最近の記事

ガン細胞になりたい〜尤も確からしいこと〜

 海外で起こる戦争、為替の値動き、北朝鮮の弾道ミサイル、自民党の裏金。  ニュースを鵜呑みにする人、ニュースの裏をかく人、ニュースの裏の裏をかく人、その人を陰謀論者と冷笑する人、何も知らない人。  最近、世の中の動向が心底どうでもいい。真面目に受け止めようとするほど、肩透かしを喰らうというか、掴みどころがない情報ばかり。  やはり、オートマチックに肥大化してしまったこのシステムの限界を、最近ひしひしと感じる。  この僕の身体の行動を、僕の細胞ひとつひとつが望んでいなかったと

    • 河津桜祭りを終えて-思うこと

       僕にとっても、河津町にとっても年に一度の一大行事。桜祭り。  河津桜は、僕の友達のおじぃちゃんが河原で拾って植えたら、早咲きのピンクの鮮やかな桜が咲きましたっていうラッキーなやつ。  もちろん原木が植っているのは、友達のおじぃちゃんち。それがソメイヨシノなどに接木されて、クローンとして全国に植っている。  物心ついた時には、すでに祖父母が桜祭りでみかんを売っていた。学校の帰り道には、わけのわからない的屋のチョコバナナをよく食べていた記憶がある。  さて、単に農家・百姓

      • 基本役に立たないたまに立つ知恵の記録:1 「伊豆で化石掘り」

         先日、仕事が落ち着いて久々の海さんぽチルをした。場所は下田の白浜。基本的なチェック事項といえば、流木・レア石・流れルアー・流れワカメ・シーグラス・植物・貝殻といったところだろうか。  砂浜をトボトボ歩きながら、上にあげたチェック事項を本能のままに観察採取する。たまに、「あの人昼間からなんで浜散歩してるんだろ。仕事してんのかな。」って思うことがあるだろう。それは僕だ。 そんなこんなで、白浜のなかでもあまり行ったことのないエリアまで歩いた。 以下、いろいろ発見したものたち

        • 干し柿作業とデジタルデトックス(映画:ブラッド・ダイヤモンドの話もあるよ)

           秋といえば、柿。その中でも、渋くてそのままでは食べれたもんじゃない渋柿。これの皮を剥いて干すと、乾燥と同時に渋も抜けて、トロッと甘いデザートの完成。  小さいころからちょこちょこ食卓に並んでいた記憶があるが、いかんせん食感が苦手で受け付けなかった。その記憶のせいか、今もほとんど口にしない。  しかし、今年に限ってはなんだか美味しく食べられそうな気がしている。  今年の春から本格的に田舎にUターンをし生活しているが、一年目にして存分に四季の移ろいを肌で感じている。そんな中の

        ガン細胞になりたい〜尤も確からしいこと〜

        • 河津桜祭りを終えて-思うこと

        • 基本役に立たないたまに立つ知恵の記録:1 「伊豆で化石掘り」

        • 干し柿作業とデジタルデトックス(映画:ブラッド・ダイヤモンドの話もあるよ)

          縄文人に"やばい"って言わせたい(君たちはどう生きるか)

          解釈無しで分かるやばさ。自然と関わると、そういった場面が節々にある。最近で言うと、でっかい波を食らった時など。"うっわやっば"となる。 私が縄文土器に魅了されたのはその"やばさ"なのである。  一時期血迷った私は、縄文土器を解釈しようとしていた。この模様はこれを模写してるとか、こういう意味だとか。しかし、解釈しようとすればするほど興醒めしてしまう自分がいた。 最近『君たちはどう生きるか』という映画を見た。まじで訳がわからなかった。ところどころ、伏線的な何かがあることで、余

          縄文人に"やばい"って言わせたい(君たちはどう生きるか)

          猪-知ることで沸き起こる感謝

           今日は草刈りの予定だった。祖父が亡くなってまだ半年とちょっとしか経っていないのに、手入れされていた山が森に還りそうになっていた。祖父が日々手を入れて、何十年と維持してきた山だったんだということを改めて感じている。  人が手入れしている山が、自然に返上されゆく様はどこか寂しい気だ。この土地にいた先祖の香りが無くなってしまうようで、なんとも侘びしい気持ちになる。  というわけで、草刈りをしていた。  タスクも中盤に差し掛かろうというとき、上から一台の軽トラックが降りてきた。見

          猪-知ることで沸き起こる感謝

          マイ・スタイル

           スタイルってなんだろう。スタイルにこだわる自分がいる。  自分のスタイルを暗中模索する日々。ここ半年は、淡々と目の前にあることをこなして来た。その中で、自分がイカしてると思う自分自身の姿を探していた。 でも気づけば、人は、僕をみてどんなスタイルをイメージしているのか。人からみてイカしてるスタイルってなんなのか。そっちにどんどん引っ張られていく自分がいた。  でも改めて教えてもらった。僕のありのままが、イケてようがイケてなかろうが、僕のスタイルであるということ。何をしてい

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          満たさせてはくれない社会

           現代における大抵の商売は、食って寝るというもっともシンプルな生きるということとはかけ離れている。IT?無くても生きれる。デザイン?なくても生きれる。ディズニーランド?なくても生きれる。  それらは、ただ生きることに必ずしも必要不可欠ではないが、人生をある種豊かにしてくれる。豊かであるという定義は、人それぞれ千差万別だが、豊かさのゴールは極めて曖昧である。  あれが手に入れば次はこれ、あれが食べれたから次はこれ。その欲求を引き出しコントロールすることがビジネスであり、経済を回

          満たさせてはくれない社会

          自然は楽しませてもらうものであり、楽しむもの

           僕は生まれてこの方、たくさんの木々や、虫や動物、風や波、たくさんの存在に囲まれて生きてきた。  それが無い人々にとっては、なんと豊かなことだろうと思うかもしれない。しかし、そんな生活を営む僕たち自身は、意外とそれが豊かなことだと気づけない。  ただ、家で生活していることも、毎日3食食べていることも、それが"無い"という視点から見れば豊かであり、素晴らしいことだろう。  それと同じように、自然という存在があまりに身近すぎて、ただ在るものとして受け止めがちである。  禅の世界

          自然は楽しませてもらうものであり、楽しむもの

          淡さの中の世界

          年上の友人との、今夜のゲリラ的対話セッションの記録。  今日のセッションの入り口は、曹洞宗大本山永平寺の食に対する作法。曹洞宗の開祖道元は、食もひとつの修行であると説いた。命をいただき、今ここに自分があることに感謝する。それを作法をもって深く腑に落としてゆく。  食材は決して無駄にはせず、全ての食材を差別・区別することなく大切に扱う。そしてそれらを調理する際は、淡さを残し、それぞれの個性を楽しむことで命に恩を返す。  本来命や物質自体に上下はなく、それら一つ一つが折り重な

          淡さの中の世界

          概念を縄文でぶち壊す

           縄文土器を知ってるだろうか。多分、一番有名なのは火焔土器。燃え盛る炎のようだと近世の学者が勝手に名付けた。  縄文土器の展示を見に行くと、俺を含めほとんどの人がその文様を解釈しようとする。  これは動物なんじゃないか、これは安産を願ったんじゃないか。どれも正解かもしれないし、不正解かもしれない。芸術ってのは所詮そんなもんなのかも。道端に落ちてる犬のうんこも、人の解釈次第でどうとにでもなる。  むしろ、一般的にはそこに意味づけする作業が芸術かもしれない。いかに崇高な意味づ

          概念を縄文でぶち壊す

          心で舵を取り、頭でオールを漕ぐ

          僕の二十代前半の最大の挫折は、頭で舵を取って来たことかもしれない。 どうやら自分という船は、ガソリンとか電気とか無機質なもので動いてるわけではないらしい。定規とコンパスで行き先を決めても、心という動力に頼っている以上なかなか辿り着かない。それどころか、気づいたら座礁しかけていた。 こないだ、ハウルの動く城を最近金曜ロードショーで観た。どうやら俺自身は、カルシュファーが動かしてくれてるようだ。カルシュファーのご機嫌を損ねては船は進まない。逆にカルシュファーが欲しいものをぽろ

          心で舵を取り、頭でオールを漕ぐ

          自給力

           俺が伊豆河津に住む理由のひとつのテーマとして、"自給"がある。  きっかけは曖昧だが、簡単に言えば今の膨張した産業社会からの離脱。便利なもの、楽しいもの、自分の欲求を満たしてくれるコンテンツに溢れている世の中だが、その一方で至る所で歪みが生まれていることは薄々感じていると思う。格差、温暖化、食糧危機、自殺、ニュースや教科書で嫌というほど耳にはするが、どれほどの人が自分ごととして捉えているのか。  俺はみんな幸せだって胸を張って言えればどんな生き方でも構わないと思う。でも

          自給力

          立春

          日本には二十四節気という節目がある。一年を陽が上り沈むサイクルだけでなく、自然現象や生き物の気配から変化を捉える。 そして間も無く、日本は立春を迎える。日本と言っても、沖縄と北海道では誤差があるだろう。昔の人たちは、何月何日になったら春という捉え方ではなく、ただ"感覚"でその節目を感じていたと思う。 俺は今年初めて立春を感じた。まだめちゃめちゃ寒い。裏庭では、何気なく置かれたキリンのグラスに、いつの間にか溜まった雨水が凍っていた。夜には、たばこを支える指が悴んで言うことを

          立春

          花は、下品だよ。

          俺はまだ花を好かん。 だって下品じゃないか。性器を丸出しにして。 エロとグロは直接本能に訴えかけてくる。だから、人の心を簡単に揺さぶり、掴むことができる。 そんな簡単に掴まれる奴も大概だが、いかんせんこんな忙しくて厳しい世の中じゃ、そんな手っ取り早い刺激を求めてしまう気持ちもわかる。なんてったって俺自身、脳を停止させて観れる"特攻野郎Aチーム"みたいな映画が何かを満たしてくれる日常を彷徨っている。 花はエロい。だから、人をぐっと寄せ付ける。だからこそ、俺は拒絶反応を起こ

          花は、下品だよ。