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配慮、するのかい? しないのかい? どっちなんだいっ? すーーーるっ!!

たまにはふざけないで真面目な記事も書こうかと。

合理的配慮について。

でも、堅苦しく書いて「障害者対応めんどくさ」と思われるのは本意ではない。
ので、なるべくわかりやすく、具体例多めで書いていきたいと思います。

この4月から、障害者差別解消法により、「合理的配慮の提供」が、一般企業や私立の学校でも義務化されました。

めっちゃ簡単に言うと、

障害そのものを理由にして、サービスの提供を断ったり、マジョリティが受けられる恩恵を受けられないようにしたりしてはいけませんよ、マイノリティとマジョリティの差異を過度の負担がない範囲で埋めてくださいね、

ってことなのね。

詳しくはよたろうさんの、こちらの記事がとても分かりやすいので、ぜひご覧になって。
法律の解説から、国がこうしてほしいと言っている具体例まで、丁寧に教えてくれています。


わたしは小学校の先生をしています。
特別支援教育枠での採用なので、自分から配置転換を申し出ない限り、退職するまで支援学級もしくは支援学校での勤務になります。

だから、この手の話は、普通に過ごしていても脳みそがキャッチしてくれるんだけど、通常学級の先生の中には、知らない人もまだまだ多いみたい。

一緒に働いていると、悪い意味で

特性があってもなくてもみんな一緒教

の信者さんがたくさんいるなぁと思います。

というか、いい意味での「みんな一緒」との区別がついていない、のかな?
公立学校での義務化は、もう8年も前から始まっているのにね。
これは、特別支援教育コーディネーターでもあるわたしの啓蒙が、まだまだ足りないなって感じていて、反省しているところです。

前置きが長くなりましたが、教育の観点から、少しばかり、合理的配慮の具体例と、取り組みについて挙げてみたいと思います(やばい、ここまでで720字オーバー)。


小学校における合理的配慮の具体例

「君はこれで困ってるんだね?  じゃあこれなら上手く行きそう?」と自分の学級でやってきたことや、こういうことをすると良いですよ、と通常学級の先生にお話してきたことをいくつか。

  1. ノートのマスに文字を入れられません……
    →その子がうまく字をおさめられるサイズのマスのノートを保護者に用意してもらう。
    学年の指定ノートにこだわらなくてもOK。

  2. 字形を捉えて書くのが苦手で、鉛筆が太くなってくると文字の判別ができなくなります……
    →シャーペン使ってもいいんじゃない? 
    線がいつまでもクリアだし。
    芯を出さずに書けるタイプのものもあるから、そういうものの方が折れにくくて子どもにもストレスにならなくていいかも。

  3. そもそもノートがうまくとれません……
    →1人1台タブレットがあるんだから、それで授業の終わりに黒板の写真を撮ったらいいんじゃない? 
    税金で整備されたものだから、有効活用していきましょう!

  4. 教科書の音読ができません……
    →読み上げ機能付きのデジタル教科書があるよ。
    今読んでいるところをハイライトにする機能もあるから、目線で文字を追うことが苦手な子にもおすすめ。

  5. 不器用でリコーダーがうまく吹けません……
    →穴のところに貼るシリコンシールが楽器屋さんにあるから、保護者に買って貼ってもらおう。
    指が滑りにくくなって、密閉度が高まって正しい音が鳴りやすくなるよ。
    リコーダーの買い替えも厭わないのなら、こんなリコーダーもあるよ。

  6. 算数の練習問題をやるのに、ものすごい時間がかかります……
    →能力に合わせて、1問だけとか、偶数番号の問題だけ、とか調整してみては?
    内容によっては、九九表を持たせておくのも良いと思います。

他にもたくさんあるんだけど、まあざっとこんな感じで。
でもね、先生によってはものすごい拒否反応を示されることもある。

「みんなと合わせないといけない」とか
「指導しにくい」とか
「トラブルの元になる」とか
「他の子からするとずるいでしょ、それは」とか

あのさぁ……

それ、裁判起こされたら負けるよ?

なんたって、障害者差別解消法って法律で「やれ」って言われているんだから。

悪い意味での「みんな一緒」は今の時代アウトなんです。

誰のための「配慮」なの? よーく考えよう

「みんなと合わせないといけない」
「指導しにくい」
「トラブルの元になる」
「他の子からするとずるい」

それ、全部あなたの話ですよね?
主語、「担任である私」ですよね?
困りを抱えている子ども、どこに行った??

特性があったり、学習の特定の部分に難しさを感じていたりする子が、ちょっとの工夫でみんなと同じ学習に困らずに取り組めるようになるなら、それって素敵なことじゃない?

なんでみんなと同じノートを使い、
みんなと同じ筆記用具を使い、
みんなと同じリコーダーを使い、
みんなと同じ紙媒体を使わねばならないのか。
そこにそれこそ「合理性」はあるのか。

裸眼視力が0.7以下の人は、本来は自動車の運転免許は取得できないけど、視力矯正してその壁がクリアできるのなら、運転できますよね。
メガネをかけて運転するのは、裸眼で運転している人から見ると「ずるい」?

特別な支援を要する子にとって、マス目の大きなノートやシャーペン、タブレットは裸眼視力がダメダメな人間にとってのメガネと同じです。
使うだけでQOL爆上がり。
それを使わせない、というのはどういうことなのか、立ち止まって考えてみてほしいです。
あちこちで事故が起こって、余計大変なことになりません?

ちょっと手や目をかけて同じことができるのは、いい意味での「みんな一緒」。

合理的配慮の提供によるメリット

合理的配慮を提供するのは学校ですが、受給者は子どもです。
なので、子どもにとってのメリットを挙げます。

  1. 学習に集中できるようになる
    →マス目が小さすぎて字が書けないとか、自分で書いた字が読めないとか、学習の本質じゃないところでつまづくのはもったいない。
    ちょっとの工夫でつまづきを軽減できるのなら、安いものでしょう。

  2. 穏やかになることがある
    →特別な支援を要する子は、常に困難にぶち当たっているため、心がささくれだっていることが少なくありません。
    困難が解消されたら、徐々に穏やかになることも経験上よくあります。
    学級経営上のメリットも多いですね。
    先生にも恩恵があります。

  3. 受験の時にも配慮を受けられる
    →これがいちばん大きなメリットかもしれません。
    高校受験や大学受験では、解答の時間を伸ばしたり、答案用紙を大きくしたり、問題用紙の文字を大きくしたりといった合理的配慮を受けられます。
    でも、これは受験するときに急に言い出しても
    認められないことが多くて、これまでの学校生活で「こんな配慮を受けてきましたよ」という実績がないと、それこそ「ずるい」こととされて受け入れられません。
    その子の一生を左右することになります。

とはいえ、提供する側にも限度がある

担任の先生は1人しかいませんしね。
だからこその、「過度の負担にならない範囲で」という注釈がついているのです。

過度の負担って、難しいですけど、例えば、

  • 寝たきり、発語なしの医療ケアの必要な子を
    通常学級で学ばせたいから、看護師と介護士と個別指導の教師をつけてほしい。
    学校にエスカレーターと視線読み取り装置を設置してほしい。
    給食も胃ろうなので、専用のものを提供してほしい。
    送迎も介護タクシーでお願いしたい。
    もちろん全部公費で。義務教育だしね。

  • 自分の子どもだけ大きなマス目のノートを使うのは人目が気になるから、自分の子どもと同じノートを学年全員に使わせてほしい。

  • 支援学級に通わせるのは嫌なので、通常学級で個別につきっきりで指導してほしい。
    担任だけで対応できないなら、そのための専属教員を1人つけてほしい。

  • HSCで学校に行くと疲れるので、放課後、みんなと同じ授業を一人で受けたい。16時から19時まで授業してくれない?

このあたりはそうかなぁとなんとなく思いますね。
正確な判断は、裁判所のお仕事かなという気はします……。
だからあまり触れないでおく。

それに比べ、保護者にその子に合った学習道具を用意してもらうことは、「過度な負担」ではないと思います。
担任の見取りと段取りは必要になりますけどね。

配慮っていうより……

「合理的配慮」の英訳は、
reasonable accommodation。
というか、この言葉を日本語訳したのが「合理的配慮」なんですよね。

でも、accommodationって、日本語では「調整」って意味のはずです。
なんで「配慮」にしたんだろう、と内心思っています。
配慮って、なんとなく、困難を抱える側に対して、「こうしましょうか? こっちの方がいいですか?」とマジョリティ側がお伺いを立てて、善意でやってます、ってイメージがあります。
その「善意」が「義務化」ってんだから……
一部から反発があるのもやむなし、かなと思います。
まじで日本語訳下手すぎない? 
「合理的調整」でもよくない? 
だめ? 響きが事務的すぎるから?

やることとしては、「調整」のイメージでいいと思います。
学校と子どもと保護者で、お互いが快適に過ごせるためのルールを「調整」していくイメージですね。

クラスや学年の他の子との調整も必要ですね。
ずるをしてるわけじゃない。
わがままなわけでもない。

目が悪い子がメガネをかけるように、
難聴の子が補聴器をつけているように、
アレルギーの子がお弁当を持参するように、
学校生活を滞りなく送るために必要なツールだから、みんなと違うものを使っているよ。

という説明は絶対に必要。
高学年になったら担任監督の元、自分で説明させても良いでしょう。
自分で自分のことを説明できるということは、強みにもなります。

まとめ

①学習に向かう過程において困難がある場合は、
 環境の調整をする義務が学校にはある。

②合理的配慮が適切に行われていると、
 困難を抱えた子どものQOLは上がる。

③合理的配慮の実績がないと、
 当事者は一生にわたる不利益を被る可能性がある。

④学校側もできないことは「できない」と言っていい。

⑤みんなが快適に過ごせるよう「調整」をしよう!

あとがき

わたしにしては、長文の記事になりました。
意外と思うところあったんだなぁ、と自分でも自分にびっくりしています。
ここ数日、交流学級の先生と喋っていて、引っかかったことがいくつかあったので、その思いが出てきた感じかな。
わかりやすく、取り組みやすいのは使用ツールを変える、というところなのでツールに偏った話をしていますが、もちろん場所とか時間の調整も配慮の一つだよね。

もちろん、お父さんお母さんの方から学校に提案してみても良いんですよ!
担任に言いにくい、ということであれば、コーディネーターもどんどん活用してください。
コーディネーターに相談すると、支援学級に入ることになるとか、そんなこと全然ありませんので……(特別支援教育ってネーミングが良くない)

……あと、通常学級の先生は、コーディネーターがケース会議を開きましょ、って言ったときに、身構えたり拒否したりしないでほしい……な……🥺
吊し上げようとか、糾弾しようとか、校内裁判とか、そんな意図は一切ないんです。
「明日からできる支援を1つ、みんなで考えよう」って言葉通りの意味しかないです。
担任の先生たちを一人で悩ませないために、わたしたちがいるのです。
子どもたちに楽しい学校生活を送らせてあげたいなと思っているのは、わたしも同じです。

特性があってもなくても、みんなが「こうしてもらえたらもっと快適に過ごせるよ」って言えるようになったら良いよね。
特性があってもなくても、みんなが、ちょっとの我慢と譲歩をするだけで社会はよりよくなるって信じてる。
誰かだけが我慢したり、誰かだけが権利を享受するのはフェアじゃないからね。

うーん、我ながらINFJっぽいあとがき
そう、わたしINFJなんですよ。何回やっても。
INFJ生きづらいみたいな発信よく見るけど、典型的な日本人気質じゃない?

参加しています。25日め。

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