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火の玉小僧

火の玉小僧 参陽新報 明治34年2月2日
信州のある寺で、刈った草を燃やそうとしたところ、火が燃え広がった。
怒った村人により、小僧は石を積んだ塚の中に顔だけだして生き埋めにした。
小僧は
『この村を一軒残らず焼き払わん』と言い残し亡くなった。
その後、一件の家を残し、村は全焼した。
それから小僧は火の玉小僧と言われるようになった。


残った一件は、小僧が閉じ込められたら際に、密かに水を与えた家であったという。

それからも数年ごとに村は焼けたという。




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