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テストをすると学力が下がる?

 教員として日常の授業を振り返ってみると、生徒たちは思った以上に学習した内容を覚えていないな、と感じることが多い。うろ覚えといったレベルではなく、習ったこと自体を憶えていないこともしばしば。
 
 勉強していないわけではないし、テストではある程度できていたのになぜだろう?また、そんな生徒たちも大学入試ではしっかりと力をつけて合格していく。日常の学習と大学入試、何が違うのだろう?

 演習が足りない、反復が足りないからだ、そう思っていた時期もあるが、どうもしっくりこない。本当にそうなんだろうか。

テストをしているせいなのではないか

 ここでいう「テスト」とは「定期考査(ある期間ごとに範囲を決めてその内容の理解度を測るテスト)」のことである。

 定期考査前1週間程度は部活動も中止になる学校が多く、 定期考査前に勉強に励んでいる生徒をみると、頑張っているな、と感じる。実際考査ではある程度点数も取る。しかし、どうやらすぐに忘れてしまうようだ。これは定期考査の勉強が短期記憶となっているからではないだろうか。

短期記憶の罠

 日常的に継続的な学習を行わず、定期考査前に一気に内容を詰め込む学習スタイルは、短期記憶に頼ったものとなりがちだ。このため、学習で得た「知識」が、長期的な「学力」へと変換されず、考査後に内容を忘れてしまうことにつながっているのではないか。

 こうした、定期考査を中心とした学習は、生徒たちの興味や関心から離れた内容の暗記に偏りがちである。本来、学習の中心となるべき興味や好奇心が、試験範囲というフレームがあるために広がっていかず「まずは正確に覚えましょう」という作業になってしまうのである。このような学習は、生徒たちの内発的な動機付けを損ない、記憶の定着を阻害してしまうと考えられる。もしそうだとすると、テストをすればするほどむしろ学力は落ちてしまうとも考えられる。

ペーパーテストの限界

 様々な教育改革が叫ばれてはいるが、まだまだ教育現場では、知識量を中心に学力を評価するペーパーテストが主流となっている。これは学力=知識という既定の価値観に基づくものであり、知識を超えた多様な能力や資質の育成を軽視してしまうリスクがある。

 技術の進化やAIの台頭により、単純な知識の価値はどんどん減少していく。今後、「学び続ける力」や「問題解決能力」など、新しい学力の定義が求められる時代となるのは明白だ。この時代の流れの中で「覚えること=学習」という旧来の観念は早く見直すべきである。

 本来、自分自身の興味・関心に基づいた学習は楽しいものであるはず。これをペーパーテスト、点数で評価しようとすると前述のように単なる作業となり楽しく無くなってしまう。

「内発的動機(モチベーション)」と「教育のプロたる教師」の重要性

 現場で生徒と接していると、生徒の内発的動機の重要性は極めて高いと感じる。これにより同じ内容を同じ時間学習したとしても、生徒身に付ける学力は大きく変わる。大学入試時期になると学力が伸びていく理由も、入試という一大イベントを迎え、自分自身の人生を考えることにより内発的動機が高まるからと考えられる。

 教師の役割は、分かりやすい授業やテストをして知識を詰め込むだけではなく、生徒の内発的動機を重視し、1人ひとりの人生に即した教育デザインを行うこととなっていく。そして、その実現のためには、大局的な視点を持ち、真の教育の価値を理解する教育のプロたる教師たちが必要となるのだ。

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