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02/48 納豆が嫌いなのは、納豆のせいではない

 納豆はぜんぜんダメとか、パクチーは苦手という人いますよね。反対に納豆は大好物で毎朝食べてるという人もいますし、パクチー料理の専門店だってあります。好き嫌いって不思議ですね。子どものころ大嫌いだった牡蠣フライが大人になってから大好物になったり・・。

 納豆には納豆の、パクチーにはパクチーの個性があって、それをどう感じるかは受け取り手の問題です。納豆のせいで私はこんなに不快な思いをさせられてると、納豆に八つ当たりする人はいません。それを好きか嫌いかは自分自身の問題であると、みんな知っているからですね。

 ところが、食べ物だとそれがわかるのに、相手が人間に変わったとたん、「あいつのせいで、こんな嫌な目にあってる」と相手のせいにして自分を被害者にしてしまうのはどうしてでしょう?

 納豆が納豆という個性を持っているように、AさんはAさんとしての個性を発揮しています。たとえばAさんの粘り強さを尊敬する人もいれば、ねちっこくてイヤという人もいると考えれば、人も納豆も基本の考え方は一緒で、好き嫌いは私の問題ということです。

 自分を被害者に仕立てて、相手を無理やり変えようとするような試みはうまく行きません。自分から変わることはできても、他人を変えることはできないのです。納豆は納豆以外に、AさんはAさん以外にはなれません。

 相手を嫌いなのは私の問題。私が嫌われているとしたら、それは相手の問題です。この関係をきちんと仕分けて考えられるだけでも、余計なストレスから解放されるのではないでしょうか。

(納豆はイヤなら食べなくてもいいけれど、苦手な上司は拒否できない、というような、選べない人間関係の現実問題については、章をあらためて書きたいと思います。)



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