私には次の日があるため、金曜日の夜はテレビとスマホと珈琲という安定の組み合わせで過ごすが、外から聞こえる足跡の音が多い。いつもは家で次の日に備えている人も音を奏でている気がする。そういう、なんでもないけれど、物語を感じられる音が好きだ。今日は活発な人もいる。

          金曜日の夜

          遥か彼方。

          美しさをもって賜物を作ることはできない。愛する前も後も洗い攫う。役目を終えた花のように枯れることもできずに、ただ見守り、仰いだ空に希望を灯す。勝手な願いに去り行く祈り。問題なのは色の名前じゃない、色の存在と認知。貴方が切りさって、己と比べ物にならない数を守るために殺めた残滓は抵抗をしない。それは愛ではない。貴方への愛ではなく、自分への諦めと美学。最後でさえ美しく居た。ただただ居た。これが至上の消えない美しさ。 (楊貴妃に捧ぐ)

          遥か彼方。

          "私"と"自我"

          ここで言う、まさに持論をもって話す内では、"私"とは、他人の視線が交差し、そこにできた虚像のことであり、少しでもズレが生じれば消えうる。そんな他人によって作られているもの、だと思う。 対して、"自我"とは、己のみで形成されている、本質的な根本。他人から影響されず、立つことも難しいが、誰にでもなれて自由な存在を引き立てる、そんなものだと思う。 これは美学の続き。

          "私"と"自我"

          孤独の先

          自分の声を聞かなかった日曜日。好きなテレビを見ながらキッチンで半分に切ったメロンにそのままスプーンを入れた。ゆっくりと雨の降り出しそうな音がした。心地の良い孤独感だった。 とてもとても幸せな時、何故か孤独を感じる。幸せだからこそ孤独を感じる。その孤独が愛おしい。 最後は誰でも一人。その時に誰を想うのか、何を思い出すのかが、その為に様々なことを貯蓄していくことが時間の過ごし方のような気もしてきた。 今夜の満月は雲に覆われて見えない。

          孤独の先

          眠れない夜に

          何となく、例えば、お昼過ぎまで寝てたからとか、些細な安全な理由で眠れない夜は誰にでもあるだろう。ご近所さんに配慮した、ボリュームを下げた音楽も、3時過ぎからはポップな曲に変えていく。寝ることを諦める。テレビは消した。ふと月を見たくなって、感じたくなって散歩した。アイスコーヒーを求めてコンビニへ行った。知り合いがいた。気まづい。月は綺麗で、星でさえも見えた。何となくTwitterで見かけた煮玉子を作った。卵を4個も割ってしまった。スマートフォンを落としてしまったのだ、たまごパッ

          眠れない夜に

          今日は満月の前夜。美味しく食べましょう。

          今日は満月の前夜。美味しく食べましょう。

          土曜日

          私がここに居ない理由を証明して欲しかった。 自分なりの美学とは、いつも己を美化し自惚れさせる。 休みの日に、特に今日のような、雨上がりの風のある、日が沈みきっていない時間帯に、ピアノ曲、もってクラッシックを流しながら鳥の声や風の音、遠くで走り去る電車の音、たまに通る雨上がりを走る車の音を聞くのが好きだ。アイスコーヒーがあれば尚良。スマートフォンを触りながら、海外の絵画、特に天使の絵を観る。至上に居る心地。そこで書く文章が唯一の存在証明をしない産出物のように思えた。自分の歴

          壮大なラブレター

          『月になりたい。』 この一言こそが最大級だと思っている。海でも太陽でもない、月こそが。まさに偶然の産物で他人の力を借りて、しかも相手は気付かぬうちに存在を知らしめている。太陽は月を感じられないけれど、月は太陽を感じられる。そんな物語。

          壮大なラブレター

          "美"とは

          何故か最近、美しいや、綺麗という類の言葉をかけられる。その事自体はとても良いことであって、嬉しい。確かに嬉しい。 皮切りは病院だった。母の見舞いに行った際に、看護師さんと同じ病室のおばあちゃんに綺麗ねぇ、と言われた。その日着ていた服か髪型が良かったのだろうと思っていた。実際に自分は容姿としては凡人だ。凡々人。 次はSNSだった。名前も容姿も年齢も性別も、何も出していなかった。気に入った自分の名前に、好きな写真、それだけ。ただ、言葉を綴っていた。毎日。仲の良い人もできた

          君のような、そうでないような

          ただただ、白さが眩しかった。強い光を見た後に残る、あの緑や赤の謎の光が見えるくらいに眩しかった。陶器のようにツルリとしているように見えるのに、実際は真逆だった。 上澄みは必ず混ぜるタイプ。白過ぎると飽きるからと、何かを足すこともかかせなかった。季節を問わない白さ。羨ましさも含んでいた。 "白さ"とは、謎の安心感をもたらす。不純物が入っていないように見えるからだ。実際はそんなことはない。透明の毒だってあるはずだ。ただ、白は白でも、この白の中には毒なんてもちろん含まれておら

          君のような、そうでないような