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いじめられっこ小学生とちょっと変わった先生のお話


I先生

小学校6年生のときのこと。
子ども達から人気のあるI先生が担任になった。
この先生、これまで出会った先生とはちょっと変わっていた。

夜の星空観察会

星の授業のために学校と保護者から許可を取り、夜の学校の屋上に自前の天体望遠鏡を持ち込んで学年合同の星の観察会を開いてくれた。

クラスメートの中には飲食店を経営しているおうちがあり、そのお母さんが甘酒を振る舞ってくれた。
各自持参したおにぎりを食べたりカップラーメンをすすったりしながら順番に望遠鏡で星を観る。

子どもながらにめちゃくちゃワクワクするイベントだった。

I先生、自腹でパソコンを買う

理由はよくわからないのだか、先生は自腹でパソコンを購入して教室に持ち込み、授業に使っていた。
Windowsなんて無かった昭和の時代だから、できることは限られていたと思う。グラフを作って見せてくれたが、その他には何に役に立ったのかは正直わからない。
でも、パーソナルコンピューターなる未知のマシンを見た小学生にはワクワクが止まらなかった。

なんだかよくわからないけど、よくわからないワクワクするネタをたくさん提供してくれるI先生が、私は大好きだった。

ユウコ、いじめられっこになる。

それからしばらくして、私はちょっとしたいじめを受けるようになった。

ある日突然村八分、またある時は空気

これまで仲良しだったはずの友達が、休み時間になると私以外のクラスの女子を全員誘って校庭に遊びに行ってしまう。
教室でひとりぼっち。

ある時は、私が話しかけると聞こえないふり。

「今なんか聞こえた?」
「え?わかんな~い」

私に聞こえるようにそんなやり取り。
理由は、わからない。

クラスで居場所をなくして、クラスでどう過ごしたらいいかわからなくなった。実際、どうしていたのかまったく覚えていない。

ひとりぼっちになった、こんな恥ずかしい私のことは忘れてくれ居ないことにしてくれ、とばかりに存在を消してしまいたくなった。

自称優等生、いじめられているなんて絶対に言えない

自分でいうのは恥ずかしい限りなのだが、当時の私は児童会で副会長をして、外ヅラはいわゆる優等生だった。

近所の大人からは、ユウちゃんは優秀だねぇ…すごいねぇ。などとよく言われた。
親は「天狗になるな」とうるさく私に言ったが内心嬉しそうだった。

だからなのかなんなのか、家族にも、他の誰にもいじめられている情けない私と言う本当の姿なんて、絶対に知られたくなかったのだろうと今は分析する。

一人で耐えようとした。でも限界はやって来る

あのときの細かいことはすっぽり記憶にない。とにかく一人で耐えようとしたことしか覚えていない。
今日も1日耐えられた、と毎日を乗り越えるのに必死だった。

ことあるごとに、こっそり辛い気持ちをノートに吐き出しては破り捨てていた。
そうして辛うじて精神を保って生きていた。

でも、身体は悲鳴をあげていた。
登校して、校舎に入ろうとすると謎の吐き気、身体の痛みが襲ってくる。
いつも胸がムカムカする。

先生はお見通しだ

ある日、担任に呼ばれた。

「最近どうだ?」
「何か先生に相談したいことがあるんじゃないか?」

先生はこの頃の私の変化に気づいていたのだろう。

助けを求めるよりも勝る、変なプライド


「なんでもないです。大丈夫です。」

私はなにも言わなかった。
ここでもプライドが許さなかったから、優等生じゃない、恥ずかしい私は見せられないから。

先生は根掘り葉掘り聞くことはしなかった。正確にはおぼえていないが、ただ、こんなようなことを言った。

「なにかできることがあれば言ってな。」

先生は知っている、見守ってくれている

先生はそれ以上介入しては来なかったが、自分を見守り、気にかけてくれる人がいる。
私にはそれだけで十分だった。
先生は見ててくれるから、卒業まで自分でなんとかしよう、頑張ろう。

そこからプツッと何かが変わった。
小学校卒業までと心に決めて、何も感じないように心は貝のように閉じられた。

今考えると、頑張ろうとして心を閉ざすなんてどうかと思うが、おそらく人はあるところまで行くと防衛本能が働くのだろう。

仲間外れ問題はその後もあったりなかったりだったが、なんとか休まず学校に行って、ちゃんと小学校を卒業した。

卒業したあと、先生が言ってくれた。

「よく頑張ったな」

ちゃんと見ていてくれたのだ。
ふっ、と気持ちが楽になった。
これで自由だ。

その後

実はこの話が他人にできるようになったのは20歳を過ぎてからだ。

それまでは自分の黒歴史として墓場まで持っていくつもりだったのだが、外に出してしまった方がラクになるなとふと気がついて、仲の良かった友達にカミングアウトした。

友達は話してくれてありがとう、と言ってくれた。

この時の経験が私の小さな成功体験のはじまりである。

あの先生、今も元気かな。一生忘れない、大好きな先生。


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