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やまいを養う

ハルの避妊手術



「ハル、おかあさんだよ、迎えに来たよ。」と声をかけても、ハルは腰を低く尻込みして私に近寄るのをためらっている。そっとなでながらいたわりのことばをかけてあげるとやっといつものように、私の顔をペロペロと舐め始めた。
毛を剃られたお腹が寒そうで、12センチほどの長さの傷跡が痛々しい。傷口をそろそろと舐めている。ごはんの時間がきても吠えない。尻尾がたれて意気消沈、途方に暮れたような顔をして、すごすごと自分の巣箱にもぐりこみ体を丸めている。

ハルと暮らして7ヶ月だが、こんな元気のないハルを見るのは初めてかもしれない。およそ、「そろそろと」とか「すごすごと」などのことばの似合わない活気のある犬なのだ。「ちがう子を連れてきちゃったんじゃない?」と娘がせつないジョークを言う。

ハルは、きのう避妊手術を受けた。手術は無事に済んだのであとは回復を待つだけ、おそらくなにも心配はいらない。「すごく食欲が旺盛で、今朝はうちのスタッフが散歩に連れてでましたがしっかり歩けていました。傷口は舐めても大丈夫なようにしっかりと縫合し抗生物質の注射を打ってあるから、安心していつもどおりの生活をさせてください。」と獣医さんがにこやかにおっしゃる。

それから、摘出した卵巣・子宮を見ながら詳しい説明をしてくださった。獣医さんのはなしによれば、開いたとき、あれ、妊娠かな?と思うくらい子宮がふつうの2倍くらいの太さだったそうで、それは若い犬には珍しい、子宮内膜が炎症を起こす子宮蓄膿症という病気なのだとのこと。
卵巣のホルモンの異常からおこる病気で、環境や育て方・えさなどに問題があったわけではなく、個体の性質、おそらくは遺伝的なものでしょう。このままにすると不正出血などの症状がでてきて、いずれ手術で摘出するしかなく、この状態ではおそらくは妊娠もできなかったでしょう。結果としては摘出したことで、もうこの病気の心配はなくなったので安心してくださいとのことだった。
意外な展開で少し驚いたが、これもハルの運命なのかなとしずかに思う。

思えば今年の1月、引越しと義母との同居にともなって長年の夢であった犬を飼うことが許されたのだが、そのときの前提が外飼いと避妊手術だった。そこで犬種は日本の風土に合った紀州犬にしようと決めてネットで調べ、ご縁があって隣町で長年紀州犬の繁殖をされている谷部さんという方と知り合い、谷部さんの仲立ちで千葉の弓削田さんという方のところで生まれた紀州犬の雌を譲っていただくことができた。

『ハル』と名づけた。血統書の名前は、春のおひさまのようにあたたかなぬくもりをもたらしてくれることを祈って『春陽』。
からだは小さくても人懐っこく賢くやんちゃな仔。甘噛みやら破壊活動やら困った事件も巻き起こしながら、ともすると緊張感の漂う家族にゆるい笑いをもたらしつつ、いまや家族の一員としてかけがえのない存在になっている。

ともに暮らす日を重ねるにつれて、「ハルのこどもがみてみたいねぇ。妊娠や出産を経験し犬としての人生をまっとうさせてやりたいものだよねぇ。」娘となかば本気でなかばあきらめながら話すこともあった。
でもやはりはじめの約束のとおりにしようと決めたのだった。だからいま、これもハルの運命なのだから、血統をつなげることはできなかったけれどもそれを悲しまず、ハルと共に暮らせる時間をよろこんで慈しみたいと重ねて思う。

ところで、いまのハルを見ていると、人とおなじように犬も、からだに痛み辛さがあるときはじっと丸くなってそれをやりすごすものなのだなあと、感心させられる。

司馬遼太郎原作のドラマのなかで、『病いを養う』という表現があって私はそれを耳新しく聞いた。それは正岡子規の病床の描写であるが、病いと闘う、のと、病いを養う、のとでは、ことばのいろあいがずいぶんと違う気がする。
養生する、療養するという意味だろうが、病いと共生するというか、そっとかばいひっそりと息をしながらも心は泰然としているようなイメージを持つ、味わい深いことばだと思う。

慢性腎炎とつきあう


ハルが退院した日の午前は、たまたま私自身の2ヶ月に一度の通院の日でもあった。夏の腎生検の検査入院で腎臓の病名が確定して薬による治療が始まってちょうど4ヶ月。メサンギウム増殖性腎炎(中等から高度)がこのたび私の腎臓につけられた病名(すごく立派だ)。

腎臓のなかのメサンギウムという物質が異常に増殖して、腎臓の機能に障害を与えている。おしっこをつくるシステムの総数が平均の半分くらいに減っているし、残っているものの10このうちの2こは壊れている。
つまり、全体的に機能が弱くなっているからろ過吸収できずに蛋白尿や血尿になって排出されてしまう。こわれた部分は再生しないので、これ以上こわれないようにするしかない。いまよりも悪くなって腎不全・透析と進んでしまわないように、生活改善・体質改善をするということが「治療」の中心である。

初めの2ヶ月はそれなりにがんばれたと思う。血圧測定、体重測定とその記録。血圧を下げる薬=腎臓を保護する薬の服用。減塩の食事療法。減量の目標は現体重-10㎏。運動と安静。要するに高血圧と肥満が腎臓により負担をかけるのでそこを改善しようというわけだ。理屈はだいたい理解したし、地道な節制しか道がないこともわかっていた。

それなのに続く2ヶ月は、ぜんぜんだめだった。なだれるようにだめだったのだ。ちょっとしたつまづきから自己嫌悪や挫折感という負の感情が表にでてきて不摂生になり、せっかく減りつつあった体重もリバウンドの悪循環にまんまとはまってしまった。ぐるぐるとまどいながらなにひとつ改善できなかったのだ。

薬さえほとんど飲めなかった。隠してもしかたないので、ありのまま担当医に報告。
「えー、どうしちゃったの、うつ?」先生も驚いていた。尿と血液の検査でも「悪行」の結果が如実に現れていたからごまかしようがない。
「すみません!・・・って先生に謝ってもしようがないですよねぇ・・・。」と私。
「そうだよ、自分の責任だからね。」と先生。
「単なるダイエットなら失敗しても大丈夫だけどね。まだやりなおしはきくのだから、がんばってみましょう?」
私はとてもソトヅラがいいので「ハイ、ガンバリマス。」ともういちど仕切りなおしてやってみることにして帰宅したのだが、自分でもどうしてこんなに空回りするのだろうかと不思議でならない。

このところどうも覇気がなく、朝は起きられないし、やろうと決めたことがどれも中途半端に終わる。こころはあせるが力がでない。らせん状に落ち込んでゆくこの感じは知っている。いずれは抜けることができるという経験則も私は知っている。

確かにうつ的な状態といえなくはないが、それよりもむしろ私らしい失敗談といえるだろう。元来のだらしなさが原因であることも素直に認めよう。気負いすぎて無理しすぎたのかも知れない。
たべることの我慢が苦手で、運動が苦手で、ストレスを食べることで紛らわせてきた。仕事の忙しさや家族の協力が得られないことへ責任転嫁さえしてしまっていた。
そしてそれらいっさいに対して私は自分に甘いのであり、問題の本質は根が深い。生活・体質の改善というよりも性格の改善、生き方の問い直しをしなくてはならないのかも・・・。

ハルだって、じっとうずくまって病いを養っているというのに、私にはどうしてこんなに簡単なことがむつかしく感じられるのだろうか。どうしていつも地道な節制ができないのだろうか。まことにもって不思議である。(ドラマ「坂の上の雲」のナレーション風に)

・・・などということを、ちょうど帰省していた薫と、きづなに聴いてもらった。ふたりとも聞き上手なので、なんとはなしに気持ちが落ち着く。
まずは単純に血圧と体重の記録と、処方薬の服用の繰り返しから始めてみよう。「薬は飲み忘れるもの。だから、忘れたことに気づくような手立てをするしかないよ。」という現役の看護師らしい一言にも、おおいになぐさめられる。
できるはずだと過信して病いをねじふせようとしていた。
まったく身の程知らずである。

満月が重なる日


ところで、明日の12月21日は満月で、皆既月食でもあるそうだ。

22年前の圭が生まれた日はほぼ満月、19年前のきづな誕生の日はちょうど満月だった。
月のカレンダーによれば、ふたりの誕生日と満月が重なるのは19年後で、きづなは38歳、圭は41歳、薫は44歳、夫と私は71歳、義母は99歳、ハルは19歳になる計算だ。

ものすごく大きいようにも、ほんのひとにぎりのようにも思われる時間のかたまり。ひとつさきの曲がり角でさえ先が見通せないのだから、19年後の未来予測なんてとてもできないけれど、行く道のひとつひとつを味わい尽くして生きたいと思う。

午前2時。
風呂場の窓を全開にして冬空に輝くほぼ満月を眺める、ただぼんやりと、ああきれいだなあとただただ眺める。
そんなふうにしていると、じぶんの内側から生まれて、じぶんに還ってくるすべてのことも、ただただ不思議だなあと眺めてしまえる気がしてくるのだけれど、さて・・・。    

2010年12月20日
 「もらとりあむ29号 2011年冬草 」収録

追記・私の現在地

「やまいを養う」を書いた時から早いもので、12年。
紀州犬ハルはおっとりのんびり13歳のおばあちゃんになりました。私と歩調を合わせて歩いてくれる穏やかで優しいハル。私の大切な癒し犬です。

夫の母は3年前に老衰で亡くなりました。コロナ禍の面会禁止が始まる直前のことでしたので、そばで最期を看取ることができたことは幸いでした。(「ゆるやかな着地」参照)

私の慢性腎炎はその後ほぼ横ばいを維持できています。

2020年の11月に乳がんと診断され、12月に両側全摘手術。(「10年後の目標」参照)
その後、1年半は再発予防の治療を続けてきたわけですが、2022年の11月に腎臓がん(原発)が見つかり、2月に切除手術。(「明日も青き踏むために」参照)。
さらに検査の過程で乳がん再発が見つかり、骨転移疑いも出てきました。早期緩和ケアで訪問看護サービスとつながると共に、延命のための抗がん剤治療を始めようとしている、というのが私の現在地です。

状況的には12年前とは違うレベルの深刻さなのですけれど、不思議なもので、精神的にはとても平穏に過ごしています。
人生のタイムリミットを実感して、ウェルビーイングな生き方を真剣に模索し向き合う今日このごろ。心の平安は、家族と友人たち、信頼できる医療者に恵まれているおかげだと思っています。

真剣だけど追い詰められる感覚ではなく、自分と向き合いつつも孤独ではなく、ひとつひとつ納得するまで考え自己選択できることは、本当にありがたいことです。
楽しみなこと、やってみたいことが日々溢れています。(「別の扉」参照)

長男と次女の誕生日の12月21日がちょうど満月になるのは、7年後。

その時、私がいてもいなくても、満月を見上げて懐かしく思い出してもらえたら嬉しい限り…。

(2023年4月18日 がんセンター4020号室にて。
明日は抗がん剤エンハーツ治療の1回目)

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