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ごいん

ごいん


 草餅の季節です。きな粉の黄色と草餅の深緑の鮮やかなコントラストを目にすると、必ず浮かぶ音があります。
父の声。
「のどが、ごいんっ って鳴るなあ。うんめぇなあ、できたての草餅は」

ゴクンとイントネーションが同じの、のど越しの質感を表す、その「ごいん」というオノマトペはたしか、自家製の草餅限定ではなかったでしょうか。

よもぎ摘み


 もちくさ(よもぎ)を摘むのは、祖母と孫の役目でした。父方の祖母のおみっつあんは、どこに、いつごろ、よもぎが生えているかを熟知しているのです。土手や、畑の畝の日当たりのいい斜面、小川のふちなど、手付かずのよもぎの群落の地図が頭に入っているので、ガラ袋はあっという間にいっぱいになります。
 薬草独特の青臭く渋い匂いと、温まった腐葉土の匂い。空の高みではひばりが、羽ばたきながらかしましくさえずり、小さな蜂やぶよが、ぶーんと耳元をかすめていくほかには音のない、眠くなるような静けさ。
 おみっつあんは、時折腰を休めながら、ほーぅと、じつに満足げに煙草のけむりを吐きます。煙草嫌いな父の前ではびくびくで、ここなら気兼ねなく一服できますから、祖母にとっても至福の時間だったのではないかしら。

よもぎを茹でる


 摘んだ草を家に持って帰りきれいにより分けます。ここからは母の受け持ちです。かまどでぐらぐら沸騰した大鍋に重曹を入れてゆでると、白っぽかった草が鮮やかな深緑色に変わります。水に晒して灰汁を抜いたら、よく絞って、かたまりにしておきます。
 それと同時進行でだんごの準備をします。自家製のうるち米を製粉した上新粉に沸騰したお湯を廻し入れて、素手で混ぜ合わせて団子の素をつくり、鉄のせいろで蒸かします。母はいつだって勘と目分量ですが、ぴったりかげんを体得しています。

草餅をつく


 草とだんごの素ができると、いよいよ父の出番です。父は餅つき機の準備をして待っています。ロート型の受け口に、ふたつの材料をしゃもじでテンポ良く投入すると、モーターで廻るネジ状の部品がまんべんなく草とだんごを混ぜ合わせます。そして蛇口状の出口から、草餅がへびのようにくねくねとぐろを巻くという単純な仕組みです。
 単純ですが、それは父の独壇場。こどもは触らせてもらえませんから、後ろでじっと見ています。

菱形の草餅


「それっ」
と渡された搗き立ての餅のかたまりが慎重に台所に運ばれると、そこには母と祖母と三姉妹が、割烹着姿に姉さんかむりでスタンバイしていて、すぐに仕上げ作業。手や台にくっつかないようにするために、もち米の餅の場合は餅とり粉を使いますが、草餅の場合は手水を使います。
 まずはあんこの入っていない草餅づくり。直径3センチ、長さ20センチほどの棒状にしてから、箸か指を使って押し切るように切ります。角度を90度ずつ変えながら切るので、仕上がりは変形の菱型になります。もちともちがくっつきにくく、きな粉をまぶしたときにはきな粉がたくさんくっつく絶妙な形。切りながら重箱に直接積み重ねていきます。三段重がいっぱいになるほどこしらえては隣近所に配るのも、母の流儀です。

あんこの草餅


 次に餡いれの草餅を作ります。餡は、昨夜のうちに、自家製のあずきを煮て小ぶりのピンポン玉くらいに丸めてあります。あずきの塩加減、砂糖加減は父と母で微妙に好みが違うので、ふたりで何度も味見しながらいい塩梅のところに落ち着いていきます。
 大豆も自家製です。炒りたて轢きたての香ばしいきな粉と、つやつやの草餅と、ふっくら煮詰めた餡子。美しい出来映えに、家族みんなの顔がほころんでいます。

 まるめるのが下手くそな私が餡子をはみ出させてしまうと、
「青空がみえちゃったなぁ。それは朝子がぶにだなぁ」
とからかわれます。
 うちの中にいるあんこが見上げると、天井が破れて空が覗いていると茶化すのです。あさこがぶに、というのは、朝子の分、という意味です。
 そう言って貰えると私は嬉しくなって、えへへと笑ってぱくり。早く食べたくてウズウズしていたのです。父も手早く機械を片付けて、餡いれ草餅を器用にこしらえます。みんなも作ったり食べたり遠慮なしです。
 そんな時です。
「のどが、ごいんっ って鳴るなあ。うんめぇなあ、できたての草餅は」という父の、満足そうな声を聞くのは。

束縛する「くびき」のような父親


 自由な思考や行動を束縛する「くびき」のような存在である父親の、珍しくゆるんだ表情は、家族の目には格別晴れやかに映り、家の空気まで変わるのでした。三世代同居の農家の、湿り気のある縄でつながれているような窮屈な閉塞感や鬱積した感情が、ふいにほどけていくような感覚。

 ひとりひとりにふさわしい居場所がちゃんと守られていて、みんなの息が合っていて、誰ものけ者にされていなくて、愉しくてこころが舞い上がる瞬間。

 草餅がご飯で、うどんがおかず、という田舎特有の炭水化物満載のご馳走を囲んで、春の宵は名残惜しく更けて行くのでした。

家族幻想


 あるいはこれは、私の願望が生んだ「家族幻想」なのかもしれません。

 でも、しゅわしゅわと弾けるような胸いっぱいの喜びの記憶は、唯一無二の匂いと色と声をともなって深く刻み込まれていて、なにかの拍子に、困ってしまうほどの勢いで溢れ出しては、54歳の私をたじたじにさせるのです。

             「もらとりあむ34号 2013・冬草」掲載

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