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誰かの言葉を借りながら少しずつ語る

ここ最近は「どうやったらコミュニティ内・組織内で、雑談や自発的なコミュニケーションが生まれるのか」という問いについて考えている。

とは言っても、いまだに確からしい答えがあるわけではないけれど、なんとなく頭にあるのは
◯ 雑談を増やしたい本人が(立場の上下を感じさせない)発信をする(語る)
◯ 語ることのハードルを下げる
ということだろう。

「自らが語ること」については別の機会に書くとして、今日は「語ることのハードルを下げること」特に"語り"と"騙り"について書いてみたい。

よく「何かを発信しよう」「今日から語り始めよう」と思うと、次にくる疑問は「何を語ろう」や「どうやって発信しよう」という悩みが出てくる。
かくいう自分もそうで「noteでの発信をしよう」と思っても、何について書いたらいいか分からなかったりする。

ただ、それは「語る」が持つイメージに引っ張られているところもあるのかもしれない。

「語る」とは「ある特定の対象に対して感じた自分の感情や熱情を言葉にして伝える」という意味がある。
厄介なのは「自分の感情や熱情」という部分だ。そんな言葉にしたくなるほどの感情や熱情を感じる対象もないし、もしかしたらあるかもしれないけど言葉という形にするのが難しい。

ただ同じ「かたる」でも「騙る」という言葉もある。
「騙る」とは「有名人の名を騙る」というように「自分ではない、誰か他のひとに成り代わって伝える」という意味がある。
基本的には騙す・偽るという悪い意味で使われる言葉だけど、実は語るハードルを下げるには、この「騙る」という行為が有効だと思っている。

先ほども書いたように「語ること」の難しさは2つある。
1. 自分の感情や想い、それを引き出す対象を発見する難しさ
2. 自分の感情や想いを言葉にする難しさ

だとした時に「騙ること」から始めることで、1と2のハードルを下げることができる。
いきなり自分の感情を描こうとせず、例えば最近読んだ本で印象に残った文を「筆者に成り代わって」伝えてみる。今年観た映画で印象に残ったシーンを「監督に成り代わって」伝えてみる。

そんなふうにいきなり自分の感情を言葉にしなくても、先ずは「この本のこの一文が最高だった。次はこの文章が面白かった」など、誰かの言葉を借りながら少しずつ語る割合を増やしていくことで、語ることができるのではと思っている。

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