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四月のおわりとか熊谷守一とか

もう暑いですね、といいたいのですが、夜半になると肌寒い。
いま、まさにサッシを引いて夜風を左側に感じながら書いてますが、冷たいでございます。

ハッキリしないのが四月末、なんでしょうか。

バス車内はクーラー入ってるし、JRもそんな感じで窓も開いているので形としてはもう、いいたくないけど「夏」だったりしますかね。
Tシャツに何かを羽織るって感じでいいと思うけど、その羽織ったものそのもので汗ばんだりしてます。

かといって深夜に少々散歩しようと思って駅前まで行ってみたら、駅周辺は人が入れないようにブロックするいろんなものが(まあ、柵ですね)あったりで、興ざめな感じがして自販機とかの明かりや、24時間餃子販売店の明かりだとかに顔半分照らされながら、ふたたび同じ道を戻ってくるだけの夜道は、まだまだ空気が冷たかったりします。

まいとし似たようなことを云ってる気がしているというか、云っている。
間違いないく。

きょうはなんとなく熊谷守一美術館へ足を運んでみました。

素朴さ。



守一の画が好きというか、あのひとの存在感が好き。
画としては、あの人が年齢を重ねていくなかで、いろんな外殻が消え去っていくところが好き。
そこになんらかの考え方がくみ取れるような気がして。

たぶん、今回で二回目か三回目の来訪行動。

あの美術館の存在感も味がありますし、調度品も熊谷守一そのものを体現しているように思うのです。

してあの絵の色味。
守一独特の朱色に輪郭線も。
あの境地にまで達せられる何かって、いいなあと思うわけです。

絵ハガキ、六枚ほど買いました。
そのなかからこれだという一枚を、専門家を交えながら再認識し、
検討を重ねることで国民に丁寧な説明ができるよう、準備を積み上げ加速させていきたいと考えています。

今、特別展中です。

守一像。雰囲気。



熊谷守一と、鴨井玲と、佐伯祐三と、三輪田米山(この方は書家)という、ガッツリとした存在感のあるアートが好きなんですよね。
よくは知らないなりに。
またいつか行ってみたいと思いつつ、帰ってきました。

乗り合わせとか、池袋のどこへ入っても人だらけのお食事処を忌避したせいで、三時過ぎても何も食べられませんでしたが。
池袋、本当に合わないわ、私。
東京芸術劇場の裏にあったはずの蕎麦屋、無くなってたし(泣。

うーん、なに書こう。

みなさん、相変わらず積読本、増えてますか?
私はたくさん本をBOOKOFFや古書店に売り払っていますが、その分を埋めるように古本が増加しています。
レオ・ペルッツの本が四冊ほど増え、
なぜだか『青の祓魔師」が増え、
ボルヘスも三冊増、
フロベールもスタンダールも増。

それなのに今エリック・フォッファー『波止場日記』を再読。
島田潤一郎『電車のなかで本を読む』と、
ガルシア=マルケス『エレンディエラ』と、
戸辺誠『一手ずつ解説する相振り中飛車』を並行して読んでいます。

ぜんぜん片付きません。
片付かなくてもいいんだけど、
どこまでも区切りがつかない。

どれか一冊に絞って読めなくなっている。
気移りが激しいんだと思う。
もうこればっかりは変えようがないとあきらめて、風呂場に本を持ち込んでこれから読みますね。

あ、あとたね埜に寄ってバゲット買ったら、久々珈琲豆売ってたので補充。
コロンビア主体のブレンドか、香ばしい。

包装が面白い。

まとまりのないものをここまで目を通してくださり、感謝。

珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。