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親や遺伝子を頑張らない理由にするな #虎note

こんにちは、虎( https://twitter.com/tiger_stlv )です。

いきなりですが、質問をします。

貴方はどのような家系に生まれ、どのように育ちましたか?

もし現在貴方が仕事をしているのならば、その仕事はご両親や祖父母がしていた仕事と相関はありますか?

現在貴方が抱いている夢や目標は、自分の遺伝子や育ちの観点から見れば、達成できそうなものですか?

今回は、勝者になりたければ遺伝子や育ちを理由にしてはいけない。というテーマでお伝えしていきます。

勝者と言っても資本主義的な意味ではなく、自分に自分で勝つ、自分の人生の勝者になるというニュアンスです。


大きな勘違い

SNSを見ると、自身が目を背けて挑戦しない理由を遺伝子のせいにしている人たちをよく見かけます。

「遺伝子や育ちが不理でした」

果たしてこれは挑戦をしなくてよい理由になるのでしょうか。
責任を取らなくてもよい理由になるのでしょうか。

『親ガチャ』という言葉がありますが、そういう言葉を使っている人を見る度に、そういうお前に育つような子ガチャに失敗した親が可哀想だよ、と心の中でこっそり思っています。

仏教では子は同じくらいの程度の親を選んで産まれてくると言われています。つまり、産まれるべくして産まれてきたのであり、自分が不遇なのであれば、その不遇も自分の程度が選んだことであるということです。

例えば昔、16歳で元服があった頃、武士の家系に生まれたとします。

しかし「俺は育ちが悪く、身体が弱い家系で背が低いので戦場へ行けません!」と言い、許されていたのでしょうか。

多分、ダメですよね。「お家の恥晒し!」と一族から袋叩きに遭うことでしょう。

おそらく戦場へ行くことは内心みんな嫌だっただろうし、怖かったと思いますが、当時はそんなこと関係ないのです。

現代では遺伝子や育ちを理由にすればそれが認められると勘違いしている人が沢山います。

もう一度言います。それは勘違いです。

そういう存在は元々勘当されるか、戦場に出されてさっさと死ぬような運命だったことが想像に難くないでしょう。本来はそういう下らない言い訳を使う人は、弱いままさっさと死ぬような流れの中にあったのではないかと思います。

むしろ現代、本来排除されていた存在がこうして生きていける環境があることに感謝すべきだと私は思います。むしろ親や遺伝子に文句を言うというのは全くの筋違い、恩知らずではないでしょうか。

文句を言うならさっさと去ればいいのに、何故そこにいるんだ?
そこにいることを選ぶなら、自分でどうにかする道を選べよ。

そういう話ではないですか?

遺伝子は卑怯者の言い訳

遺伝子や育ちなどの相手が指摘しづらいことを言い訳にすることは、ただの逃げでしかありません。面倒くさくして他人に言う気を失わせる卑怯なやり方です。

そう言っておけば、周囲が何も言わないことをわかっているから、そうするのです。

人間というのはそもそも最もらしいことを言い訳をし、努力をせず逃げる生き物です。

そしてそれを理由に逃げ続けることで、いかにもその言い訳に正当性があるかのように錯覚します。

確かに、遺伝子によって得意/不得意、向き/不向きはあるかもしれません。

しかし、我々が遺伝子レベルで本当にできないことというのは、自分の人生にほとんど現れないものなのです。

遺伝子レベルでできないことは「できないこと」としてすら存在しないため、我々はそれに興味すら抱きません。

例えば筋トレでベンチプレス150kgを持ち上げるとか、年商100億円の会社を作るとか、オリンピック短距離走に出るとか、そういう目標を貴方は持っていますか?

そういう目標を持てって言われたら、笑いながら「絶対無理だよ」と言いませんか?

SNS上で「遺伝子的に責任を取るのが苦手」みたいに言う人が見たことがありますが、本当に責任を取る才能がない人の人生には「責任」というワードは出てきません。

そのワードや考えが目に入り、自分の人生に登場している時点でそれは「本当はできること」です。

繰り返します。そうやってもっともらしい理由をつけて逃げている人は、できるくせに目を背けていて、他人が指摘しづらい遺伝子や育ちを理由にして逃げているだけだということです。

そして周りが指摘しづらい”切り札”を使えば、逃げている自分を守ることができるというわけです。

冒頭で触れたように、貴方の夢や目標は、遺伝子や育ちを言い訳にすれば、やらない理由は山ほどあるでしょう。

むしろ、我々の抱く夢や目標は、遺伝子や育ち、および自分の家系的に向いていないことがほとんどなのではないでしょうか。

しかし、切り札を理由に、挑戦から逃げ続けて死んでしまったら?
後悔することは間違いないでしょう。

私は鬱になりやすい家系に生まれ、中卒で元ひきこもりで逮捕歴があります。

そんな人間が人のことを教育する仕事に向いていると思いますか?

明らかに向いていないでしょう。

『実は向いていた』として、私の経歴や過去や遺伝子から、そのことを抜き出せる要因はありません。

私はただ理想に向かって苦難を克服しただけです。

操作できない要因を理由にする人

このように相手が指摘しづらい、最もらしい切り札を使って挑戦しない人をなんと呼ぶか知っていますか?

敗者です。

真の敗者というのは負けた人ではなく、やる前に言い訳をし、挑戦することから逃げている人のことを言うのです。

勝っている人というのはそのことを自覚して行動しているだけであり、そこに遺伝子や育ちは関係ありません。

相手が指摘しづらい遺伝子や育ちといった切り札で言い訳をする人は、例外なく全員敗者です。

エジソンやライト兄弟などの、歴史に名を残している偉人が、遺伝子を理由にして自分の研究を放り投げ放り出したことがあると思いますか?

そんな人間は歴史に残りません。

自分の人生の勝者になりたければ絶対に、遺伝子や育ちの様ないじりようのない部分を理由にしないことです。

苦手に眠るヒントを掴む

私は前述の通り鬱病(統合失調症の気もある)家系に生まれたため、今やっているセミナーやセッション等で正面から人と向き合うと基本的にはダメージを受けてしまいます。

しかし、それを理由に無難な仕事をし、遺伝子や家系を理由にして逃げた仕事をしていては才能が潰され、役に立つものも立たなくなるでしょう。

ですから逆に、こういった遺伝子や育ちが悪いというのは、私からしたらチャンスと言えます。

そして、それこそがやるべき理由となるのです。

遺伝子や育ちが不利だから挑み、夢や目標に向かうのです。

もし、その分野で遺伝子や育ち的に不利な人間が非凡な結果を出すことができたらどうでしょうか。

それは元々才能がある人が結果を出すことよりも、多くの人に影響を与え、勇気を与えることになるでしょう。

今まで貴方が遺伝子や育ちを言い訳に使い、挑戦から逃げ、そんな自分を正当化しながら生きてきたのであれば、勇気を出してその切り札を捨てましょう。

そしてやってみると、むしろ自分が遺伝として苦手だと思っていたものが、克服してみると楽しいことであったり、向いていたりすることに気付くことも沢山あるはずです。

苦手と思うことは、人より上手くなる可能性を秘めた分野です。

私は人の気持ちをわかりませんでした。
人と会話するのも苦手でした。
引きこもりだったので、関わることも嫌でした。

苦手だな、嫌だな、やりたくないなと思っていました。

私がそれを遺伝子を理由にして絶対にできないと決めていたらどうだったでしょうか?

むしろ、今になって親の家系を調べると「遺伝的には人に関わることにコミットメントがあって、人の役に立ちたいという気持ちが強いな」と思います。

その気持ちが昔に折られた時があったから、人と関わるのが嫌になったのです。

つまり、苦手だと感じたのは強い想いがあったからです。

遺伝子的に不利という気持ちがあるものは工夫で克服すべき壁なのではないでしょうか?

身長が低いとか、筋肉がつきづらいとか、胸が小さいとか、声が悪いとか、そういうのが気になる人は、それを工夫でどうやって乗り越えるか考えればいいのです。

もし、貴方が自分の人生の勝者になりたいのであれば、言い訳をして生きていくことをやめて、自分の人生に創意工夫を持ち込みましょう。

それでは。

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