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別の扉(前編)

別の扉(前編)

ひとつの幸せのドアが閉じるとき、もうひとつのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。(ヘレン・ケラー)

大きな転換期には、それまで大事に守り続けてきた世界を閉じて、そこから離れざるを得ない瞬間があります。生きがいや喜びに結びついたものであればあるほど、喪失感、挫折感、敗北感は計り知れません。
私にも何度かそういう節目がありました。そしてターニングポイントを通過するたびに、「別の扉」ということばに救われる思いがしました。

終活を意識する

腎がん告知と乳がん再発が確定した暮れから1月。腎がんはダビンチ手術による部分切除、乳がんはエンハーツという分子標的薬で治療する方針が固まりましたが乳腺主治医の見立てはなかなかに厳しいと知りました。

2年前の乳がん告知からそれとなく意識していたものの、これからはもっと現実的に向かい合わなくてはならない。憐れんでいる場合ではない。いろいろ見極めて準備を始めていかなくては…。そう考えるようになってシャキーンと背筋が伸びました。

noteを始める

今まで書き溜めてきた非公開の雑文をnoteに再編することにしました。パソコン等の設定管理を引き受けている娘は「よかったよ。気になっていたの。後から家族や友人に読まれたくないものもあるだろうからね」と言ってくれました。
40代は心が病んでいたから、掲載した文章の中にも読みにくいものが混じっていると思います。誰かを傷つける意図はなくても、傷つける可能性はゼロではない。反論できない一方的なものいいになってしまうことをどうか許してください。

「内容の稚拙さは別として、誰でも一冊の自分史を出版できる」と聞いたことがあります。本という形になることはなくても、noteを開けば私という人間が息づいている。誰かが私を見つけてくれる。そう空想できることはかなり嬉しい発見でした。不安をはるかに超えて。

ハルの里親探し

課題のひとつはハル(13歳の紀州犬)の里親探しです。今のところ、ペット専門のケアハウスが有力です。しばらくは、隣町の親戚のおばちゃんと、お隣の少年ドッグシッターで凌いでいけるだろうと思います。

整体ベッドを手放す

もうひとつ、保留になっていたことを先日実行できました。
それは卒業した整体学院の校長にご挨拶に行くことです。

整体の仕事に復帰できたら報告に行くぞという夢は叶いませんでしたが、校長に直接お会いして、整体に出会えた喜びと感謝を伝えることができました。
校長は、私が自宅サロンを開店したこと、活動期間は短かったけれどたくさんのお客様に愛されたことを喜んでくれました。また、私が使っていた整体ベッドやグッズ、書籍を後進の役に立ててもらうことも快く承知してくれました。

整体ベッドとお別れする日。
学院を再訪すると、驚いたことに校長は、私のために施術の準備をして待っていてくれたのです。

5年程前、直営店のシフトに入っていた頃、校長の技術と接客を体得したくて、開業した同期と一緒に特別枠での施術を月一で校長にお願いしていました。逆に、研修生の研究会では、校長に私の施術を受けてもらって指導を仰いだこともあります。
私はなんとかもっと上手くなりたくて、微妙な響きの差異を探る試みをしていました。意欲を持った生徒・研修生に対して校長は、いつも真摯に受け止め向き合ってくれていました。その頃の一体感が思い出されました。

たっぷり2時間強の全身コース!!

久しぶりに受ける校長の施術は、丁寧にぴたりとツボを抑える絶妙な手技の連続でした。お互いに会話はほとんどしなかったけれど、手のひらは饒舌に語りかけてきます。
労りと励ましが染みてくるのです。
ありがたくて、ありがたくて、私は堪えきれずに号泣してしまいました。

「人の辛さに寄り添い、お手伝いすることが整体の本分だと思っています」

「学院の生徒さん卒業生はみな、私共の子どもと思っておりますので、またいつでも実家に帰ってきてください」

校長の温かい手にかたく握手しておいとましました。
本当に、嬉しくしあわせな一日でした。整体の世界を完全に閉じたつもりでしたけれど、もう一度出会い直したような…。

今の私は、西洋医学の叡智に頼って、手術や抗がん剤治療のような侵襲的でピンポイントな治療のみを受けているわけですが、東洋医学の持つ癒しの力を完全に封印することはないのかも知れない…。
もしかすると、別の扉が開いた瞬間だったかもしれません。

2023年2月6日
ダビンチ手術による腎臓部分切除の3日後。
がんセンター4019病室にて

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