見出し画像

普通という言葉の裏に隠されているもの #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

普通という言葉を聴くとどんな印象を受けますか?

いいものでしょうか?
悪いものでしょうか?
それとも、どちらでもないでしょうか。

普通という言葉に息苦しさを感じている人、もしくは憧れている人、色々な方がいると思います。

今回は、普通という言葉に隠された本質と、普通という言葉から自分の才能を見つける方法についてお伝えしていきます。

世の中ではよく「普通は~」という言葉が聴かれます。

その中に何が隠れているのでしょうか?

そして、その奥底に潜っていった時、何が見つかるのでしょうか。

誰もが普通に使っている普通という言葉。

今日はその本質に迫っていきます。

それではいきましょう。

普通って何ですか?

突然ですが、皆さんは「普通」という概念について考えたことがありますか?

考えてみてください。

合意が取れているもの
可もなく不可もないもの
つまらないもの 

など、色々あると思います。

では、その普通とは誰にとっての普通なのでしょうか。

我々が「普通」という言葉を口にする時、それは誰にとっての普通と思っていることなのでしょうか。

自分でしょうか。相手でしょうか。それとも他の第三者?

その普通が自分にとっての普通だとするなら、その言葉を口にするとき、「自分にとっての普通だ」と毎回自覚しながら話しているでしょうか?

違いますね。

結論を言ってしまうと「普通」という言葉には「みんな」◯◯というニュアンスが含まれます。

ここで「みんな普通◯◯するよね」ということについて考えてみましょう。

みんな普通、部屋は掃除するよね
みんな普通、約束は守るものだよね
みんな普通、靴は揃えるよね

など...。

人それぞれ「普通」があると思います。

ちょっと、書いてみましょう。

①貴方はどんな普通〇〇だろ、という価値観を持っていますか?

多ければ多いほどいいので、思いつく限り書いてみてください。

書きましたか?

書いたら進みましょう。


余談ですが、人が「みんな」という言葉を使う時、多くの場合は日本人という単位で使用していることも多いのではないでしょうか。

アメリカ人にはイラっとしないけど日本人にイラっとすること、ありますよね?

日本人という単位自体はは今回は特に大切ではないのですが、我々が「普通みんな◯◯でしょ」という言葉を使うとき、大体は「普通(日本人は)みんな(100%)◯◯してる(のになんであなたはしないの?)」という意味を含んでいることが多いように見えます。

『普通』とは理想の押し付けである

では、先ほど挙げた「みんな普通◯◯するよね」というものを、日本人の100%がしっかりと履行して守っているでしょうか。

あなたは部屋を必ず掃除しますか?
必ず約束を守りますか?
必ず靴を揃えますか?

どうでしょうか。

毎日毎日。
どこへ行っても。
寸分違わず。
100%。

守ってないですよね?

たまに忘れたり、やらないことありますよね?

そうなんです。

これらを全て従順に履行している人は限りなく0%に近いのです。

ここで「やってるよ!」と反応している人ほど、やっていない自分を自覚していないのではないでしょうか。

つまり、我々が使う「普通」という言葉とは理想なのです。

人が「普通◯◯でしょ」という時、それは自分の理想を人に押し付けてるだけにすぎないのです。

また、自分の理想の中で「本当はやりたくないこと」と「やってないこと」を普通と言います。

先ほど考えていただいた「みんな普通◯◯するよね」というのは自分の理想であり、本来はやりたくないことをあなたがしている時に生まれる言葉なのです。

最近の芸能人とシェフの不倫の例などわかりやすいかも知れません。

芸能人が不倫すると、どこからともなく多くの人が批判し始めます。

「普通、そんなことしないよね」と。

あれは、本当は自分も不倫したいけど我慢している。
本当は我慢なんてしたくない。だから叩くんです。

そして、そのことを自覚しようともしないから人を批判することができる。

つまり、叩いている人は叩けば叩くほど「俺だって本当は不倫したいんだ!!!!!」と自己アピールしていることに他ならない、ということを覚えておきましょう。

ケーススタディ

さて、ここからは実際にどんなふうなケースがあるのか具体例と共に解説していきます。

最近心の中で「普通◯◯だろ!」と誰かを責めたことがある人は、そのことを思い出し、ご自身の考えと比べながら読み進めていって下さい。

Aさんの場合

私のセミナーに参加したAさんは
「誰かに何かをしてもらったときは普通ありがとうと言うべきだ」
という「普通」を持っていました。

果たしてAさんは本当にありがとうと言いたくて言っているのでしょうか。

毎日毎日感謝したくてうずうずして生きているでしょうか。

そんなことはないですよね?

実際は感謝なんてしたくないのではないでしょうか。
むしろ感謝するどころか、もっと尽くせとか、もっとよこせとか、そういう気持ちが奥底にはあるのではないでしょうか?

それを隠すために、感謝の言葉を言っている。

逆に言えば、強欲な自分を隠して生きている。

だから、感謝を言わない人間を言うとイライラする。

感謝を言わない人にイライラする人の本質は、これではないですか?

Bさんの場合

また別のBさんは
「普通他人が道を通るときにはよけるべきだ」
という「普通」を持っていました。

いいですね。普通感に溢れています。

ですが、果たしてBさんは本心から他人の為によけたいと思っているのでしょうか。それは常識だからといって我慢しているのではないでしょうか。

本当はこの人は人のことなんてよけたくないし、なんだったら人が避けるべきだと思っているのではないでしょうか?

それを我慢してよけてあげてるから、よけてない人にイラっとするのではないでしょうか?

つまり普通が何を隠しているか

先ほど、普通とは理想の押し付けであるということをお伝えしました。

これを踏まえて前述の2人の例を見ていくと

Aさん:本当は感謝をするのが面倒臭いのにも関わらず、自分は「感謝をすべき」という価値観に従おうとしているため、それをしない他人へ強要している

Bさん:自分は本当はそれをしたくないけど常日頃から他人に敬意を払い、道で他人の通行の邪魔にならないように心がけているため、自分に道をよけてもらうくらいの敬意や承認や賞賛を欲し、それを強要している

ということが無意識に反応として表出していることが見受けられます。

「普通他人には気を遣うべきだ」と言う人は相当気を遣いたくない人で、「普通連絡に返信すべきだ」と言う人は返信を嫌々している人なのです。

嫌な奴ですね。

普通という言葉は、自分が嫌な奴をいうことを隠すのに、とてもいい言葉なのがわかりますか?

『普通』という言葉が夢を遠ざける

繰り返しになりますが「普通」というのは、本人が抱いている理想かつ、本当はやりたくない、もしくはやっていないことです。

日本人が芸能人の不倫のニュースに対して批判的に反応するのは、本当は自分もイケメン俳優や美人女優とセックスがしたいからなんです。

そうでしょ?素直になれよ。

では、他人へ理想の押し付けていることとは反対に、全く他人に強要する気持ちを持たずに取り組めること、それを取り組むにあたり苦にはならないこともありますよね?

考えてみましょう。

私であればTwitterの更新や運動です。

Twitterは例えコンサル生がやらなくても、指示や指導はしますが強要はしませんし、イラっともしません。私自身も、誰かにやれと言われなくても取り組みます。

そういうものが、誰しも必ず1つ2つはあるはずです。

これは人それぞれ異なります。

自炊でもDIYでもなんでもOKです。

普段、自炊をする人の中にも他人に対して「なんで自炊しないの?」と強要する人もいますが、そうでなく、全く他人に強要しようと思わないことを考えてみましょう。

自分が当たり前にやっていることや、無自覚なのにも関わらず何故か他人から褒められることを思い出すとヒントになるかもしれません。

部屋の整理整頓
みんなの靴を揃えること
友人の悩みの相談を聞くこと
電車でおばあちゃんに席を譲ること

など、なんでもOKです。

これは大切ですので、できるだけたくさん書き出してみて下さい。

②貴方が全く他人に強要する気持ちを持たずに取り組めること、それを取り組むにあたり苦にはならないこと、自分が当たり前にやっていることや、無自覚なのにも関わらず何故か他人から褒められることは何ですか?


書きましたか?

書いたら読み進めてくださいね?

さて、今考えていただいたようなこと、書いてもらったようなことを、特に誰に強要するわけもなく、日常で呼吸をするかのように当たり前に出来たら素敵だと思わないでしょうか。

そして、実際にやっていませんか?

やっていれば、それがあなたの才能です。

才能とは「全く他人に強要する気持ちを持たずに取り組めること、それを取り組むにあたり苦にはならないこと」なのです。

今一度、最初にあげて頂いたあなたの「①の普通」と、今あげて頂いた「②の普通」を比べてみてください。

①貴方はどんな普通〇〇だろ、という価値観を持っていますか?

1つ目のワーク

②貴方が全く他人に強要する気持ちを持たずに取り組めること、それを取り組むにあたり苦にはならないこと、自分が当たり前にやっていることや、無自覚なのにも関わらず何故か他人から褒められることは何ですか?

2つ目のワーク

どうでしょうか?

①と②に相関性はありますか?

よく見てみてください。

ここで伝えたいのは、我々が考えている「①普通」という他人への理想の押し付けは、その裏側にある「②他人に強要しようと思わずに進んで取り組めること」という生まれ持ったあなたの才能を潰すものになり得る、ということです。

『普通』という言葉を復讐に使うな

前者の「普通◯◯べきだ」という世界は、自分がやられたことをやり返すという復讐であり、足の引っ張り合いの世界です。

反対に後者の「他人に強要しようと思わずに取り組めること」は続けていくことで評価され、それは仕事にすることも可能な分野なのです。

我々は人生を送るうえで、後者の世界を大切にしていく必要があると言えます。

我々は「普通」という言葉を他人に使えば使うほど、他人にそれを強いると同時に自分をもその「普通」から逃れられない状態にします。

①が沢山ある世界ってめっちゃ不自由そうに見えませんか?

①が沢山ある世界では、②を発揮する人は少ないように見えませんか?

「常識的に」という言葉も同じです。

例えば他人に対して「お前無能だな、普通もっと頑張るだろ」「常識的にもっと気を遣うだろ」という言葉を言えば、自分がそうでない時にはその言葉の刃はそのまま自分に向けられることになります。

他人に「普通」という理想の押し付けをした瞬間、「お前はどうなの?」という言葉が返ってきます。

これには終わりが無く、両者が「普通」という理想の押し付けをし合った結果、それは不毛な喧嘩となるのです。

「普通は◯◯だ」や「常識的に◯◯だ」という言葉は復讐であり文句なのです。

『普通』に囚われるな

しかし、この「普通」という言葉のおかげで社会の歯車は動いている側面もあるため、使わないといけない瞬間も存在します。

この「普通」という言葉に囚われる人もいるかも知れませんが、ぶっちゃけ気にすることではありません。気にしなくていいし気にするべきではありません。

何故か?

例えば上司から「普通(常識的に)もっと気を遣うべきだろ」と言われ、一生懸命、気を遣えるようになったとします。

するとあなたは気を遣える人にはなりますが、気を遣える人止まりでありそれは仕事にはなりません。

ただ、もしそこで気を遣うことが楽しいと感じ、それを誰に強要するわけでもなく好き好んで取り組めるのであれば、その気を遣うということは仕事になり才能へと変わるのですが、言われてやったことでできたことなんてせいぜい『普通』どまりなんです。

普通〇〇だろ、と言われてやったことなんて、普通程度にしかできるようにならないんです。

ダブルミーニング感があっていいですね。
※ただ、この普通があまりに欠落している場合、必要最低限として普通を身に着けることで才能が活きる場合もあります。それはまたの機会に。

自分が楽しいと思ってやったことは才能になりますが、言われてしぶしぶやったことは普通程度の能力しか持ちません。

相手につい強要させてやらせたいことの先、つまり『普通』の先にあなたの理想や夢が叶うことはないと言い切れます。

『普通』から才能を引き出すプロセス

我々が無意識に他人へ行っていた『普通』という理想の押し付け。

では、その裏にある生まれ持ったあなたの才能をどの様に引き出し、それを開花させるかについてお伝えしていきます。

あなたの中の『普通』から才能を発見し、望むものを手に入れるプロセスは以下の通りです。

①自分の持っている「普通◯◯だ」は何か
②それによって自分が得たいであろうテーマ、興味は何か、関心は何か(欲望)
③①をやめてみて、「自分はやらなくていい」という許可を出し、その時の心情を想像する
④その空いたエネルギーの余白で何をするか
⑤それにより何が手に入るか

ここでもう一度みなさんの「①普通」と「②他人に強要しようと思わずに取り組めること」を思い出してください。

記事の初めに出てきた「誰かに何かをしてもらった時は普通ありがとうと言うべきだ」というAさんの例で言うなら、Aさんがいくら他人に感謝をさせようとしたり、強要して感謝の言葉をもらったところでその先に何も生まれないのです。

この「普通◯◯だろ!」という反応が出たことに気がついた瞬間に、まずは自分が自分に「「ありがとう」と言わなくてもいいんだよ」という許可を出します。

「無理に感謝の言葉を伝える必要はないし、相手が感謝を伝えようと関係ないな」と自分と相手の両方への裁く気持ちを許して手放す意識を持ちます。

そして今まで持っていた相手に強要するエネルギーというものを全て手放したとき、「その空いたエネルギーの余白で何をすると良いか」また「何をしたいと思うのか」を想像します。

その空いたエネルギーの余白でわざわざ自分が嫌いなことをしようと思う人は少ないでしょう。

大体の人はそこで自分が楽しく感じること、または自分がしたいことをしようと考えると思います。

Aさんの場合、この感謝の強要を手放したことにより生まれたエネルギーの余白で「もっと相手のことを観察してみる」「良いところを見つけて褒めてみる」と言いました。

これはすごく示唆的な話であるといえます。

『普通』を手放すと欲しいものが手に入る

今の例をまとめると、

①Aさんは「普通は感謝を伝えるべきだ」と思い、それを他人に強要していた

②感謝を欲していた

③ここで感謝することやめ、自分と相手いずれも「感謝しなくていいんだよ」と許可を与える

④許すことで裁きのエネルギーが減り、その空いたエネルギーの余白で相手の良いところを探し褒めてみようと思う

⑤相手は褒めてもらい気分がよくなりAさんに感謝を伝える

という流れになります。

感謝の強要をやめた時に、感謝が手に入ったことに気が付きましたでしょうか。

つまり、「普通」という理想の押し付けを手放すことで、手に入れたかったものが今までとは異なるルートをたどり手に入るということです。

これは全てに言えることですが、我々は強要を手放すことができると、手に入れたいものは強要せずとも手に入るのです。

ただ、これには一回完全にその強要を手放す必要があります。

貴方も「普通」や「常識的に」などの言葉を使い、他人に理想の押し付けや復讐することをやめ、自身も相手もそれが強要されないのだとしたら、その空いたエネルギーで本当は何をやりたいのかをよく考えてみてください。

今まであなたがずっと欲しかったにも関わらず中々手に入れられなかったものは、この「普通」の反対側である「他人に強要しようとも思わない、空いたエネルギーでしたいこと」の中にあります。

Bさんの例で言うなら

①Bさんは「普通、他人が道を通るときはよけるべきだ」と思い、それを他人に強要していた

②そのことにより承認や賞賛を否定されている感覚を受け、本心はそれを欲していた

③自分と相手、いずれも「人なんてよけなくても良いんだよ」という許可を与える

④許すことで裁きのエネルギーが減り、その空いたエネルギーの余白でゴミ拾いをしたり、ボランティアをしたりしたいと思う

⑤日々そういった善行を積むことでBさんは敬意を払われるようになり結果として承認や賞賛が手に入る

このように、我々の「普通」の裏にある本心は、その他人への強要を一旦横に置き、手放した時に初めて手に入るのです。

逆に言えば、我々が衝動的な反応により短期的に得ようとしているうちはその本心にある望んでいるものは手に入らないと言えます。

我々の考える「普通◯◯だ」というものは、実は自分の本当に欲しいものを遠ざけてしまう危ないものだということがお分かりになったと思います。

少し「普通」という言葉を使うことを控えようと思いませんか?

いきなり本心を洗い出すのも難しいので、その時のポイントをお伝えします。
「「普通」っていう言葉を使った時、自分はこれによって何が得たいのかなぁ」と想像してみてください。

我々はこの「普通」というものを押し付けあって、短期的に自分の欲求を刈り取ろうと(解消しようと)するのです。

この理想の押し付けおよび足の引っ張り合いの世界にいる限り、積み上がるものは無く、それどころか減っていきます。

先ほどの例で言えば、感謝を強要し、早い段階で刈り取ろうとすればするほど長期的な感謝が積み上がらず、承認や賞賛を強要した瞬間に長期的にそれは積み上がりません。

私はよく愛情やお金は先払いしろと言います。

我々は「普通」の押し付けを誰かにされたことの復讐として行っているのですが、その瞬間我々は先奪いをしていると言えます。

冒頭のプロセスを再掲します。

①自分の持っている「普通◯◯だ」は何か
②それによって自分が得たいであろうテーマ、興味は何か、関心は何か(欲望)
③①をやめてみて、「自分はやらなくていい」という許可を出し、その時の心情を想像する
④その空いたエネルギーの余白で何をするか
⑤それにより何が手に入るか

このプロセスでいえば①と②は毎日あなたが他人から先に奪っていることといえます。

この①と②だけの世界で生きているうちは、いくら繰り返しても小さなものしか貰うことが出来ません。

また、それを他人に強要するというのは、無意識に「自分はそれを持っていない」ということを行動ベースで既に自覚していると言えます。

Aさんの例で言えば、感謝を他人に強要するのは「感謝されるような自分ではない」ということを無意識に自覚しています。Bさんの例も同じです。

我々はそれを「無いものだ」とどこかで気がついているからそれを欲するのです。

他人に強要をせず、空いたエネルギーの余白でやりたいことをしている時、およびやりたいことを想像している時(④のプロセス)はそれ(②)を欲しいと思わないものです。 

お金が欲しい、愛されたい、人間関係が豊かになりたいという願望は、大体の場合がどこかで先奪いをしてしまっています。そして常日頃から先奪いという行為をしているからその程度の器の人間であり、だから自分の夢は叶わないというのを無意識に自覚しているのです。

他人に強要せず、先払いができるようになったとき、一気に「普通」への興味が薄くなります。

④のプロセスが明確になったとき、最初に持っていた①の「普通」に対する関心が薄まる感覚が分かったかもしれません。

それは「これをやれば本心で望んでいるものが手に入るかも」という回路が繋がったことを意味します。

こうして小さく先奪いしている限りは⑤の本当に手に入れたいものは手に入らず、さらに無意識に理想の押し付けをすることで、理想を叶えられないという暗示にかかってしまうのです。

反応は才能のサイン

我々の多くの場合、イラっとする様な反応の裏には自分の才能が隠れています。

毎回反応が出てくるたびに横におき、本当は自分が何が欲しくて、それによって何を手に入れたいんだろうということを想像すること。そして反応している自分を許すことが大切です。

この③の「①をやめてみて、「自分はやらなくていい」という許可を出し、その時の心情を想像する」のプロセスは自分を許すというものです。

我々が他人に「普通」という理想を押し付けている時、それをやらない自分への裁きとなります。

あなたが誰かを指差したとき、中指、薬指、小指は自分をさします。

我々は自分および他人を許せたとき、開きが手に入るのです。

現代人は特に許しがありません。

そのため普段の生活から

「自分を許す」
→「他人を許す」
→「他人を許すことによって自分および他人のパフォーマンスが上がることを確認する」
→「もっと許そうと思う」

というプロセスを踏めれば日々のパフォーマンスの向上やメンタルの安定に繋がります。

何かが起こった時、反応した時、是非「何も悪くないですよ」という言葉を自分や相手にかけてあげて下さい。

「仕方ないよね」や「そういうこともあるよね」などではなく「何も悪くないよね」という言葉です。

これは強力な言葉なので、イラッとして相手を裁きたくなる時や、裁こうとした自分を裁きたくなった時に是非使ってみて下さい。

自分にイラっとしたら、何も悪くないですよ、です。

反応は負の遺産である

反応および「普通◯◯だ」という理想の押し付けは、満足しなかった時代の名残であることが多いです。

要するに、この言葉を使うほど子どもの時の在り方に戻ります。

本当はもっと暴れたいとか、本当はもっと傲慢でありたいという気持ちを親や先生に抑え込まれ、その我慢が理想の押し付けに繋がったのです。

よく教育ママが子どもに「普通◯◯でしょ!」と叱りつけるのは、そのママが一番子どもなわけです。そしてこのように叱られた子どもは、将来生まれてくる自分の子どもにも同じ様な叱り方をします。

我々はやられて本当に嫌だったことを他人にやるようになり、自分と同じ奴隷を作ります。この行為を心理学では認知的不協和と言います。

DVの親の元で育った子や体育会系の厳しい上下関係などがわかりやすいかもしれません。

前述のプロセスを通してその「普通」に隠された本当の望みが分かれば良いのですが、自分がされたことに対して「自分がしてきたことは正しい!」ということを強化したいがために、我々は無意識に自分がされて嫌だったことを他人および次世代に強制するようになります。

つまり躾や常識は、その意図や自分の気持ちに向き合える知性を持たなければ意味を成しません。

復讐は自分の代で終わらせる

仕方がないことではありますが、意図を考えなかったり知性がない場合、我々の受けた躾や常識などはかなり高い確率で負の遺産となります。

つまり、自分の代で負の遺産の連鎖を終わらせるかを考えることが出来れば、次世代にそういった不幸を残すことが無くなり、もちろん自分自身も本当に欲しかったことややりたかったことに気が付き、それを手に入れることができるということです。

繰り返しにはなりますが、如何にこの「普通」や「常識」というものにとらわれないかが大切です。

「自分がされたからしていい」ことなど存在しません。

我々は「私は正しい!」という反応に使われている時知性を持たず、だからこそ自覚できず振り回される状態になってしまいます。そのことに気をつけなければいけません。

負の遺産は生ゴミの様なものです。

放っておくと腐るだけですが、畑の肥料として適切に処理してあげれば大きな実を成らせるものとなるのです。

特に、親の躾が厳しかったり、あるいはヒステリーな親元で育った人ほど負の遺産を強く持つ傾向がありますが、それをたくさん持っている人であればあるほど人の役に立つポテンシャルを秘めているのです。

この負の遺産というのは、「自分の反応なんだ」「反応してしまうんだ」という様にキャッチして向き合うことで、もれなく全てが才能になります。そして自分がもらった負の遺産自体も悪いモノとしないことが大切です。

それは何も悪くはないのです。

是非、普通という言葉や、そこから起きる反応から、ご自身の才能や未来を発掘していってください。

この記事を読んだら迷わずスキ❤ボタンを押しておいてくださいね。必ずですよ。

特典

この記事を最後まで読んでくださって、キーワードを送ってくださった人にセミナー動画を差し上げます。

セミナー動画の方がわかりやすい面も色々ありますので是非受け取って学んでみてください。

セミナー動画は現在編集中ですが公式ラインに登録して貰って

普通

というキーワードを送っておいてください。

編集が終わったら送ります。

公式ラインはこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?