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遠い道の先に見える“希望の光”

 私が未だ10代の頃でしょうか、母の口癖であった“艱難辛苦(かんなんしんく)は汝を玉にす”という言葉を、思い出します。


 大家族であった当時の生活の厳しさを、母は、“艱難(かんなん)辛苦“という言葉に置き換え、それを乗り越えていく決意を、家族の一人一人に教え諭していた、そんな記憶の断片があります。艱(かん)とは、難しくて動きがとれないこと。また、難(なん)は、安易に進めない、苦しみ、災い等を意味します。すなわち、艱難(かんなん)とは、難しくて身動きがとれないほどの困難に遭って苦しみ悩むこと。

 しかしながら、当時、生活の厳しさを余り感ずることなく、伸び伸びと子供時代を過ごせたのは、親の庇護のお陰でしょうか。


 艱難辛苦は生活苦にとどまらず、社会生活の様々な場面で、他との軋轢や精神的な苦しみに拠る場合も有るでしょう。

 人は、そうしたものから逃げ出さず、シッカリと受け止め、乗り越える事で磨かれる。徳川家康の処世訓にあるように、人生は遠き道を重き荷を背負いて行くが如し、と言います。家康は、遠い道の先には、必ず光りが見えると信じていたのでしょう。