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学校教育で生徒に付けるべき力とは

 教育の目的とは何だろう。
学校教育で生徒に付けるべきは、自らを成長させ続けることができる力であると考えている。最近では「自走力」という言葉が一般的のようだ。我々教員が関わることができるのは生徒の人生のほんの一瞬。生徒達にとっては卒業した後の人生の方が圧倒的に長い。学校・教師から離れても成長し続け、社会で活躍できる人間。主体的に自分の人生を幸せに生きていける人物になってもらうことが学校教育の目的である。

自らを成長させ続けることができる力(自走力)とは?

ⅰ)興味・関心を持つ力
ⅱ)積極性・行動力
ⅲ)吸収力・学力
の3つに分解できるのではないかと思う。

 「持って生まれたもの」が大きいようにも見えるが、家庭の教育方針、環境によって育まれた部分も少なからずあるはずだ。また、私はⅱ)を最も重要な能力であると認識しているが一般的に日本人は弱い傾向にあるように思える。
これらを学校教育の現場でどのように伸ばしていくのかを考えていきたい。

ⅰ)興味・関心を持つ力

 幼いときは皆強く持っているはずの能力である。しかし、成長するにつれて減少する人が多く、その差は大きくなる。これには家庭の考え方・環境が大きく関わってくる。私は家庭・保護者が
   「学歴以外のモノサシ」を持っているかどうか
が重要であると考えている。

「学歴以外のモノサシ」

 子供の興味・関心を引き出し、伸ばすためには子供の興味・関心を認め、大切にする姿勢が大切である。それが徐々に失われるのはなぜか、それは逆に興味を持ったことを否定されたり大事にしてもらえなかった、という経験が積み重なるせいである。
 例えば学校教育が始まる年代になると、「そんなことよりも先に宿題をしなさい」「勉強したら 〜 していいよ」という声がけをしたことはないだろうか。親としては当然の声がけであるが、ひょっとすると子供にとっては

自分の興味・関心よりも上位の存在がある
 
ということをたたき込まれていることになりはしないだろうか、と思うのである。こうして「成長」とは「自制」することとなり、興味・関心を外に出しにくくなる。さらに中学受験をするとなると小学校の早い段階からこの状態に陥ることとなる。中学・高校になって生徒が受け身で何にも関心を示さない、といった状況はこういったところから来ているのではないか。

 もちろん中学受験に関しては、入学後恵まれた環境で様々な経験をさせてもらえ、結果として関心が広がりやすいとも言えるので単純には考えられないが、個人的には幼少期の素直な興味に勝るものはないと思っている。

 さて「学歴以外のモノサシ」の話に戻ろう。興味・関心を持つ力が強い子供を育てるには、上記の逆を行えば良いということになる。すなわち子供が何かに興味を持ったときに、勉強になるかどうかなど考えず思い切り認めてあげるのだ。これを可能にするのが「学歴以外のモノサシ」ということになる。勉強は大切だけど、この子の人生にとっては他にも同じくらい大切なものがたくさんある!という感覚を親が持てるかどうかである。

 では学校教育でこれらを伸ばすことは可能か?
正直、家庭の方針・環境に優るものはないと思うが、

   「みんながアウトプットできる環境」
   「何を話しても大丈夫という心理的安全性」

を確保し、自分の思いを素直に出せる機会を増やすし、さらにその場面を捉えた教師や友人がその思いを肯定する。こういったことを増やすことで少しずつ育まれるものであると考える。
 結局環境が全て。環境を作ることこそ最上の教育と言える。

ⅱ)積極性・行動力

 前述したとおり、私はこの能力が最も大切であると考えている。社会がどのように変化していくのか分からない現代では、正解は常に変わっていく。「どう動くか」という選択の正しさではなく、「動けるかどうか」が重要となるのだ。

積極性・行動力を養うには
「行動の成否ではなく、行動そのものを認め褒める」
ことが必要である。その行動が正しいのかどうか、有効であったかどうかの議論はその後で良い。(犯罪や重大な事故につながるものは事前に止めるべきだが)日本人に足りないのは失敗の経験であるとも言える。

学校で失敗の経験を積ませることは可能か?

 「たくさん失敗をさせましょう!」といった話は学校現場でも言われることである。しかし、ここでいう失敗とは教師の想定内のものだ。これが本当に失敗の経験と言えるのか、積極性・行動力を養うことにつながるのか。と考えるとやはり物足りない。本当の意味で生徒に全てを任せ、どんどん失敗をさせることが必要である。
 
 学校には秩序が必要であるし、外からの目もある。なかなか難しいところではあるが学校・教師陣が共通認識を持って取り組むべき課題である。

ⅲ)吸収力・学力

 同じような経験・学習をしても、それを取り込み成長に繋げる力は生徒により大きな差がある。私は

 「経験と自分自身の持っている知識とを結びつける力」

と考えているので、今回挙げた3つの中ではもっとも勉強と相関の強い能力であると思っている。結びつけるべき知識が増えていかないと吸収力も上がらないのである。こう考えると「学力」とは「テストで点数を稼ぐ力」とは少しニュアンスが違うのは感じていただけるのではないか。

 この能力が強く、あらゆる出来事をプラスの経験へと変えることができる生徒は一定数いる。また、さまざまな出来事をプラスの経験へと変換することは教師のサポートによりある程度再現することが可能である。教師の仕事とは学校で起こるあらゆる出来事を生徒にとっての良い経験、すなわち教育にまで昇華させることであるとも言える。

学校・教員がもっと社会とつながるべき時代へ



なかなか上手く言語化できないが、学校教育ではこれらのことが大切であると考えている。では現在これができているのか、と問われると難しいと言わざるを得ない。

 多くが「授業」ではなくその他の場面・シチュエーションを捉えて行うべきものであり、1対1のコミュニケーション、フィードバックが必要な教育であるので、30〜40人クラスで効率的に行うことは難しい。また外からの評価を気にする「No  Lisk主義」の学校運営では、生徒に全てを任せるということができない、など主に制度の問題で阻まれてしまう。

 必要なことではあると思いつつ、制度から変えていくのは非常に厳しいものがある。ではどうすれば良いか。まずは実際に生徒に接する教員が変わるべきであると思っている。

 教員1人ひとりが「今の社会」を見て「これから生徒が生きていく社会」を想像し、必要な教育を考えていく。今の制度の中で現場から新しい教育の実践例を積み上げていくことにより、ボトムアップで制度を変えていく。これしかないと思う。

 そのためにも教員が積極性と行動力を持って学校から飛び出していくべきだ。慣れた環境から離れて視野を広げることが自分のため、更には関わってくれる生徒の人生のためになる。
 そういった教員を増やしたいし、それをサポートできる人になりたいものだと思っている。

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