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バブル時代の銀座の顔がわかる話10~一世を風靡した「クラブ姫」や高額なクラブの会計のカラクリも解説🤣🤣🤣

銀座・並木通り周辺には昼と夜の顔があります。

昼間はブランド店目当ての買い物客や高級店でランチに行くビジネスマンなどで賑わっています。
最近は外国人観光客も加わりました。

これが夜6:30過ぎる頃から銀座のクラブに氷を届ける業者やお花やおしぼりなどを届ける納入業者で混みあってきます。

少し経つと美容院に行くホステスが着物姿で頭はセット前の髪で見られる様になります。

ポーターも出勤して来てママやホステスやお店に来る上客の為に車の駐車スペースを確保し始めます。

当時は一流のママや売上げトップのホステスは颯爽とベンツでお店に乗りつけたものです。

7時を過ぎてくると銀座の街の表情は一変します。

並木通りはホステス、ポーター、お店のスタッフに納入業者であふれ返ります。
また早めにクラブに来るお客様も加わるのでごった返しですね。

この華やかな銀座の始まる時間帯の風景を見るのが好きでした。

また今夜もお客様とホステスとの化かし合いやお客様同士の密談それにお金が動き出します。

今は当時はなかったコンビニが出来たり、ベンツで出勤するホステスもいなくなり寂しくなる時があります。

バブル経済時代の銀座にまつわる話に移ります。

まず銀座のクラブについてお話ししましょう。

1) 銀座のクラブの会計のカラクリ

銀座で飲むのは高いと言われていますが、その会計方法にカラクリがあります。

例えば1人で「30,000円のボトル」を入れると、何も他に頼まなくても会計は70,000円以上になってしまいます。

伝票には上の部分が「純売上げ」と呼ばれます。

この部分がホステスの売上げになります。

「ボトル代」30,000円の他に「チャーム代」5,000円とか「ボトルセット代」5,000円に「席料」5,000円が載せられます。

下の部分には「ホステスチャージ10%」「ボーイチャージ10%」「テーブルチャージ10%」「サービスチャージ10%」これに指名料が3,000円加わります。
上記の総合計に今でしたら消費税10%がかかります。

これで70,000円以上になりますが、ホステスが頼むドリンクは別に「純売上げ」の部分に加算されます。

また「フルーツ」でもとれば10,000円ぐらいするので覚悟がいります。

ホステスが沢山飲めば、すぐ100,000円を超えてしまいます。

「ボトル」があれば、それを飲んでもらった方が高くつきません。

2)係りとは?

銀座のクラブで飲む時は、自分の係りすなわち自分の売掛金の担当が必要です。

当時は銀座のクラブでは現金やクレジットカードより会社に請求書をまわすことが主流でした。

いわゆる「ツケ」ですね。

会社に回した方がお客様も気軽にお店に来られるし、接待で使い易いし、お店も来てくれる回数が増えると考えたようです。

そこで売掛金に対する責任者がいるわけで、売り掛けに責任を持つホステスかママが、そのお客様の係りになるわけです。

しかし銀座には変わったルールがあり、お客様が僕をお客様の馴染みのお店に連れて行った場合、自動的にそのお客様の係りがぼくの係りになります。

もし次回、僕がそのお店が気に入って行った場合はそのホステスが係りとして接客してくれます。

これは別に問題なさそうですが、一度、問題になったことがありました。

僕が係りのグループに属していない売上げのホステスを気に入ってしまい彼女と食事にいったり、お店で席にそのホステスを呼ぶようになると売上げの取り分のことで揉めたことがありました。

僕は係りを変えようとしましたが、お店側は銀座のルールを盾に取って了承してくれませんでした。

ホステスも売上げで給料が増減するので、注意が必要です。

3) 同伴制度

これも面白いシステムですね。

ホステスは通常7:30出勤ですが、お客様と一緒にお店に出勤する場合は8:30迄にお店に入ればいいことになっています。

入店時間は厳しく8:30を過ぎると罰金が課せられ、9:00を過ぎると出勤欠勤になり、その日の日給は没収されます。

またお店によっては月に何回かホステスに同伴出勤を強制する強制同伴日を設けています。

人気のあるホステスは食事をして同伴してくれるお客様に困りませんが、余りお客様がいないホステスは大変です。

食事しないでお店の近くで待ち合わせする「店前同伴」をするホステスもいますが、
同伴できないホステスは罰金をとられてしまいます。

お店側にとっては売上げ増に繋がりますがホステスにとっては厳しい制度です。

4) ポーター

ポーターはお店の外にいて、ママやホステスそれにお客様の車の駐車スペースの確保、車の管理やタクシーの手配やお客様をお店に案内することなどが主な仕事です。

バブル時代はタクシーがなかなかつかまらなかったので彼らの活躍の場も多かったです。

また他店とのポーターとも連携しているので銀座で何が起こっているのかとか他店の情報や銀座の噂話などの情報をつかんでいるので、顔見知りになり仲良くすると銀座の表と裏の話が入ってきます。

お店のママやホステスそしてお客様との噂話から各クラブの内部事情に加えてお客様のプライベートや会社の話など多種多様です。

彼らにも縄張りがありランクがあります。

トップクラスになると何軒かのお店を担当しています。

バブル時代はタクシーが捕まらないことが多く白タクと呼ばれる運転手達がいました。

違法行為ですが白タクはお店と契約していたり、縄張りがやはりありました。

タクシーより料金は安く使うお客様が多くいました。

ポーターは彼らも把握していて、頼めば呼んでもらえます。

僕も何人かのポーターさんと仲良くなりいろいろお世話になりました。

5) 黒服

黒服とは店内でお客様やホステスのお世話係りです。
通常タキシードや黒のスーツを着ているので、黒服と呼ばれます。

テーブルセット、お酒の注文やありとあらゆるお客様の要望に対応します。
またホステスの注文にも対応します。

係りからの指示でどのホステスを席につけるかの手配もしますし、会計も席に持ってきます。

お客様からは召使いのように思われることが多く、お客様からホステスより格下扱いされることが多いです。

お客様はホステスには優しく接しても、黒服には冷たい対応をする方が殆どです。

でもお店のあらゆる事を、彼らは把握しています。

本当に粋なお客様は黒服にも優しくするものです。

僕も黒服の人達には対等の立場で接するように心がけていました。

彼らが味方になってくれれば、仕事で得意先を接待する時も強い味方になってくれますし、お店の色々な情報に加えて、ママやホステスの情報も教えてくれるようになります。

彼らには随分、助けられました。

6) 保証人制度

ホステスには2通りあって、売上げによって給料が決まる売り掛けのホステスと時給幾らで契約するヘルプと呼ばれるホステスがいます。

売り掛けのホステスは自分の専属のヘルプを何人か持ちグループとしてお客様に対応します。

この売り掛けのホステスは前述した会計伝票の上の部分すなわち業界用語で純売上げと呼ばれる金額が、彼女の売上げになり、その額で給料が決まります。

通常、売り掛けのホステスはお店と契約する時に保証人が必要になります。

保証人は彼女の売り掛けが焦げついた時に、ホステスが払えない時に全額について責任を持ちます。

銀座では、大体ツケで飲むお客様が殆どでしたから、売れっ子のホステスの売り掛け金は大きな金額になります。

お客様は自分の会社の経理に請求書を回すことが多いので、各会社の支払いの締め日があり、締めた月の大体翌月か翌々月にお店に入金されます。

ホステスは入金になる迄、お店のルールに従って遅れた分の売り掛け金を立て替えるケースもでてきます。

またお客様の会社が倒産したり、お客様がその会社を退社したりして入金にならない場合も出てきます。

順調にお金が回っていら時はいいですが、もしもの場合もあります。

またそのホステスが他店に移ったり、お店を辞める時は売り掛け金の精算をしなくてはなりません。

そのホステスが精算できなければ保証人が支払うことになります。

僕は家訓で保証人になってはいけないと父からいわれていたのでホステスの保証人にも絶対になりませんでした。

表の顔は華やかな銀座ですが、裏では厳しい現実があります。

7)ブルーライン・タクシー

このタクシーのことを知っている方は、もう少なくなってしまいました。

バブル経済時代の銀座は好景気に沸き、夜の銀座は人で溢れかえっていました。

夜11:00を過ぎるとタクシー乗り場は長蛇の列で、乗車拒否をするタクシーも多く
タクシーを拾うのが至難の業でした。

銀座から赤坂や六本木というと乗車拒否をする運転手も多かったです。

そこでタクシーの近代化センターが作ったのが車体にブルーのラインがあるブルーライン・タクシーです。

各タクシー会社は何台かのブルーラインの入ったタクシーを持たなければならず、その車体に当たった運転手は2回以上8)ブルーライン・タクシーの乗り場につけなければならないというルールを作ったわけです。

このタクシーは乗車拒否ができないルールで乗り場には近代化センターの人がいて監視していました。

でもお客様の人数が多いので焼け石に水のようでした。

当時ブルーラインの車体に当たった運転手は運がなかったとぼやいていたのが鮮明に思い出されます。

これからもわかるようにバブル経済時代は人々が湯水のようにお金を使った時代でした。

8)  今は亡き「クラブ姫」の思い出

作家であり作詞家だった亡き山口洋子氏がオーナーママだった銀座の超一流店がクラブ姫でした。

プロ野球選手、芸能人、歌手、作家や政治家に経済人が常連の一般の人が入るのをためらう超有名店でした。

特に山口洋子ママはプロ野球選手が好きなことで有名でした。当時プロ野球の巨人、近鉄や広島の有名選手が飲みに来ていました。

現実に当時クラブ姫で飲めたら一流として認められると言われる程でした。

僕のような者にはクラブ姫に出入りするのは不可能に近いと考えていました。

それがクラブ姫に通う様になったのは、僕の懇意にしていたホステスAがクラブ姫にママとして迎えられたのがキッカケでした。

当時彼女を入れてママは2人て売上げを競い合っていました。

彼女にクラブ姫に飲みに来るように言われた時は「僕には無理だ」と彼女に断りました。

彼女は大丈夫だから飲みに来てくれと再度言われたので恐る恐る彼女と同伴する形でお店に行ったのが始まりでした。

クラブ姫に入り席についても緊張していて最初の一杯を飲んでも緊張はほぐれませんでした。

Aママが席に来て、姫の社長と常務を紹介され酔いがまわってくると徐々にリラックスしてきました。

周りを見回すと顔をテレビで見たことのあるお客様で一杯でした。

姫には2階にカウンターのバーがあり、そこの方が気楽に飲めるので、そこで飲むことが多かったのですが結局、下のメインのバーに行くことになってしまいます。

社長とも親しくなり学割値段で飲ましてもらいましたが、姫にはタイムチャージがあるので長く居ると会計は高くなってしまうので、その点は注意するのですが酔うと長いしてしまうことも度々ありました。

一度Aママともう1人のNママのNo.1争いに巻き込まれたことがありました。

普通、売上げ金でNo.1が決まるのですが、姫では何組のお客様が来店したかという組数でNo.1が決まります。

最終日が近づいた時、Aママに頼まれて1日に2度姫に行ったのも今ではいい思い出になりました。

最終的にAママが小差でNo,1争いに勝ったのを記して置きます。

ある夜、Aママにお店が終わった後、友達と赤坂で飲むので一緒に出かけることになりました。

赤坂のサパークラブに行くと銀座のクラブのママMを紹介してくれました。

Mママは和服の似合う小柄な美人でした。

3人で遅く迄飲み、酔いも手伝って踊ったりカラオケをしたり仲良しになりました。その後Mママが二代目若乃花と結婚して初代間垣部屋の女将さんになったのにはビックリしました。

当然、間垣部屋の後援会にも入りました。

もうクラブ姫のことを知っている人も少なくなりました。

山口洋子ママがお店を手放し、他の方がクラブ姫の名前で営業していましたが
結局お店を閉めてしまいました。

今でもクラブ姫があった場所を通る度に華やかだったバブル経済時代のことを思い出します。

9) クラブ姫の思い出 パート2

当時クラブ姫には日本で最初に性転換手術をモロッコで受けたMがホステスとして月に何回かタレント活動の合間にクラブ姫にも来ていました。

彼女はAママと仲が良かったので、紹介され席に来るようになりました。

Mはお酒が強く確かブランディかシャンパンしか飲まなかったと思います。
僕もヘネシーVSOPをボトルキープしていたのでMはそれの濃めの水割りで飲んでいました。

お酒が強いのにはビックリしました。

きっぷもよく話が面白いのでAママと3人で飲みました。

何回か席につくようになりMと当時の人気の今で言うクラブ(ディスコ)マハラジャに踊りに行く事になりました。

VIPルームでもヘネシーを飲みMが酔っ払ってしまい歩けなくなったことがありました。

仕方がないので酔いつぶれたMをハイヤーで僕の家まで連れて帰ったことがありました。

ハイヤーからMを抱きかかえて2階の寝室のベッドに寝かしつけ一回のリビングで一杯飲んでいた時、玄関のインターフォンが鳴りました。

もう夜中も遅かったので一体誰だろうとインターフォンにでるとハイヤーの運転手でした。

忘れ物があったのでお届けに上がりましたと白のハイヒールを一足届けてくれました。

それを見た時には運転手さんの目をまともに、見れませんでした。

それ以来そのハイヤー会社を使う時には、何となく気まずい思いになりました。

それを「白のハイヒール事件」と呼ぶことにしました。

バブル経済時代はいろいろ経験しましたが、その事件は今でも忘れることができない当時のいい思い出になりました。

10) 総括

バブル経済時代の銀座での色々な出来事は忘れられません。

銀座に飲みに来るお客様も色々な個性のある方がいらっしゃいました。

自分の好きなホステスの誕生日に店中を真紅のバラで埋め尽くしたロマンチストやいつも有名なクラブに夜毎あらわれピンクや薄紫などのスーツを着こなしている品のいいお爺さまでいつも若い綺麗なホステスを連れている方がいました。

またお店に来るとホステスに年を聞いて、年齢の数だけ秘書がアタッシュケースから一万円札をチップでくれる得たいの知れないお客様など、今では考えられない個性的な方々が銀座には来ていました。

銀座はバブルの象徴であり、憧れの場所だったのです。

今のコンビニが出来て、そこでホステスがお弁当を買っている姿を見ると世の中は変わってしまったのだとつくづく思います。

昔の銀座に思いを浮かべるのは僕だけなのでしょうか?


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