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だいじょうぶ、だいじょうぶ [長男が生まれた頃のおはなし]

だいじょうぶ、だいじょうぶ [長男が生まれた頃のおはなし]


長女は3歳でおねえちゃんに


 ミッキーマウス、うさぎ、赤ちゃんなどのぬいぐるみたちにうもれるようにして眠る薫と、一日ごとに変化していくような圭の寝顔を左右に見ながら、やっと今日も終わった、と息をつく。いつの間にか雨が降り始め、そのやさしい響きが心を和ませてくれる。

「きょうはかおる、おかあさんのゆめにるんだー。おこってるおかあさんのゆめ」

と薫。
 ごめんね、今夜も絵本を読んでやれず、せがまれた「かおるがちいさかったころのはなし」もしてやれず、早く寝なさいを連発してしまったね。この時間はどうしてか飲んでも抱いてもなかなか眠らない圭。圭がねない間はいつまでもはしゃいだりふざけたりして、おこられてもへらへらと笑っている薫。夕方からずっと家事に追われ、くるくると動き続けた母には一番きつい時・・・。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と、圭に、薫に、自分にささやきながら過ごす時。

長男の誕生

 1988年12月21日午後4時5分。圭(けい)を出産。3484g。
産声もたくましい元気な男の子。

後から調べてみたら、満月になろうとする日の、満潮の時間で、それがああやっぱり、と思えるような自然なお産だった。

自分の体のどこにあんな強い陣痛をおこす力があるのか。

胎児の体のどこに、陣痛に耐えてうまれ出る力が備わっているのか不思議。生命ってすごいんだ。



 私の手元には今、三枚の写真が残る。担当してくれた婦長さんと看護婦さんに、陣痛のあいまに思いきって頼んでとってもらった出産シーン。

以前、トーマス・ベリイマンの『誕生の詩(うた)あかちゃんのはじめての時間』(偕成社)という写真集に胸を打たれ、もう一度見たいと思ってさがしていたら偶然にも妊娠の初期の頃図書館で再会することができた。

それからなんとなく、写真に残せたらいいなあと思い始めていた。自分では見ることのできないシーンだから見たいと言う気持ちもあるし、出産という大きな体験の確証となるようなものがほしい気がした。

希望をきりだす時には、陣痛を忘れるくらい恥ずかしくてドキドキしたが、婦長さんがこころよく引き受けてくれてからぐっとリラックスできて、勇気が持てた。そのことだけでも良かったと思う。信頼感と落ちつきが持てたら、いいお産ができると実感。嫌な、こわい場所だった分娩室さえ、なつかしい、あたたかい場所に思える程・・・。


 お産をしたのは市内の七里産婦人科。食事がすごくいい、という評判に惹かれ、それを楽しみにしての入院だったが、食事はもちろん看護婦さんたちの対応もあたたかで安心だった。

特に、産後4時間ぐらいの時、赤ちゃんをベットに連れて来てくれ、そいねできた時の幸せは忘れられない。

もう一つ印象に残ったのは、婦長さんが赤ちゃんを包みこむように抱っこして、耳元で「だいじょうぶ だいじょうぶ」とささやく姿でした。

泣いていた新生児がピタッと泣きやんで、気持ち良さそうに婦長さんの腕にもたれていて・・・。私も同じように圭に話かけてみると、圭もなんとなくわかる様子。だからいつの間にか口癖になって、圭にだけでなく、薫にも、自分にも「だいじょうぶ、だいじょうぶ」。


 26日退院し、まっすぐ自宅に戻り圭と二人で薫を待つ。

 薫は3晩実家で預かってもらい、クリスマスの土日は自宅に帰って父親とすごし、そしてもう一晩実家に泊まった。

眠くなると泣いてしまって両親や姉をせつながらせたが、やんちゃぶりを発揮して、いとこたちと競争でごはんを食べたとか、一日庭で遊んでいたとかたのもしい話も聞けた。

父とは電車で池袋のデパートや父の会社を見に行ったとのこと。昼間も紙オムツをさせられることが不本意だったようだが、父親を慕って楽しい時間を過ごした様子。不安な6日間だったと思うが薫にとっても貴重な体験だったに違いない。

薫は小さなおかあさん


 退院直後が何かとあわただしくて、薫も不安定な感じ。圭を沐浴させようとベビーバスに湯を入れたら、自分も中で遊びたいと大泣きしたり。

「あかちゃんふんじゃうぞ」

と母をドキリとさせることも。

でも日がたつに従い、赤ちゃんに興味を持ち始めてきた。うんちのついたオムツをテーブルの上に広げ

「きいろいね。ミルクのにおいだ」と観察。

「けいは はがないね、どうして?」

「ちっちゃいてだね、なんで?」

と不思議がり、緊張しながら触れ始めた。

小さなおかあさんになって抱っこしたり、ホニュウビンを支えてくれたり、かと思うと、突然母のふとんに寝ている圭を指さして

「これ だれ?」

なんて真顔で聞いたりもする。

圭との出会いを、とまどいながら、でも心配していたよりずっと元気に受けとめてくれた薫。そんな薫も、1月23日3才のお誕生日を迎えることができた。


 3才になったこの頃ではおしゃべりや行動がますます愉快(時には奇怪)になってきた。今日も父におやすみなさいを言ってから

「またあそびにきてな」

父は苦笑い。


 夜10時頃、洗濯のハンガーをとりにベランダへ出た母についてきて月を発見、大声で

「おつきさまー ありがとー」


 薫には、小さなことにこだわっていじけてしまってほしくない。ダイナミックなもののとらえ方のできる人間になってほしいと思う。

私も専業主婦の生活が3年になろうとしているが、「家」という小さな窓からしか世界をみようとせず、視野が狭くなっている気がする。

家庭が今の私の基盤なのだから大事にしたいと思う。小さなこと、くりかえしのことにも気を配っていかなくてはと思う。そうした上で、もう少しだけダイナミックに生きるためには、自分の時間を作って、自分を表現する機会を広げていくことが必要な気がする。

 私も30才。薫や圭の成長にはとても追いつけないが、元気を出して頑張ろう!!


新生児のいる暮らし

 圭のことに話を戻すと・・・

 一ヶ月検診では体重4932g、身長56cmと順調に発育しているとのことで一安心。

母乳はだんだんに増えていって、夜中は母乳だけでも間に合うようになった。満腹すると笑って、幸せそうに目を閉じる。声も動作も新生児はやっぱりかわいいナと思う。指の形はなんだか仏像に似ている。描いてみたいがとてもあらわせない・・・。


 2月に入ってから、暖かい時間、薫と一緒に公園にも連れて出るようになった。薫は今自転車に夢中。私は圭を抱っこしてベンチに座る。まだ冷たいけれど春の近さを感じさせてくれる風や光をうけながら・・・。


 出産してからなんだかアッという間に日がたってしまった。一番心配していた入院中の薫のことも両親、姉、そして夫に支えてもらえた。薫自身、よく頑張ったと思う。

 それから退院後は山根さんにすっかりお世話になってしまった。
本当に感謝しています。
 あったかい気もちにどんなにはげまされたか・・・それもとても表せない。元気で笑うだけ。


1989年2月「ひとりから14号」掲載


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