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どじゃーしゅ

「どじゃーしゅの今季の……」

ん?
今、「どじゃーしゅ」って言ったよね?
野球というか、スポーツ全般興味がないわたしでさえ、「どじゃーしゅ」が惜しいということは分かります。

この人、今噛んだ。

わたしは車通勤のため、毎朝ラジオを聴いています。
内容に興味があるというよりは、「このコーナーが始まったら7時10分前後」と時間を把握するためです。
金曜日の朝7時台は、スポーツについての解説コーナー。
世界中を飛び回って取材しているという(たぶん)著名なライターが、野球について話していました。

彼はラジオに出演し慣れているのでしょう、「どじゃーしゅ」のことは気にも留めず、電話回線越しのくぐもった声で、淡々と大谷選手についてしゃべり続けています。

噛むということは、一種の「隙」を見せるということ。
世界中を取材で駆け回り、ラジオに長年出演し続けているということは、その道の専門家であるということです。
もしかしたら、ちょっとした権威なのかもしれません。わたしが知らないだけで。
そんな権威が、わたしに隙を見せた、ということが、なんだかちょっぴり嬉しかった。

ちゃんとしているっぽい大人が、うっかり隙を見せると、「可愛いなぁ」と思います。
そしてそのうっかりをなんでもない顔をして(と声から想像しています)、なかったことにする、その姿勢が愛おしい。
ほんとうに、見事なほどのなかったことにし具合でした。
もしかしたら、「どじゃーしゅ」に気づいていない人もいたのでは。
となると、この隙は、ごく一部の人にしか見せていない可能性があります。

なんといういじらしさ。
けなげといいますか、「ちゃんとしようって思わなくていいんだよ。どじゃーしゅ、ってよりによってそんなちょっと可愛くなっちゃう噛み方をしたくなるときもあるよね」と、抱擁を送りたくなります。

わたしがちゃんとしてない部類の大人なので、もっと世の中にちゃんとしてない大人が増えてほしい。
それが無理なら、ちゃんとした大人でもどんどん隙を見せてほしい。

その方が、世界中に「愛おしい」「可愛い」って感情が増えて平和につながると思うのです。
愛おしい気持ちを持ったまま、人は人を攻撃できないからね。
隙は世界を救う。

ちゃんとした大人の「どじゃーしゅ」が、世の中にもっとあふれますように。


参加しています。30日め。

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